ズィナ編  (14)



大広間を出たところで立ち止まり、ルーとの会話を頭の中で反芻する。
そう、自分は何も変わらないコーレニンに、恐れを抱いていたのだ。

『物事の変化は、時の流れによって生じる。
 時の流れがあるからこそ、変化が生じる。』
ルーが教えたこの言葉を、ズィナの中のシューナは深く信じていた。
だから、変化が無くなることを恐れた。
それは、時の停止を意味するから。
「始まりがあるものはいずれ終わる」と、ルーから聞いたことがあった。
『時』も含まれるのか、それとも例外なのか――それは分からない。

それだけ『変化』を望んだのに。
フッセの部屋において、どうして自分は『変わらない』事を望んだのだろう。
救いを求めたから?
彼ならきっと、真っ先に救いの手を差し伸べてくれただろうから?

――まさか、ここまで彼に依存していたなんてね。

今のコーレニンを見て、彼は何と言うだろうか。
自分を見て、彼は何と思うだろうか。
「考えても、…仕方無いですよね」

顔を上げる。と、ミント色の瞳と目が合った。

「…何時いらしたんですか、ララーノさん」

彼女はまん丸の目を、更にきょとんと丸める。
「今きたところだよ? なやみがあるの?」

「何でもありませんよ。ララーノさんこそ何しにいらしたんですか」
「指令のほうこく!
 …でも、ズィナのほうがさき」

彼女としては、ズィナに思うところがあるのだろう。
指令の報告を優先する間にズィナが立ち去ってしまう事を懸念しているのが見て取れた。
そうはいっても。
「だから何でもありませんって」
後退りしようと足を上げかける。

その途端、肩に触れた違和感によって足を下ろさざるを得なくなった。

「まぁまぁまぁまぁ。
 ズィナは何処にも行きやしないさ。
 いいか、ララーノ。報告までが『指令』だ」

ルーだった。
肩に乗った小さな手を振り払おうとするも、相手は手強い。
「何処に行こうが私の勝手です。お節介は大きなお世話ですよ」
「お節介を持ち掛けたくなるぐらいの事があったんだろう、ララーノ?
 此処で構わんから、報告をしてみるといい」

ゆっくりと頷いたララーノがルーに話したのは、ルアンの魂系1000代目と337代目との接触に成功した事と、加えてもう一つの指令についての状況。
「ルーさま、ご先祖さまに会ったら助けるように言ってた」
先の事がそれに当たるのか、それとも別の先代の事なのか。
その上で、
「助けたいご先祖さまいたけど、助けさせてくれなかったの」
ルーには思うところがあったらしい。目を細め、「そうか」と呟いた。
「ま、余力があればの話であったし、先祖で無くとも同世代でも良いさ。程々のひと助けは良い事だ。指令とは無関係にな」
「う? うん!」
「ああ、こいつでも良いぞ。こいつだったら、やり過ぎなぐらいが丁度良い」
ルーはニヤリと笑いながら、ズィナの肩をポンポンと叩く。
「いい迷惑です」
間髪入れずに声を張り上げて返した。
が、ララーノが悲しそうに「めいわく…?」と呟くので、慌てて「き、今日に限っては歓迎しますよ」と付け加えた。
ルーの存在を思い出したズィナははっとして振り返るが、ルーは既に大広間の玉座に身体を収めていた。確かに、肩に乗っていた感触はもう無い。

ララーノがズィナに向き直る。
「何に、なやんでいるの?」

「それは…」
やはり、言い辛かった。

しかし、心を見透かすような目で見つめられると、
「遠い昔に慕っていた友人のことを思い出すと、寂しくなるものですね」
自然と本心が零れるものだった。
「もう会えないの?」
「世代が違うんですよ。どうやら私、先代の記憶を引き継いでいるみたいで」
とはいえこうして、ちょっとした嘘が混じったりもする。
「そっかあ、さみしいね」
追い詰められない分、余計に胸が締め付けられた。
「だって、」
まだ何か、慰みの言葉を掛けようとしているのだろうかと、ズィナは身構える。
そんな予想とは裏腹に、彼女は、
「だって、そのひとは、ズィナを知っているんじゃないんだもんね」
と、本質を露わにしたのだった。

そうか。

仮に今、フッセに会うとして、「私はシューナです」と言いながら出向く事ができるだろうか?
俯きがちになると、咄嗟に手を掴まれた。
「きて!」
「しかし、」
「とっておきの場所なの!」

  *

ララーノに連れて来られた部屋には、たくさんの楽器があった。
目に付いたのは、綺麗に積まれた小型の鍵盤楽器。
幼少期、大広間でルーから基礎教育を受けていた頃に使った楽器だった。
「此処で保管していたのですね」と呟く。

すると、奥から軽快なピアノの音色が流れてきた。
目を向けると、大きなピアノと不釣り合いに小さなララーノが、さも楽しそうに踊るように、滞ることなく音色を紡ぎ出していた。
素直で滑らかな旋律は、いとも容易く心の中へと流れ着く。気が付くと、ズィナはララーノの演奏に聴き入っていた。

すると、
「こっちこっち!」
自分を呼ぶ声にはっとする。いつの間にか、曲が終わっていたらしい。
促されるままに、ピアノの前に立った。
横でララーノが鍵盤を押し始め、つられてズィナも一つ、また一つ、と無作為に鍵盤を押していく。
こうして楽器を触るのは、基礎教育以来だろうか。
「…この国での『世代』って、音階のようなイメージですよね。
 同じような纏まりが重なる。それでいて、一つ一つが違う音。
 でも秩序ありきなものだから、乱された音には辟易する」
ぽつりと呟くと、ララーノが割り込むようにして両手で小さな音を奏で始めた。
「ララーノさん、聞いていますか?――」
「思いがけずに音色がはまる、こともある。
 不協和音も、わるい音ではない。
 だれかがつくった『きれい』だけじゃ見落としていたことも、きっと――」
ふっと手を止め、ズィナに向かって微笑んだ。
「ちがう?」

色と違って、音は混ざりきらずに一つ一つが独立する。
秩序からはみ出た音の存在も否定できない。
ララーノの表情からは、どんな音をも受け入れるという強固な意志を感じ取れた。

重なりと、リズムと、タイミング。
奏でられた音色が曲を紡いでゆく。
音楽は時間の表現だというのは、誰の言葉だったけか。
幾つもの『時間』を紡ぎ得た一つ一つの音は、どんな物語を選んだのだろう。

再び、ララーノが先程の曲を弾き始める。
「この曲ね、オシャーンにおしえてもらった曲なんだよ。
 日記に曲のなまえが書いてあって、楽譜をさがしたの。
 なやみごとがあると、よく弾いていたんだって」
「オシャーンが… 楽器を?」
意外だった。彼は図書館に籠もり、本を読んでばかりいる印象だったから。
思わず出たズィナの発言に、ララーノは大きく反応する。
「オシャーンを知っているの?!」
しまったと思いながら、ズィナは取り繕う。
「え、えぇ…記憶の中の先代が」
「ご先祖さまのお友だちが、オシャーン?」
「それは…どうだか」
言葉を濁らせていると、ララーノが勢いに任せて複数の鍵盤をジャンッと押した。
「いいこと考えたよ!
 まず、いっしょに図書館にいって、
 オシャーンに、ご先祖さまの思っていること、かわりに話すの!どう?」

「お気持ちは嬉しいですが大胆ですね…。それに先代の友人が彼であるとは一言も」
と言いつつ、彼女の厚意を無下に断ることはできかねた。「罰当たりだ」という感覚は、宗教心を持ち合わせていないながらも、今ならなんとなく理解できる。

「…行きましょう」


  コーレニン図書館

ララーノは青色表紙の魂の本を開き、最初の頁の写真に向かって呼び掛けた。
「オシャーンのお友だちがね、会いにきたよ!」
写真の相手は微かに目を丸くする。
さも、友達が居たこと自体が意外な様子だった。
「友達… 誰?」
オシャーンに尋ねられてはっとしたララーノ。
思えば、ズィナの先祖の名前どころか、魂系名すら聞いたことが無かった。
ララーノは、オシャーンが直接ズィナを見られるように、魂の本を持ち上げた。
事情を察したズィナは、一歩、本へと近づく。
寧ろこれまで魂系を知られなかったのが意外だと思いながら、前髪を掻き分けた。

「初めまして。シューナの魂系1000代目のズィナです。
 1代目の記憶を引き継いでいますので、貴方のことは存じ上げていますよ」

『シューナ…』
オシャーンの視線がズィナへと向く。しかしズィナに見えるのは、ただの動かないセピア調のオシャーンのみであった。
魂の本はもともと同じ魂系の魔法族しか開くことはできない。しかしこのような形で、同魂系の魔法族が介入することで、他の魂系の魔法族が中身を見ることができる。
その場合、介入者の通訳によってしか、本の中の魔法族の言葉を聞くことはできない。一方で、本の中の魔法族は、介入者の耳を通じて、直接相手の言葉を聞くことができる。魂の本を通じた普段の会話において、写真が動いて話すように見えるのは、本に眠る先代の記憶と、魂で繋がっているからだった。

オシャーンからとも、ララーノからともとれる呟きを受け、ズィナの中のシューナは、身の縮む思いを感じた。

暫くズィナを見つめ、オシャーンは微かに顔をしかめた。
『……シューナ、誰』
今度は、通訳した本人のララーノと、次いでズィナが目を丸くした。
「お、覚えていらっしゃらないとは残念ですね…
 深緑の長髪、赤紫の瞳、1代目で1番の長身…と言えばお分かりでしょうか」
「オシャーン、首をかしげてるよ?
 会ったことあるかもしれないけど…って言ったの」
「そ、そうでしたか…それはご無礼致しました」

忘れられていたなんて。
心に立ち籠める悲しさや虚しさから目を逸らすかのように、ズィナは前髪を下ろした。

拒絶されると思っていただけに、拍子抜けするが、
拒絶されたほうがまだ、マシだったかもしれない。

閉じた本を抱え上げ、ララーノが訴える。
「オシャーンね、悪気はないの」
「分かっていますよ」
「だけど、お友だちって思っていたのが片っぽだけだったら、ご先祖さま、つらいよ?」
「そういう事もありますよ」
「わたしのことは?」
「はい?」

「わたしは、ズィナにとっても、お友だち?」
前髪の奥から、ララーノのミント色の瞳を見つめる。

「… 当たり前じゃないですか」

「よかった!」
ララーノは嬉しそうに、本当に嬉しそうに、顔をほころばせた。

その後、魂の本を書棚に戻しながら、彼女は打ち明けた。
「あのね。ご先祖さまとオシャーンがお友だちなら、オシャーンのお友だちも、ご先祖さまのお友だちだと思ったの」
「随分平和な考えですね。そのうち誰かに騙されますよ?」
しかも、自分とオシャーンが友達だとは一言も伝えていない。
ララーノは大きく首を横に振る。
「ズィナは大丈夫だもん」
今まさに「私みたいなひとに」と付け加えようとしたズィナは、そのまま口を噤んだ。

「ズィナのご先祖さまは、オシャーンのお友だちの名前を知っているの?」
「彼とよく関わっていた方々なら知っていますよ。彼がその方々を友達と思っていたかは知りませんが。
 挙げるなら、ルアン、ウェイ、ウィーア、ハルテ、フッセ、…が主なところでしょうか」
ララーノがきょとんとしたのを見遣り、
「ラィ、ベベル、レイミン、ロイシン、ユイユ、の先祖達ですね」
と、付け足した。
「ユイユ…!」
1人の魔法族の名前に、ララーノの心が釣られたらしい。
彼の特徴的な髪型は、幾人かの魔法族からある生き物に例えられていた。
「えび…!!」
「… はい?」
当のズィナは、どちらかというと羊だろうと思っていた。
そんな事は露知らず、ララーノはズィナの両手を取る。
「ユイユ、げんき?」
「え、えぇ…。
 彼ならまだ、工房にいると思いますよ」




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