時空橋編(33)


 現在、カシェとマホガニーにはルーから何の知らせもない。
 片方は長椅子に背中をもたれさせ、片方は奥の寝台で寝入っている、そんな状況を監視ぐらいはされていてもおかしくないが、何だっていい。
 カシェは杖を振って、部屋の周りに探知魔法を再び張る。

 カシェの部屋は、曲がりくねった細い一本道の突き当たりにあった。
 先ほどマホガニーがしていたのと同じように、床、壁、天井へと魔法を這わせていく。
 そうして一本道の終点、廊下との交点まで到達したとき見つけた。壁面に並んだ、極小魔法陣の集まりを。

 極小魔法陣には特徴があった。それぞれ、中心部に個別のルーベリー文字があしらわれているのだ。どうやら、この魔法陣の持ち主は暗号を解かせようとしているらしい。
 間に不要な文字があることにカシェは気付く。規則的に挟んであったダミーを取り除いたら、文字の数が半分に減った。
 頭の中で、残った文字を並び替えると短い文言ができた。

『相談。あとで』

 カシェは溜息をついた。 
 前にも似たようなことがあったから。あのときはルーベリー文字の順番に並んだ足跡代わりの極小魔法陣から、カシェが居場所を伝える語句を残して不要な魔法陣を消し去ったのだ。
 いわば、極小魔法陣を文字のやり取りにも使えると、カシェが教えたようなもの。
 持ち主、エミウル・オシャーンに。

 いったい、いつどこで何を相談するつもりなのか。
 何も伝えてこないのだからエミウルも決めかねているか、あるいは知らされていないのかもしれない。
 それでもこんな時に相談事があると伝えてきたのだから、事情があるのだろう。側頭部がぴりつくように痛んだので嫌な予感はする、が。
 カシェは杖を手に、極小魔法陣を間引いた。
『わかった』
 と、残して。


  ***

  コーレニン北部 箒専用通路内

『ルー様。報告があります。いつの時代からか、ルーベリーに関する本が減っているようです』

 ルアンの魂系の長、ルアンの仮住まい。
 余裕のある広さの部屋だ。机や寝台といった普段使いの家具が並んでいても、まだ余裕がある。中央には、小瓶や本や天球儀、さまざまな道具を綺麗に並べた飾り棚があった。
 ルアンは飾り棚の隣に膝を置き、側板に指で文字を綴っていく。
 文面は、ルーへの報告だった。

 文章を送るごとに、すぐにも文字が消えた。相手が読んだという合図らしい。
 後ろからは後代たち、プナハとラィが文字のやり取りを追っているようだが、ふたりがどんな表情をしているのかは分からない。しかし背中に感じる視線から、どこか不安げな感情をルアンは拾い取った。
 不安で懸念が山積みなのはルアンも同じだ。

 思い返せば昨日のこと。

 ルーベリーに関する書物が明らかに減っている。その事実に気付いたルアンの魂系は、図書館のオシャーンを頼った。書物を探してほしいと。
 書物探しの結果、一部の書物がルーベリー語から書き換わっていることが判明した。それも他の言語にではなく、文字化けして読めなくなっていたのだ。
 しかも、探し出した書物を数えても、ルアンの覚えている冊数には遠く及ばなかった。

 その後、指令書を通してその来訪者の知らせを聞いてから、ルアンとプナハとラィの三人は早々にルアンの仮住まいに戻ってきていた。
 三人とも夕刻の頃には就寝した。
 早く寝た分、三人が起きたのはまだ日付が変わる頃、真夜中だった。

「私たちが来て二日目ね」
 呟いたのはルアン。
 隣でプナハがこっくり頷く。その顔は、直前まで夢見ていたかのように眠たげだ。
「今日もあちこち歩き回るのでしょうか?」
「そうせざるを得ないわね。外の人も魔法使いよ。ここが特定される可能性もあるわ」
 話しながら、ルアンは仮住まいの部屋を見渡した。戸棚にはお気に入りの服が掛かっている。友達を招いてあの机でお菓子をつまんだこともある。この部屋には思い出がある。
 視線をぐるりと一周させたところで、反対隣のラィに目が留まる。
 彼は後頭部から、卵色の毛束を垂らしていた。昼間は帽子に隠れていたが、ルアンと色合いや長さの似通った髪を見ていると、なんだか彼が後代だという実感を裏付けているように感じた。

 まだ眠たげなのはラィも同じ。目がゆっくり開いて、閉じかけつつもまた開いていく。
「ルーベリーも……」
「かもね。行き方に風土に、文明は……どうかしら。でも知られてしまうのは時間の問題だと思う。それか、すでに知られているか」

 ルーベリーの文明が失われたとされるのは、魔法族の2代目が生きていた頃だ。早くて2代目の時代には、ルーベリーに関する書物に異常が生じていた可能性が考えられる。
 しかし、プナハとラィがこう話す。
 337代目プナハの過ごした240年間、1000代目ラィの過ごした15年間において、失った書物を探したり、表記の崩れを直したりといった指令を聞いたことがないのだと。
 同様の指令は他の世代にも出されてこなかったのだろう。どこかの時代で魔法族の誰かがルーに掛け合っていそうだが、直っていないのが現状だ。
 指令が出されていない。修復の手立ても不明のまま。それは、ルーの長きに渡る放置を意味していた。

 後代達の話す現状から、長のルアンはこう判断した。ルアンの魂系、単独での情報収集は困難だと。
 ラィの持つ『鍵』を通じてルーに持ちかけると、筆談を提案された。
『聞き間違いを防ぐべきなのだろう?』
 ルーは言ったが、その真意はわからない。ともあれ専用の魔法を繋げてもらい、現在に至る。


『ルー様』
 ルアンは指先を棚の側板に滑らせて、文字を綴る。
『ルーベリーの歴史が隠されているものと存じますが、ルー様は何かご存知でしょうか?』
 文字が消えた。
 しばらくすると、側板に文字が現れた。指令書と同じ、ルーの筆跡だ。
『さあな。歴史の埋まらぬ状態でルーベリーを守るのは不可能か?』
 ルーの文字に重ならないよう、隙間にルアンは再び文字を綴る。
『不可能では……ないと思います。現在のルーベリーですら、すべてを把握しきるのは難しいでしょう。ですが、納得できるかどうかは別問題です。見つからないのではなく、隠されているのです。そこに重要な何かが眠っているのではと考えずにはいられません』
 文字が消えた。
 ルアンは綴る。
『それに、ルー様がご存知で、相手組織も得ていながら、魔法族の知らない歴史だという可能性だってあります。これは隙です』
『どうだろうな。ラィ、いるんだろう? 来なさい』
「は、はい」
 思わず返事の声を上げて、ラィが側板の前に落ち着いた。

『ルーベリーで遺跡を目にしただろう?』
 ルーの問いに『はい』と綴りを返すラィ。
『湖の国の』
 と綴り、少し考えてから続ける。
『異空間にて』
 と。
『その遺跡で見つけた土産物が、ルーベリーの歴史でもあるんじゃないか?』
『土産物?』
『ああ、別に綴らなくても構わんぞ。三人で話し合いなさい』
『はい』

 文字が消えたのを見届けて、ラィがルアンに振り返った。
「ヒントしか貰えなかった。ごめん」
「仕方ないわ、ルー様だもの。それでラィ、土産物に心当たりは…………ない、わよね」
 ラィがこっくり頷いた。
「遺跡から持ち出せたのは記録魔法瓶だけ。ほかは何も持ち出せなかった」
「持ち出せなかった……魔法がかかっていたの?」
「多分。手に持っていたはずなのに、異空間から外に出ると消えちゃって」
「消えた物はどこかに移ったの?」
「異空間の元の場所に」

 おそるおそるプナハが尋ねる。
「えっと……ラィさん、逆のことはできたんですか?」
「できなかった。外から持ち込めたのは、僕達の魔法道具だけ」

 質問者がルアンに戻る。
「ラィ。記録魔法瓶はどうして持ち出せたの?」
「瓶のあった石碑に、詩が刻まれていて」
「詩?」
「うん。あのね」

 その詩が描いたのは、
 月と太陽の光が交わり、
 風が大地を吹き抜けて、
 生命の音がこだまする、
 どこまでも広がる空の下にうまれた、小さな世界の景色だった。

「詩の示す景色をひとつひとつ記録魔法瓶に集めて」
 ラィは懐から宝石を取り出した。
「すべてが揃ったとき、この『鍵』が現れた」

 宝石は、まるで澄み渡る空を映したかのような色。
 それは時空を超えてルーベリーからコーレニンへと橋渡しをした『鍵』にほかならない。

 宝石を彩る華奢な金属装飾にも、ほんのり空の色が写っているようだ。
 小さな小さな空。
 こうして見せられると、通話に使った時とはまるで意味合いが変わり、そして、目に映る色彩が変わってくる。
 かつて歩いたルーベリーの空に想いを馳せてか、ルアンはおもむろに瞼を下ろした。
 そうだったの、と呟いて。
「私はその詩に見覚えはないのだけど、文明があった頃からそこにあってもおかしくないわ」

「魔法も同じよ。ラィの話す記録魔法瓶と同じ物は見なかった。けど、何かを残すための魔法は百万年前からそこにあったの」

「もしかすると、もっと前から魔法はあったのかもしれない。1代目の魔法族はね、ルーベリーに『魔法を残すための魔法』を伝えて────」

 ルアンの顔から、赤みが引いていった。

「過ちだったのかしら」

 文字もまた、何かを残すためのもの。
 その文字が壊れた。
 文明も失われた。
 残してはいけなかったのだろうか。
 それとも、残し方がよくなかったのだろうか。

 コーレニンには文字が残り続けているのに。
 しかも、かつてのルーベリーで使われていた古代語が。
 文明喪失以降、新しく使われ始めたルーベリー語も。
 ルーはあくまでルーベリーの言語として、魔法族に教えてきた。

 まるでルーベリーのためにコーレニンが存在するかのような位置づけだ。そんなの幾多もの『指令』を通して知っているから今更なのだが。

 なのに、文明の実態をコーレニンに残すことが許されなかったなんて。
 もしかして、文明の育みを助けてはいけなかったのだろうか。
 魔法族はルーの言う通りにしてくれば良かったのに、文明との向き合い方は違ったのだ。
 ルーベリーでの自由を許されて、魔法族が考えて、ルーに相談せずに手を貸して、望まぬ結末を迎えた。
 もしかすると、魔法族の存在は────

「ルアンさん?」

 顔を覗き込むプナハに、はっと我に返った。

「あ……ええ、ごめんね」
「いいえ、でも難しそうな顔をしていらっしゃったので……」
「そうね……難しいわ。悩みごとが増えちゃった。みんなで考えないといけない課題もありそうよ。けれど、まずはルー様の指示をおさらいしましょ」

「はい。えっと、歴史の埋まらぬ状態でルーベリーを守るのは不可能か、と仰っていました」
「うん、そうね。答えは『知らないことは知らないままで守りなさい』だと思うの」

 プナハが小首を傾げる。
「知らなくてもいいんですか?」
「おそらくね。ルー様が守ろうとしているものは、私たちの知らないものなのかもしれないの」














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