時空橋編(32)


  コーレニン図書館

 ちょうど、天井の吊り明かりがまたひとつ灯った頃。
『まだこんなに暗いじゃないか。そんなに急いで何を聞きたいの?』
 ルーの魂系999代目のリュマールは、マホガニーという後代と、カシェという先代を前にして、どんな顔をしたらいいのか分からない様子の面持ちだ。

 そんな彼に、マホガニーは迷いなき目で問いかける。
「他魂系、地球に行った999代目について、リュマールは知ってる?」
 聞いて相手は失笑した。
『知ってるよ。リヴィエ・シューナにフーラル・ウェイウィーアだろ? 何を話せばいい? 性格? それとも経歴?』
「どちらも聞きたい。だけどその前に、もし知っていたら教えてほしい。彼らと関わったという【時空自在取引局】について何か聞いたことはある?」
 リュマールが腕を組んだまま、少しばかり頭を後ろに傾けた。その顔からはもう、戸惑いの色が取り払われていた。
『あるもなにもだよ。なんでこれまで触れなかったのかって思った? もしも君が指令で関わることになったとき、情報の雑音になりかねなかったからだよ。当局の様相が僕らの時代とまったく同じとは限らないからね』
 厳しい口調に、マホガニーの顔が静かに強張った。直近の先代とあって日々常々こうした言葉を浴びていながらも、未だに慣れない。
 リュマールはというと、気圧される後代の顔なんて見慣れているようだ。だったら直してくれてもいいのに。
『だけどそんなこと言ってられない状況なんだろ? いったい何が起きているのさ?』

 マホガニーは声を落として相手に告げる。
「【時空自在取引局】の関係者がコーレニンに来た」
『侵入じゃなくて?』
「ルーが許可した。昨日やってきて、今は異空間に隔離中。別の異空間にはフーラルとリヴィエが待機している。夜が明けたら交渉に入る予定だって」
『最前線じゃないか。あのふたりにまともな交渉ができると思えない。あっ、だろうなって顔したね? もうボロを出したの?』
「来訪者を意図せず異空間に閉じ込めた」
『怪しいモノに寄ってくる探知機か何かなの? どうせ今回はルー様が利用したんだろ?』
「だと思う。味方をも欺きかねないように感じた」
『あのふたりが? 正しておくけれど、彼らは狙わないよ。ほら』
 リュマールが控えめに指さす先はカシェ。
 マホガニーが振り返って見るなり、ああ、と納得して向き直る。
 こんな時だけあっけらかんとした後代に呆れてか、リュマールは溜息を吐き出した。
『だから厄介なんだよ。ふたりを手懐けられるひとがいれば別だろうけどさ』
 もう何も期待していないかのような口ぶりだ。
 だからこそ、リュマールの息はふいに止まった。
「いるかも」
 と、マホガニーが答えたから。
「【取引局】の関係者がひとり、コーレニンの味方についている。フーラルやリヴィエと旧知の仲らしいけれど、僕らは素性をよく知らない」
『……残念だね。僕もそこはよく知らない』
 声が微かに揺らいだ、が。
『だけど、もしもあのふたりを追いかけてきたのだとしたら、相当な懐の広さと執念を持っているはずだよ』
 リュマールが紡ぎ出したのは、唯一ともとれる希望を前にした賭けの言葉だった。

 彼は言う。
『必然を創り出すのは執着だよ。──って教えてくれたのはカシェなんだけど』
 取引局の関係者テナがフーラルとリヴィエを追いかけてきた構図は、一方通行ではない。
 フーラルとリヴィエもまた、テナと待ち合わせてこの時代に来た。執念に応えたのも、また執念である。
『自由奔放とも言えたふたりだけど、彼らが自由を貫いたのは譲れないものがあったからだろうね。せっかくだから聞いてってよ』
 リュマールは語る。偶然同じ世代に生まれた魔法使いの経歴を。
『リヴィエ・シューナ。専門は植物魔法。交配や合成もかなりの数をこなした。地球に行き続けた理由を聞いたら、緑の溢れる世界を見続けたかったんだってさ。
 見るだけでは飽き足らなかったようで、地球から種を持ち帰っては部屋で育てていたよ。そうするうちに部屋を植物で埋め尽くしてさ。それでもすべてを管理できるだけの才能と魔力があった。
 魔力の高さは魂系の特性だろうね。不安要素にはならないはずだよ』

 偶然から始まった縁は、いつの間にか切り離せないものに。

『それからフーラル・ウェイウィーア。専門は炎魔法。口先ではリヴィエが心配だからついて行ってるなんて話していたけれど、帰ってくるたび料理の腕を上げていた。とはいえ材料がないとどうにもならないからさ、待機中の食糧支援は必須だろうね。
 彼も魔力は高いけど定着性を補わないといけない。補助魔法道具を使う選択肢もある中で、彼が選んだのは技術の錬磨だった。
 数式魔法を好きな形に固められた運の良さもあるんだけど、魔法の矢を作って弓で射る、炎魔法以外ではそういう魔法のかけ方をしていたよ。
 交渉の場で弓矢を使うことはないだろうけど、そもそも持ってこない可能性もある。もし困るようだったら助けてあげて』

 マホガニーは心の片隅で、リュマールの語ったふたりと魂を同じくする同世代、ズィナとベベルを思い浮かべていた。生い立ちが旅どころではなかった者と、かつて共にルーベリーを旅をした者と。
 リュマールは一度としてコーレニンを離れなかったようだが、彼はどんな思いでリヴィエやフーラルを見送ってきたのだろうか。彼が抱えてきたものと、今ここで口を開いた意味を、マホガニーは頭の中で何度も繰り返して考えた。
「──ありがとう。僕らは監視任務に就いているから参考にさせてもらうよ」
『そっか。気をつけてね』
 リュマールが返事をしたすぐ後のこと。
『失礼するよ』
 と言って、写真に先代が入ってきた。
「ルセット」
 誰よりも早くその名を呟いたのは、カシェだった。

 ルセット・ルー。2代目の彼も、ルーの魂系に通ずる真紅の瞳を持っていた。耳の辺りで丸かった癖毛は、リュマールのそれよりも少しばかり色が淡い。
 世代の傾向もあるのか格式張った服装は、この場に集う四名の中でも異色だった。
 服装に劣らぬ端然とした立ち姿で、ルセットが微笑む。彼はリュマールの頭に手を乗せて、平たい声音で問いかける。
『蔵書の異変について話しておいてもいいか?』
『待って』
 写真の中からリュマールは、高く並ぶ書棚の列を視線の動きだけで見渡した。その眼差しはまるで、眼前のふたりに話そうか話すまいか、最後の迷いを確かめるかのよう。
 しばらくして、
『いいよ』
 と、半歩下がった。

『リュマールが教えてくれたことだ』
 と、前置きしてからルセットが語り始める。
『図書館には地球の書物も多く入っている。語学や数学に幾何学、天文学や化学に物理学、私達が知識を身に付けるためにはほぼ必須の蔵書群と言ってもいい。
 しかし直接的には不必要ともいえる分野の蔵書もある。たとえば哲学や民俗学。手にしたことはあるか?』
 カシェとリュマール、それから自信なさげにマホガニーが頷いた。
「何十冊もないし、読み切れていない本もある」
 と、マホガニー。
『構わないよ。その中の──そうだな、歴史書といおうか。999代目の時代に多くが置き換わったそうだ』
「置き換わった?」
 聞き返したのはカシェだった。
『ああ。リュマールの専門は治癒魔法由来の水魔法。指令を通して地球や人々に関わったことも少なくない。
 しかしだよ。彼の知る事実と記録の食い違いが、ままあったようでね。ところが月日を経ると』
「……正しい記録に置き換わった」
 考え込む様子でカシェが呟くと、ルセットが『その通り』と返した。
 間もなくマホガニーが口を開く。
「リュマール。ルーには知らせたの?」
 相手は首を横に振って、ルセットの後ろに回り込んだ。半身を隠した状態で、先代の上着を掴んでマホガニーに訴える。
『するわけないだろ? 世代交代を迎えるまで本の置き換わりが止まらなかったんだよ?
 998代目の時代も置き換わりは起こっていただろうし、現代だって続いているはずだよ。
 僕が知らせたとして、ルー様の本意じゃなかったらどうするのさ?』

 後ろ手にルセットが、リュマールの頭に手を乗せた。
『彼は耐えたんだよ。私達の手が届くということは触れてもよい、閲覧は認められているということ。だからといってルーに尋ねるべきとは限らない』
 正面でマホガニーがおずおずと頷いた。
「だからルセットも、ルーベリーの文明の喪失については……」
 途切れた。
 ルセットが悲しそうに微笑んだから。
『私も耐えてしまった側だ』
 その一言に、後悔が滲み出ていた。
 ルーと魂を分かつ存在であっても、彼はルー自身ではない。ルーの考えを何もかも読み取れるわけではない。だからこそ答えを知りたければ疑問を打ち明けるべきで、だからこそ考えを知ってしまうことを恐れた。
 己の輪廻を知っているが故に、動くべき時は今ではないという選択肢が生まれてしまった。ルーに見守られて歩んだ千年を、魂の本に眠る九十万年超を、沈黙に委ねた後悔が、滲み出ていた。

 マホガニーは何も返せなかった。
 カシェも、何も言わなかった。
 その理由を、マホガニーは知っていた。数ヶ月前にカシェと話したときのことだ。

 ──「ルーベリーとルーの関係について話す者はいたか?」
 ──「誰……も」
 ──「『俺』ですらも、両者の関係を明かさなかったのか?」
 ──「何も聞いていない。だけどルーベリーで知った事を話したとき、先代の何人かは『やっぱり』と言った」

 世代交代後のカシェもまた『耐えてしまった』側にいた。その事実が当時の彼にとって不本意だったであろうことは、聞かなくても想像できる。
 この沈黙に、先代のルセットも勘付かないはずがない。魂の本の中では2代目としてルーの代わりに、世代交代を終えた後代達を見守ってきた立場なのだから。
『……何かが間違っていたのだろうね。私は生き終えた存在だが、同じ過ちを繰り返したくないと思っているよ』

 彼の言葉は、まるでひとりごとのようだった。
 それでも誰かに訴えかけるような、誓いを込めた願いに聞こえた。

  ***

  コーレニン北部

 部屋に戻ってから、何気なくマホガニーに尋ねてみた。
「もし俺が断っていたら、ひとりで行くつもりだったのか?」
 憂さ晴らし半分、関心半分。もしも彼がひとりで深夜の図書館に行き、2代目や999代目と言葉を交わしたとして、どんな回答を持ち帰ってくるのか、途端に興味が湧いた。何を身の中に隠し、何を俺に預けて、何をルーに明かすのか。そうしたことが起こる可能性を、マホガニーはまったく考えなかったらしい。
「まさか。僕にあの結界を解く術がないのは行く前から分かっていたよ。それに僕はカシェから離れたくない」
「またそれか。何なんだ?」
「カシェは僕にとって頼るべき相手で、守るべき相手だから」
 外した帽子を胸にマホガニーは、長椅子に座る俺の目を見下ろしてきた。

「カシェの安全を一番にとるなら、元の時代に帰るよう懇願すべきだったかもしれない。だけど僕は、そうしなかった」
「なぜ?」
「一緒にいたかったからだよ。また会えるなんて思わなかった。だけど元の時代には大切な相手がいるだろうし、カシェを大切に想う相手もいると思う。後に続いた僕の先代達にも、きっと大切な相手がいたと思う。
 彼らすべてのためにも、この先のコーレニンのためにも、僕にカシェを守らせてほしい。カシェにも助けてほしい」

 わかった、とも、好きにしろ、とも、何も返しようがなかった。
 一方でマホガニーは迷うことなく寝台へと向かっていった。
「言ったら気が済んだよ……おやすみ」

 おやすみ、と返した俺は、頬杖をついて虚空を見つめた。

 もう昨日のことになる。深緑の後代は俺達に『ルーベリーの隠された歴史を教えてください』と言った。
 なぜ、そいつが歴史に踏み込もうとしたのか。事の発端は、ルアンの魂系にあった。
 ルーベリーに関する書物が、この数十万年の間に著しく減っていた。そこに気付いた彼らは図書館の主オシャーンを頼った。

 オシャーンは書物探しの頼みを承諾し、伝言を深緑の後代に託したのだろう。だからあいつは俺達に、ルーベリーの歴史について聞きに来た。その手には、ルーの魂系の『魂の本』を携えて。
 図書館から他魂系の本を持ち出すなんて、オシャーンが見逃すとは考えにくい。
 彼もまた、隠された歴史を探ろうとしているのだろう。行けたはずのルーベリーに、興っていた文明を目にしに一度も行かなかったというのに。

 オシャーンは知る由もない。後の時代に文明を滅ぼしたのがルーであると。
 ルーの指令を受けて、何百年とルーベリーの海の生命も育み続けたオシャーンには分かるはずがない。 
 あの土地に、思い出すな、思い出すな、と魔法をかけ続けた俺の心境なんて。
 自分の選んだ道ではあるが、そのような手段でしか外の世界と関われなくなった経緯なんて簡単に理解されたくもない。

 だが、現在のルーベリーについて少しでも知ろうとすれば分かるだろう?
 湖の異空間も。風の国の廃城も。違和感を生み出す、いくつもの存在を。
 きっかけだらけなのに思い出さないなんて、誰も不自然だと思わなかったのか?

 皮肉だと思ったさ。
 近くで眠る後代が旅先の景色を小瓶に残してきたように、俺は、あの土地の『何も知らない』という記憶を残し続けてきたんだ。本来ならごく限られた長さになったであろう時間をとうに超えてさ。

 他の世代では、適任がいればそいつが。
 いなければルーが。
 ルーベリーの綺麗な無知を維持してきた。
 真実から遠ざけたいなら、遺物を許さなければ良かったんだ。

 周りが歴史の歪みに気付き始めている。
 俺達もまた、気付けなかった歪みに触れようとしている。
 ルー、どうする?











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