時空橋編(31)


  コーレニン北部

 かつて337代目の時代にカシェが使っていたという部屋で、マホガニーも夜を過ごすことになった。
 監視対象デニアが異空間に隔離されたことで、ルーから監視中断を言い渡されたカシェとマホガニー。ふたりは体力回復のため、早々にこの部屋に入っておくことにしたのだ。
 部屋の奥には緩く仕切られた小部屋があり、そこが寝室となっている。カシェは数ヶ月前に1000代目の時代を訪れたときにもこの寝室を使ったらしい。今回もさも当然のように同じ場所で休んでいた。
 マホガニーはというと、部屋の手前側にある長椅子に、布団を被って横になっていた。長椅子は玄関と向かい合わせて置いてあったので、扉が視界に入る。マホガニーは自分の身体と同じぐらい大きな杖を抱いて、魔法を通してさらにその先、扉の向こうに続く細い廊下を見つめていた。

 目を開けていたのは、ふたりの就寝をずらすため。そして、カシェを連れ出す機会を窺うため。自分の睡眠は用事が済んでからで構わない。図書館に行ける機会は今しかないだろうから。
 図書館に夜間の見張りが就かないのは幸運だった。日中帯の見張り、オシャーン、パルメザン、クオノの三魂系が帰ってから、翌朝再び集まるまでの間は人目を避けられる確率が上がる。
 そこに自分とカシェが就寝を交代するタイミングを合わせれば、文句の付け所もあるまい。実際そのおかげで説得に成功した──と言いたいところだが、カシェもマホガニーと同じことを考えていたようだった。

 ルーはともかく自分達は、デニアと直接対峙することになる999代目についてよく知らない。
 だから、夜明けにルーの指示を受けて監視を再開しても、交渉の監視は難しい。
 と。

 必要に応じて適切に援護するためにも、魂の本に眠る先代に話を聞きに行く必要がある。
 魂系における今後のことだって、自分達ふたりとルーだけで決められることではない。それは他の魂系にとってもきっと同じ。
 だからこそ、今だからこそ、ルーと魂を分かつ自分達が動くべきだとマホガニーは心に決めていた。

 そうして、その『タイミング』は訪れた。
 廊下の行き止まりにあるこの部屋から、いくつも曲がり角を経て、図書館の裏口に行き着くまでの探知が完了したのだ。
 長椅子の座面に手を突いて、マホガニーは身を起こす。振り返ると、起こしに行くまでもなく身支度を済ませたカシェの姿がそこにあった。
「カシェ!」
 喜びを隠しきれず頬を上げると、カシェは『起きただけなのに?』と言いたげに軽く視線を逸らした。

「本来ならあいつから本を奪い返したかったんじゃないか?」
 カシェの言葉に、マホガニーは「まあね」と苦笑した。
「ズィナだよね。彼が魂の本を持ってきたときに理由を並べて引き取ることも考えた。だけど僕らが持っていたら、わざとでなくても本を開くことができてしまう。
 もしもそれが部外者のいる場所だったら、魔法族を形作る魂の輪廻が露わになりかねない。
 他魂系が持っていたほうが安全なんだ。悔しかったけれど見送った」
 外套の下で腕を組んで聞いていたカシェは「なるほど」と返した。
「やけに思考が重なるな。準備はいいか?」

 記録魔法瓶の入った鞄を提げて、マホガニーは頷いた。


  コーレニン北部 図書館裏口

 図書館の裏口の扉は、蓋とも言い表せるぐらい低かった。北東部の正面玄関に対して信じられない小ささだ。魔法族は五歳になる前に全員が図書館の使い方をルーに教わるが、この裏口を知る者、ましてや普段使いする者は半数もいないだろう。
 マホガニーとカシェも普段使いしない側の魔法族だ。理由はいくつもあるが、どれもが『絶妙な使いにくさ』に集約した。
 しかし、それは日常の話。異常事態の今に限っては『目立ちにくい』『部屋から近い』という利点が勝る。

 カシェが扉に杖を近づけると、すぐに分かったらしい。
「お前が探知したとおりだ。結界に守られている」
 そう話す語末が尖っていた。針先にあるのはこの結界を張った者だろう。ルーではない。ルーだったら文句を言っている。
 マホガニーの探知では、魔法族の魔法であることが分かっていた。仮説として図書館班の誰かだとすると、魔力に乏しいクオノの魂系を省き、経験の浅いズィナを除き、パルメザンの魂系かオシャーンの魂系に絞られる。
「もしかして、オシャーン?」
「正解。まだ新しい結界だ。俺達が来る間にかけ直したんだろう」
 魔法を使ってまで守りながら、こうしてふたりが結界にほとんど接触している状況にも関わらず、様子を見に来る気配がない。
 一見、矛盾した放置ともいえるが、この結界は図書館の侵入者を捕らえることが目的ではなさそうだ。結界には魔法遮断の効力も付けられるから、どちらかというと召喚魔法や移動魔法などから書物の流出を防ぐための結界なのだろう。そう考えると、わざわざオシャーンが来ないのにも合点がいく。
 ここまでカシェもとっくに考えが及んでいる様子だが、それにしては扉を睨む目つきがどこか恨みがましい。
 図書館への入館は不可能なのか? ここに来て引き返すしかないのか? オシャーンに入館を許してもらわないといけないのか? 今の時間、図書館は誰の管轄でもないのに?
 マホガニーがそう考えた矢先。

「──だったら利用させてもらおうか」
 カシェが手首の動きだけで杖を振った。
「入れ」
「うん!?」
 呪文も何もなかった。杖魔法にも無詠唱魔法があるのは知っているが、ここまであっさりしているのか?
 半信半疑で取手に手をかける。いとも簡単に扉が開いた。

 呆気にとられるのも束の間、マホガニーは急いで入口の滑り台を下りる。鞄は膝に抱えていたが、大きな杖を持っているうえに、外套がごわごわして滑りにくい。つんのめるような格好でなんとか着地した。
 見上げると、続いてカシェが中に入るところだった。彼は扉に杖先を一瞬だけ触れさせてから、片脚を軸に滑り下りてきた。

 立ち上がったカシェは、杖を宙にかざす。
 間もなく、館内の空間を撫でていく、透明な襞のようなものが見えた。
「二重の結界……?」
 マホガニーが呟くと、カシェが「そうだ」と返した。
「館内の会話が盗聴されたら堪らないからな」
 たしかに、とマホガニーは頷く。
「それならカシェ、結界に入れたのは?」
「操作権を俺に移した。やり方でも知りたいか?」
「そりゃね。あとで頼むよ」
 何をどのように解析し、何をどのように組み換えたのか、簡単そうでも手順が複雑であろうことは目に見えていた。

 図書館に裏口から入るのは奇妙な感覚だった。滑り台を下りてすぐ書棚の群れが迫る。この暗闇の中では、書棚が鬱蒼と生い茂る木々にも見える。しかもこの辺りの天井は低い。重たく覆い被さってくる。
 つい、いつも使う正面玄関と比べてしまう。こちらは吹き抜けの天井と、広々とした閲覧机の並ぶほうにある。だから図書館に入るとき、玄関の大扉を開けて、広さを一望してから書棚の集まりに入っていく、という流れができ上がっていた。

 マホガニーは、頭上のバルコニーが終わる辺りまで進んで、館内を見渡す。書棚に埋もれた中からも、高い天井にひとつ、吊り明かりがぽっかり浮かんで輝くのが見えた。
 さらに歩くと、カシェが別の列に入るのが足音でわかった。
 マホガニーはさらに歩く。閲覧机と書架を区切る位置にある、曲線をふんだんに使った装飾の、特徴的な書棚が目的だった。
 ここに72魂系、歴代の先代達が眠る、魂の本が収められている。

「ルミニー」
 呪文を唱えると、紅樹杖の先が小さな光を灯した。
 この光を頼りに、背表紙の中からルーの魂系の本を探す。探すと言っても魂系名がルーベリー文字の順に並んでいるので、いつもと同じ場所にあるのかを確認するだけだ。
 そして真ん中辺り、やはりいつもの場所に、その魂の本はあった。
 背表紙に手を掛けたところで、後から来たカシェが「こっちだ」と小声で行く先を示した。

 取り出した本を抱えて、光を消した紅樹杖をもう片手に、マホガニーはカシェについて歩く。
 この時間帯で、書棚の側面に明かりの灯る場所を探しておいてくれたらしい。明かりの下には小卓があり、そこに魂の本を乗せた。

 裏表紙から魂の本を開き、対面したのはルーの魂系999代目。
 いくらか色の褪せた写真からも色彩を感じ取れる、赤葡萄色の癖毛に、長い睫毛に縁取られた真紅の瞳が彼の特徴だ。
 布の余る袖を折り重ねるようにして腕を組む、堂々としたその姿に向かってマホガニーは呼びかける。
「リュマール」
 と。

 リュマール・ルー。彼は眼前のふたりと、ほとんどの明かりが消えた館内とを交互に見て、片眉を上げた。 
『マホガニーに……カシェまで、なんで? 何があったの?』











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