時空橋編(30)
昨日の世界。明日の世界。
一本に続く『時』の流れに過去や未来を重ねられるのは、その一本線がこの土地で、どのような形となって現れるのかを知っているからなのだろう。
『時は一本の軸を成している』
という前提も、あらゆる生命が意識と無意識の観察を続けて発見した法則といえよう。それは共通認識として束ねられ、やがて世代を超えた秩序となった。
個々の生命はそれぞれ、時の糸を持っていた。
同じように時空もまた、時の糸を持っている。
糸の異なる見知らぬ土地で、縫い目をひとつ見つけたとして、その糸が長く続いているのか、それとも途切れているのかは分からない。
糸に触れて、指を掛けてみるまでは。
***
暗闇の廊下で、デニアスフィーナ・ヒスクスフは辟易していた。
体感は初冬の気温なのに、待ち人を迎えるべく扉の前に突っ立っていると、石畳から靴底が冷たさを吸い上げて、足首がじわじわ凍っていくような感覚がした。
ときおり足を動かしながらも待てど待てど、誰ひとりとして付近を通らなかった。足音どころか物音すら何も聞こえてこない。
変わったことといえば景色の明度ぐらいだ。もともと薄暗がりだったのが、終いには近くの曲がり角もよく見えないぐらいに暗くなっていた。
諦めて部屋に戻ったデニアは深い溜息をついた。
「まったく、あれはどこ行ったのよ?」
あれというのはリヴィエ・シューナのこと。彼は話の途中でいなくなったきり、ちっとも戻ってくる気配がない。
部屋の外では随分長く待ったはずだが、部屋の中はどれほど時間を経てもその明るさを変えることがなかった。窓を開けて空模様を確かめようにも、その窓すらない。代わりになのか、壁には鏡が掛かっていた。窓枠とは異なるが、木枠で縁取られてはいる。鏡には部屋を広く見せる効果もあるが、明かりの照らす空間の色すら変わらない景色を映したところで、ただただ部屋の景色が虚しく引き延ばされたように感じるだけ。
そんな部屋を灯すのは、柱に掛かったランプ。見上げてみると、明かりがじんわりデニアの頬を熱くした。器の中で、形のない光が不規則に揺らめく様子は、しばらく眺めていると時の軌跡のようにも見えてくる。代わりになのか、時計はどこにも見当たらない。
変わることのない、時を計る道具すらない部屋には、夜なんて訪れないような気がした。もしかすると部屋の外、廊下の暗闇こそがコーレニンの『夜』なのだろうか。
とんだ国に飛ばされたものだ。
デニアの出身であるヴェイスは、様々な時空との繋がりを持っていた。この恩恵を受けた時空自在取引局員として、デニアはこれまで数々の時空を訪れてきた。その中には夕陽を燃やし続けて夜の訪れを拒む国もあったし、ヴェイスの中には長い夜を編み続ける国もあった。地球にも季節によっては日の昇らない地域があり、そこは、反対の季節に日の沈まない場所となった。
一方で、今は暗いコーレニンだが明るい時間帯もあった。大広間でルーファシーと予定外の茶会をしたときだ。あれを『昼』だとするならば、コーレニンには昼も夜もあることになる。とすると、両者を繋ぐ『朝』や『夕』もあるのだろうか。
たとえ時間の周期を観測できたとしても、この国に感じる奇妙な異質さを払拭できるとは思いがたい。周期の根拠となり得るような星々や空の色彩が見えないから、不安な気持ちになってくる。
これまでデニアが見てきた、あらゆる土地を覆っていた空は、当たり前のものではなかったのだろうか。
そもそも『夜』とは何なのだろうかと、虚空に問いかけたくなる。
コーレニンはふしぎな国だ。
あまりにも遠い世界だった。
この世界で集めるべき情報が底を突くことはないだろう。コーレニンに飛ばされたことで予定は狂ったが、情報を集める上でかえって有利にはたらく面もある。
いや、有利にしないとやっていられない。地球の暦でデニアが千年以上も生きられたのは種族の特性によるものだが、その時間を時空自在取引局に注ぎ続けてきたことには理由がある。
知ってしまったから踏み込んだのだ。地球と、時空の切り離されたふたつの世界に。
何も知らず地球支局に配属されてきたパシフットとは違う。
デニアが彼に『とある情報』を与えなかったのは、万が一に彼が逃げ出す可能性を考慮したため。しかし逃亡は杞憂だった。『担当としてコーレニン出身者と接触し、コーレニンとルーベリーの情報を集めること』という要請を受け入れて、彼もまた首を突っ込むことを選んだ。逃げられた隙間を自分で潰したようなものだ。
彼なりに地球やルーベリー、コーレニンについて聞き出していたようだ。上がってきた報告には、同一種族の住民達や精霊の存在など、興味深いものもあった。なのにパシフットは、終ぞ『とある情報』に行き着かなかったらしい。
──「そこまでして両時空を求める理由は何ですか?」
──「わかっているはずよ。ふたつの時空について情報を集め続けた、あんたならね」
地球で起こった時空の分裂は、偶然だとする説が有力だ。
しかしその発端は、誰かの魔法だとされている。
それは、ヴェイスという時空、特に公的機関である時空自在取引局が入手できなかった魔法。
ゆえに、最も欲している魔法。
それは『時間を巻き戻す魔法』だったのだと。
『遙か遠い昔、誰かが地球で時間を巻き戻したらしい』
その『誰』を特定しようがないから、この『情報』は憶測の域を出ていない。
それでもこうした情報は、ヴェイスの限られた関係者が代を替えながら受け継ぎ、精査し、明らかにしてきたものだ。
今回も、デニアがひとりで動いたところで魔法の手掛かりが手に入るとは思っていない。外堀を埋めつつ攻め落とすか。
手札に加えるべき情報はいくらでもある。
地球とコーレニンの関係。
地球とルーベリーの関係。
ルーベリーとコーレニンの関係。
ルーベリーに認めるも消えてしまった文明。
ひとつひとつを明かしていけば、どのような者が時間を巻き戻したのかも分かるのではないだろうか?
もしも魔法の名残があるのなら、再現可能な切り札を得られるのではないだろうか?
万が一、コーレニンで見つからなくても構わない。その場合はルーベリーへの経路を手に入れるまで。
どこかに魔法の片鱗が残っているに違いない。『時』はすべてを忘れきらないはずだから。
さて。
情報収集のため手当たり次第に魔法を張り巡らせることも一案だが、下手に動いては後に続く者達の道を塞ぐことになりかねない。なるべく個人の魔法を使わず偵察したいところ。
廊下が明るくなったら出歩いてみようか? 部屋の外にいても何も起こらなかったのだし、誰かが追ってきたとしても適当な理由を作ればいい。何にせよ、魔法で監視されていることを前提に動く必要はありそうだ。
考えを巡らせる中、デニアはふと、部屋の中央に鎮座する長机に目を留める。先程まで何もなかった天板に、いつの間にか封書が現れていたのだ。
「何なのよ?」
近づいて封書を手に取った。表面に書いてあるのはルーベリー文字。デニアの名前が書いてあるから自分宛で間違いない。差出人はルーファシー。
封筒に指を掛けると簡単に糊が剥がれた。まるで封の糊に意味はないと言いたげだ。これまで二回に渡って魔法を仕込んだ封書を送りつけた取引局に対する皮肉にも取れたが、さすがに考えすぎだろう。
装飾のない便箋には、このように書いてあった。
『話し合いの部屋をご用意しました。昼頃お迎えに上がります。
この国の昼とは、私達のいた大広間が陽光に包まれ、廊下の明かりも照っている頃を指します。
私達は日常的に、時の単位を日付までしか使いませんのでご容赦ください。
食事は届けさせます。好みがおありでしたら同封の白紙にご記入の上、室内のポストにお入れください』
かしこまった文面に向かってデニアは呟く。
「言うのが遅いのよ」
話し合いの席に誰が来るのか書いていない。誰が迎えに来るのかも書いていない。名前を教えられても誰だか分からないが、せめてどんな立場の者が来るのかぐらい知らせてくれてもいいのに。
デニアは飾り棚からペンを取ると、白紙の上を走らせた。
『地球支局の所在するナポリ近郊の料理を希望します。年代は問いません』
手紙の示した室内のポストというのは、扉の横にある箱のことだろう。
つまみを引いて蓋を開き、折り畳んだ返書を中に入れる。取引局にも同じような仕組みの設備があるので、特に違和感は覚えなかった。
所が変わっても、必要とする物は案外似てくるものらしい。
その礎となる文明が、この国に興ったとは思えないのに。
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