時空橋編(28)


『──ユイユ、あのね』
 耳に届いたララーノの声は、まるでどこかに置き忘れてきた優しさのようだった。

 コーレニン西部、工房。
 機械や作業台の並ぶ部屋の隅には、不釣り合いな見た目のダイニングテーブルが設えてあった。
 そこに座っているのはたったひとり、ユイユだけ。彼は両手で杖を握り、静かに俯いていた。

 彼は瞼の裏に思い描いていた。テーブルの斜め向かいに座る、ララーノの姿を。
 彼女は両手をテーブルに置いて、満面の笑顔でユイユに語りかけるのだろう。
 手元にはきっと、マシュマロを浮かべたココアが置いてあるに違いない。彼女は両手でマグカップを持って、ココアと一緒にマシュマロを頬張って──

『ねるとこだったらごめんね。おはなししてもいい?』

『いいよ。どうしたの?』
 ユイユの言葉は、直に発した声ではない。思い浮かべた声音と言葉を魔法に乗せる、対話魔法を使った内緒話。
 返事が和らいだ声音になったのは、ララーノの声に引き寄せられたからかもしれない。
 あとから、彼女の声がユイユの耳に届く。
『ズィナがね、はなしわすれちゃったことがあるみたいなの』
『一緒にいるの?』
『うん。わたしのお部屋にお泊まりなの。それでね、ズィナもおはなしに入れてほしいの』
『いいよ、繋ぐね』
 ララーノの部屋は東部にある。ユイユのいる西部からは地方を跨いで遠いが、先ほどズィナと魔法を使って話したのと同じ位置。
 とはいえ、この遠さで複数の相手と対話魔法を繋ぐのは初めてだ。相手ふたり、ララーノとズィナが同じ部屋にいるなら、いくらか魔法を繋ぎやすくなるだろうか。

 ユイユは杖を強く握り、もうひとりの相手に呼びかける。
『──ユイユだよ。お願い。届いて』

 すると、すぐに相手の声が返ってきた。
『ズィナです。再び失礼いたしますね』

 魔法の成功に、こんなにも安心するなんて。張り詰めていたものが息となって吐き出されていく。
『繋がってよかった。ララーノと一緒にいたなんて驚いたよ』
『彼女が私に頼んでくださいました。ユイユさんはお部屋にお戻りなのですか?』
『西部の工房でお泊まりだよ。さっき、フォンエがココアを淹れてくれたんだ』
『美味しそうですね』
 相槌を打つズィナの顔が思い浮かぶ。前髪の奥で、少しだけ瞼を下ろして、ララーノの隣で微笑んでいるような──

『うん、おいしくて温かい。フッセはぐっすり眠っているみたいだよ』
『そうですか。あの、ユイユさん』
 かしこまったズィナに合わせて、ユイユの背筋も僅かに伸びる。
 言葉の続きを待つと、相手の縮こまった声が届いた。
『先ほどは取り乱してしまい、申し訳ございませんでした。先代の態度もお詫びさせてください』
『そんな……ズィナが謝ることじゃないよ!? だけど、うんと……気持ちは受け取らせて』
『ありがとうございます。それから、話し忘れたこと、の前にひとつ確認させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?』
『確認?』
 ユイユが聞き返すと、ズィナが『ええ』と重ねた。

『ユイユさんが聞いたという祈り主の手掛かりは、班の中でユイユさんだけがご存知なのでしょうか?』

 どうしよう。
 うん、と言えない自分をユイユは後ろめたく思った。
 本当のことを知ったら、ズィナは悲しく思うかもしれない。
 だけどズィナは、本当のことを知ろうとしている。
 迷いを振り払ったユイユは、口を開くのと同じように、相手に言葉を送り始めた。
『祈り主の手掛かりは……ほかにも知っているひとがいる。一緒にいたのは、フッセとフォンエ、ウェイと後代のサントレットとベベル』

 うんうんと、相手の小さな相槌がユイユの耳に届いた。
『そうしますと、祈り主について皆さんに何と報告するのか、ユイユさんは困っていらっしゃるのではないでしょうか?』
『……うん、ごめん。実は悩んでいる』
 答えたところで、ユイユは気づく。
 この通話を始める前にフォンエが席を外したのは、祈り主についての話題になり得ることを予測したからだったのかもしれない、と。
 呼び出し元はララーノだったが、いくらユイユと親しい間柄であっても、魔法を使ってまで呼び出すのは珍しい。
 それも夜の寝る前に。
 ララーノはズィナと同じく図書館を担う班員だ。ユイユと話した直後にふたりの間で会話があってもおかしくない。
 と、フォンエは推察したのだろう。

 彼女の判断は正しかった。
 ユイユは片目を少しばかり開いて、先ほどフォンエが去ったほうを見る。暖簾の向こう、寝室の明かりはとっくに消えていた。
 もう、もう、どうして。ユイユは瞼をぎゅっと閉じこんだ。

 そのとき、ズィナの涼やかな声が届いた。
『わかりました。では、報告の着地点に向けて【話し忘れたこと】をお話ししますね』

  *

  コーレニン東部 ララーノの部屋

 私は毛足の長い絨毯に座り、家主の寝台に背を預けていた。家主ララーノが座るのは寝台の上。
 枕元の明かりがやさしく照らす中で、私達はユイユの言葉に耳を傾けていた。

『……本来なら僕が筋道を立てないといけないのに。ズィナ、ありがとう』

「いえ。ララーノさんも付き合わせてしまいますが、よろしいでしょうか?」
 私が振り返って見上げると、ララーノはこっくり頷いた。
「ありがとうございます。では本題に入りますね。祈り主と私は、ラィさんが開封したという当時の手紙を読んでいないのです」
 代わりに、と続ける。

「手紙と同時に一枚の紙片が落ちてきまして。
 【この手紙を必要とするひとの所に届けてください。そのひとは、自分がそこにいる事を、きっと疑問に感じています】
 と、書かれていました」

 私の耳に届いたのは、ユイユが『うーん』と唸る声。

『手紙の文面をね、ルー様から聞いたんだ。
 【貴方は本当の此処の住民ではないため、この国に住み続けることに疑問を抱いているのでは? 別の地へ行きたいのなら、その願いを叶えて差し上げましょう】』

 ユイユは話しながら考えていたようで、あとから『あっ』と、何かに気づいた様子の声が聞こえた。
『【シューナのほう】は、手紙を受け取るひとの願いが叶うことを、望んでは……いなかった?』

 やっぱり。
 彼は、祈り主に対する優しい誤認へ傾きかけていたらしい。
 すんでのところで腕を掴むのが間に合ったようで、私は安堵の思いで胸に手を当てる。
「ええ。それでも紙片のおかげで、どのような者に宛てた手紙なのかを彼は知っていたのですね。しかし、同世代の誰が当てはまるのかまでは見当がつかなかったのでしょう。
 祈りの言葉【手紙を必要とするひとが導かれるように】と魔法に込めたのは、最後の一押しを祈りに託すためだったのだろうと思われます」

『つまり……【シューナのほう】はもともとコーレニンの変化を望んでいた。手紙と出会ったのは偶然だった。
 彼は、手紙がコーレニンに変化をもたらしてくれると信じたし、そうあってほしいと願った。その願いが叶うように【祈りの魔法】を使った……ってこと?』

「……でしょうね」

 物事の変化は、時の流れによって生じる。時の流れがあるからこそ、変化が生じる。
 1000代目の皆がまだ小さかった頃、ルーが私達に教えてくれた言葉だ。

 魔法族の歴史が始まったばかりの時代、シューナも同じ言葉を聞いてきたのだろう。
 何をも信じられた心の器に、彼はその教えを注ぎ入れた。純真なせせらぎとして流れ入っていく様、それは美しかったに違いない。教えの言葉は彼にとって、目に見える景色を測るための指標となった。
 自分の生きるこの国で、彼は時の証を見出そうとしたのだろう。しかし探せば探すほど、彼の目に映る景色は、時の流れから切り離されているかのような虚しさに染まっていった。
 絶やすに絶やせぬ望み。憂いと焦りの狭間で、時は無情にも滞ることなく過ぎていく。
 やがて時は、彼をも置いていこうとした。千年が経とうとしていたのだ。この国は、その先も在り続けるらしい。遠い未来なら、さすがにこの国にも『変化』が訪れているだろうか。その目で確かめるため、遠い未来の生まれ変わりとなる私の身体に、彼は縋った。
 十年のち手紙に縋ったのは『変化』を追い求める延長に過ぎなかった。──と、そんなところだろう。

 なぜ1000代目の時代を選んだのかは聞いていない。キリの良い数字だったからだろうか。だとしたら、私でなくともよかったのだろう。
 真意を本人に尋ねる気にはなれなかった。何にせよ、生まれるだけでは満たされなかったところに手紙と出会えたのだから、祈り主にとっては幸運だったともいえる。
 行く宛を失った感情が、私に胸中で溜息をつかせた。

「──以上が、先ほど話し忘れていたことでした。さて、祈り主についての報告をどうするか、についてですが」
 祈り主の行いは終わったことではない。まだまだうんざりするぐらいの後始末が残っている。ほかの誰にも押しつけようのない後始末。
 二回目の溜息を飲み込んで、
「私が祈ったことにしませんか?」
 ひとこと、ユイユに告げた。

 彼の返事は早かった。
『嫌だよ。ズィナじゃないから』
「しかしですね。私の二重人格については、1000代目でも限られた者しかご存知ではないのです。何にも影響を及ぼさない一過性の症状ならともかく、国中とルーベリーを巻き込む現況に結びついていますので、いきなり二重人格を持ち出すと皆様の心象は良くないでしょう?」
 報告して相手の反応をはじめに浴びるのは、ユイユなのだから。
『でも、ズィナじゃないから』
 承知のうえで、彼は揺るがなかった。
『ズィナ。【君と】出会ってから図書館で読んだんだけどね。
 多重人格のことは、地球の事典と治療記録にも書いてあった。魔法族の記録はまだ見つけられていないけれど、もしかすると昔も多重人格になった魔法族がいたかもしれない』
 それにね、とユイユが続ける。
『勝手なことをして本当にごめん。祈り主がもういないのをベベル達も知っているんだ。
 祈り主の願い事は、僕達の前に立ちはだかるものじゃない。それについても、ベベル達は知っておいたほうがいいと思う。
 だから【彼】のことは、失った【もうひとり】として伝えたいんだけど…………いいかな』

 あくまで、ユイユは純粋に切り分けようとしていた。
 傍から見たらほとんど同化しているといえる、祈り主と私の抱える状況を。
 それは、影の中に潜んでいた私をひとりの人格だと認めてくれた、ほんの数ヶ月前と変わらない。
 なのに私は、ひとときでも彼の気持ちを蔑ろにしようとしてしまった。

 後悔に口を噤んだ沈黙。返答を待っていたユイユは『あのね』と、私達に語りかけた。

『もしもだよ。僕の報告がズィナの秘密の糸口になってしまうのを心配しているなら……大丈夫だと思うんだ。
 僕らの世代で君の持つ魂の本は、君しか開けられないから。ズィナが教えたくなかったら、みんなには話さなくてもいいんだよ。
 だけど……抱えているのがつらかったら、分けてほしいな』

 ひとことずつ染みこませていくように語るのは、穏やかな声だった。
 ユイユは、自身や周り、私の事情と、幾多のものを見渡したうえで、なんとか最適解を探し出そうとしていた。
 その過程で私に届けるのは、譲歩であり、せめてもの要望でもあり、何より、心を預けてもよいのだという標でもあり。

 ──『ねぇズィナ。シューナのこと、ずっとひとりで抱えていたの?』
 ──『そっか。あのね、これからは僕にも……分けてくれる?』

 見えなくたってわかる。触れていなくたってわかる。差し伸べてくれたユイユの手が、どれほど温かいのか。
 ずっと握り締めてきた、ひとつのものを手離そう。そうして私は彼に、手のひらを委ねることができるのだから。

「ありがとうございます、ユイユさん。シューナの魂系に【もうひとり】がいたことを皆さんに伝えてください。もしも困りごとが起こるようでしたら、私を呼んでください」

 振り絞った声で伝えると、ユイユが『うん』と頷く声が返ってきた。
 それは、眉を歪めて、頬を上げて、精一杯、首を縦に下ろしたときの声。

 ここまで辿り着けたのは、ひとえにララーノが私達を繋いでくれたからこそ。
 振り返って寝台を見上げると、ララーノが布団を抱きかかえたまま、にっこり笑って頷いた。
 私は頷き返しながら「ありがとうございます」と囁いた。

「ユイユさん。ところでなんですけど」
『ん?』
「先ほどベベルさん達にと仰っていましたが、祈り主の願い事については、手紙に関わったほかの方々にも伝えたほうがよろしいのですよね?」
『う、うん。できれば』
「でしたら、マホガニーさんには私からお伝えします。そのときに、どなたがラィさんに伝えるのかを相談しておきますね」
『ありがとう。そしたら……お願いするね』
 ユイユは少し、安堵しているようだった。

「ええ。では、夜分に失礼いたしました」
『ううん。話しに来てくれて嬉しかった。ララーノもありがとうね』
「うん! ユイユ、また明日ね!」

 ユイユが魔法を閉じてから、ララーノと私は寝支度を始めた。
 魔法族や精霊の身体には、自然浄化の作用がある。そのため、寝間着は寝やすくするだけのもの。
 私の持ってきた寝間着は、丈長の被り服が一枚。今夜はこれで十分だ。
 帽子の中にしまってあった髪団子を解き、癖のついた長髪をうなじのあたりで束ね直す。
 次に上着を脱いで、お守りの石とリボンを外し、ブラウスの上から寝間着を被る。

 そこまで終えたとき、ララーノも着替え終わっていた。彼女のほうが重ね着の枚数だって多いはずなのだが。
 彼女は、部屋の隅から毛布とタオルケットと魂の本を抱えて戻ってくる私を見て、
「ズィナのおふとんもあるよ!」
 と、寝台の上で後ろを向いて、壁際の長箱を開けた。
 そこには丸めた布団が入っており、ララーノは寝台の上を転がして、こちらに渡してくれた。

 広げるとふかふかになった、まるい敷き布団。
 寝転がって毛布をかけると、ちょうど、ララーノも布団をすっぽり被ったのが見えた。布団の中から袖が伸びて明かりに触れると、その光は徐々にまどろみ消えていった。

「……ララーノさん」
「なあに?」
「オシャーンさんからお借りしていましたが、使いますか?」
 と、タオルケットを持ち上げて、ララーノの布団にくっつけた。
「ズィナ、あんみんできる?」
「よく眠れそうですよ。私よりもララーノさんが使ってください」
 すると、布団の中から袖の端っこが出てきて、タオルケットを巻き取っていった。
「ありがとうね……」
「こちらこそ、本日はありがとうございました。おやすみなさい」
「うん。おやすみなさい」

 私は静かに瞼を閉じる。柔らかい布団に身体が沈んでいくのを感じた。










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