時空橋編(27)


  コーレニン東部 ララーノの部屋

 この手で閉じた魂の本。
 明かりの届ききらない部屋の隅、蹲る身体の陰の中で、深緑色の表紙も、表紙を飾る金色の題字も、私が目を背けることを許さない。
 題字となる魂系名が、なおも胸に突き刺さる。この魂系はシューナから始まり、私の長がシューナであるのは、覆しようのない事実だと。

 ユイユには、本質さえ伝えられたら充分だと思っていた。
 たとえ、事実といくらか違っていてもいい。

『長らく私は魂を同じくする他者と共に過ごしてきたが、今やその他者は私の身体からいなくなった。
 その他者は先代の記憶を持っており、【祈りの魔法】を使った本人である』

 それさえ伝えられたら。

 伝えられたのに。

「今日はありがとうございました。おやすみなさい」
 彼に告げる夜の別れが、こんなにも重たい。

『うん、おやすみ』
 耳に届いた声が、頭へ髄へと染みこんでいく。

 本質さえ同じなら。
 消えた他者が先代だろうが、つくり話の別人格だろうが、関係ないはずなのに。
 割り切れなくて罪悪感が募っていく。
 真実を聞きに来たユイユに、私は再び同じ嘘を塗り重ねたのだ。一度の嘘なら撤回も叶ったのだろうが、私はすでにその選択肢を持ち得なかった。

 なぜなら私の嘘は、ユイユに初めて贈った言葉だったから。
 初めて貴方と交わした言葉は嘘でした。なんて、言えるわけがない。
 ましてや、かつて貴方が手を尽くした相手は、私の身体を奪って生きていました、なんて。
 貴方の長が懇意にしていたのは、後代の時間を奪えてしまえる者でした、なんて。
 とても言えない。言いたくない。すべてを知ってしまったら、貴方は深く傷ついてしまうだろうから。

 ──ごめんなさい。

 通話を終えた今、詫びの言葉はユイユに届かない。
 部屋を貸してくれているララーノにも──

 部屋の隅から反対側、明かりに包まれた寝台へと振り返る。そこにはちょうど、布団を押し上げて身体を起こすララーノが。
 彼女はこちらに気付いたようで、ぼんやりとした眼差しで、暗がりに座る私を視界に入れる。
「ズィナ……?」
 指先まで覆うほどの大きな袖で目元を擦り、改めて私を見る。ぱちぱちと目を瞬かせたかと思うと、今にも泣き出しそうな顔になってしまった。
「きてくれたのに、ねていてごめんね」
「いえ、そんな」
 私は慌てて首を横に振った。
 しかし、ララーノの表情は変わらない。
「……ひとりで起きているのがこわくて、目をつむっていたの。ほかの国のひとがきていて、ルーベリーとコーレニンがあぶないんでしょう?」
 心細そうに、布団を膝の前に引っ張り寄せるララーノ。
「ほかの国のひとがもっとくるようになったら、みんなのお部屋をとられちゃったり、だいじにしてきたものを、だいじにできなくなるかも、って……オシャーンがはなしていたの」
「オシャーンさんが……そのようなお話を?」
 私は絨毯に手と膝を突いて、寝台へと近づく。
「うん。ズィナは、こわくないの?」
「私ですか?」

 コーレニンに外時空の者が踏み入っている現在の状況を、
 コーレニンをルーベリーへの足掛かりにされそうな状況を、
 果たして私は恐れているのだろうか?
 答えを出すまでに時間はかからなかった。

「怖いというよりも『いや』ですね」
「いや?」
「ええ」
 自覚した本心だった。
 シューナは現在の状況を『起こるべくして起こった』と得意気に話していたが、いくら正論だろうと私は納得していない。
 積み重なった時間の中で、連鎖的に物事が結びついて現在に繋がったとはいえ、最後の糸口となったシューナにそんな正論を言われたくなかった。
 しかし、たとえ引き金を引いたのがほかの誰であっても、私はこの状況を受け容れようとしなかっただろう。
 再び奪われるなんてまっぴらだ。私の生きる時間も、私の生きる居場所も。
 さらに重ねて言うならば、過去の私と同じような思いを、この国に住むほかの誰にもしてほしくない。
「──だから模索していたのですが、行き詰まってしまいました」

 とはいえ、行き詰まるまでの経緯を話すべきか。
 言葉の続きに悩んでいると、ララーノが部屋の隅に袖先を向けた。
 先ほど私がいたところ、まるめたタオルケットの上に置いてあったのは、深緑色の魂の本。
 彼女は、ぽつりと私に問う。
「それでご先祖さまと、おはなししていたの?」

 眠たさに浮かぶ彼女の眼差しは澄みきっていた。
 先代を頼ることに、何の疑いもない。彼女の価値観が羨ましかった。加えて、彼女の価値観を裏付ける、先代との関わり方も羨ましい。
 私の長が、もしも彼女の長と同じように後代想いだったなら──起こらなかった幻想に頭をもたげそうになる。
 どれほど他魂系を羨もうと、私の魂系の長はシューナである。現状を打開するためには、シューナに尋ねざるを得なかった。

「……ええ。ですが、その先代と話してすぐに喧嘩をしてしまいまして」
「そうなの……?」
 ララーノが悲しそうな顔をするので、私は急いで口を開く。
「ら、ララーノさんは先代の方と喧嘩を──」
 すぐにも脳裏にオシャーンやエミウル、四人で過ごした食事風景が浮かんで、私はひどく後悔した。
「──……なんて、ないですよね」
 すると、ララーノは静かに首を横に振った。
「あるよ」

 小さいころにね、と彼女が話し始める。
「いちばんちかいご先祖さまとね、じゅんばんを取りあったことがあるの。ちっともきまらなくって、お兄ちゃんなのにって言っちゃった。そしたらね、お兄ちゃんしたことないもんって」
 頬をぷっくりと膨らませるものだから、私は思わず吹き出した。ララーノもつられてか、はにかむように苦笑する。
「それからね、エミウルともけんかしかけたことがあるの」
「エミウルさんと? 意外ですね?」
「うん。でもね、オシャーンがエミウルとわたしにおしえてくれた。どっちもいじわるじゃないよ、どっちも相手がだいじなんだよって」
「オシャーンさんが、おふたりに……」
 かの長が話したという言葉を、私は噛み締める。
「……羨ましいです。私の魂系もそうだったらと思わずにはいられません」
「ちがうの?」
「少なくとも、本の中に仲裁者はいませんでした」
 それに、喧嘩の相手が私のことを大切に想っているなんて、それこそ幻想だ。私だって、彼のためにと何か信念を貫ける自信はない。
「ですが、どうにもならない私達を、ユイユさんが仲裁してくださいました」
「ユイユ!」
 口にたっぷり息を含んでから発したその名は、喜びの音色をまとうようだった。
 ララーノにとってユイユは、昼過ぎに図書館で顔を見たきりの相手だった。近況を気にしていたのだろう。

「ララーノさん、ごめんなさい。貴女がお休みになっている間に、ユイユさんとも話していたのです。
 彼とは夕刻前まで行動をともにしていましたが、私と別れた後にも情報収集を続けられたのでしょう。その中には不可解な点があったようで、対話魔法を使って聞きに来てくださいました」
「そっかぁ。聞いたらすっきりするね」
 ララーノのふっくら柔らかい笑顔が、私の頭を貫いた。
「か……解決したとは思いますよ。彼が私に尋ねたのは『祈りの魔法』を使った者についてでした」

 ララーノは瞼をぱっちり開いた。続きを聞きたそうな面持ちだ。
 そう、彼女も『祈りの魔法』の存在を知るひとり。

 思い返せば昼過ぎのこと。図書館を訪れたユイユが『祈りの魔法』について知りたいと私達に訴えた。
 夕刻前、私が外出先の東部から北東部の図書館に帰ってきたときには、オシャーンが私に『祈りの魔法』の手掛かりがあったのかと尋ねた。
 館内でララーノは、皆の会話を聞いていたのだろう。でなければ、私の発言にここまで関心を示さなかったはず。

 加えて彼女は数ヶ月前、私の身体を乗っ取ったシューナと関わっていた。
 彼女もまた、ユイユの通訳を経て、私の話した『二重人格』のつくり話を聞いている。

 ララーノにも、まだ乗っ取られの事実を話せそうにない。
 しかし、彼女には『祈りの魔法』とシューナに関わる事情を知る権利がある。

 私はララーノに切り出す。
「ユイユさんは私に、祈り主と話がしたいと相談されました。彼は祈り主の手掛かりを得ていましたが、誰なのかを決められないご様子でした」
 そして、先ほどユイユやシューナと話した内容を、洗いざらい話し伝えていった。

「──……そういうわけで、ララーノさんのお部屋であるにも関わらず、取り乱してしまったこともお詫びさせてください」
 という締め括りまで聞き終えると、彼女はとろけるような笑顔に戻ってこう言った。
「ううん、いいの。ズィナもユイユも、ぐっすり眠れるといいね」
「ええ、……そうですね」
 煮え切らない様子の私を見て、ララーノが小首を傾げる。
「はなしわすれたこと、あるの?」

 話し忘れたこと?

 話さなかった隠し事ならある。
 話し損ねて悔やんでいる、ユイユへの詫びの言葉も仕舞ってある。

 話し忘れたのは?
 ララーノに言われると、話し忘れたことが本当にありそうな気がしてくる。

 ──話し忘れたのは?
 『祈りの魔法』について知るために、持ち場の工房を離れてまで図書館を訪ねてきたユイユが、知っておかないといけないことは?
 私とシューナだけが知っている、『祈りの魔法』の断片は。

 ──ある。五年半前、コーレニンに届いたのが手紙のほかにもあったこと。それはシューナを『祈り』へと誘った、たった一枚の紙片。


 しまった。ユイユが祈り主に辿り着いた今こそ話すべきだったのに。でないと彼は、祈り主の『想い』を優しく誤認しかねない。
 目を見開く私は、明らかに焦りを露わにしていたのだろう。そんな私を寝台の上から見下ろして、ララーノは何かを決めたらしい。

「ユイユ、まだ起きているかな?」
 そう言って枕元から両手の袖で包み取ったのは、彼女の魔法道具『音玉』。
 道具が主とするのは、彼女のお守りの石とよく似た柘榴色の玉。その周りを八分音符のような形に彩る金属製の縁飾り。片手に収まるぐらい小さいが、立派な『魔法楽器』の一種だ。

 ララーノが音玉を、袖で覆った手のひらに載せて静かに揺らしはじめる。すると彼女の周りに同心円がひとつ、ひとつ、と波紋のように広がった。
 そこに文字や曲線、楽譜が書かれていき、彼女を中心とする魔法陣ができあがる。そこから伝い広がる水のように何本もの曲線が伸びて、それぞれの先に小さな魔法陣が描き出されていった。

 浅瀬色に輝くいくつもの魔法陣は、布団の表面に沿って少しばかり波打っていた。
 その中で、ララーノは小さな魔法楽器をゆっくりと揺らし続ける。

 彼女の奏でる調べを私は耳にできないが、きっとあるべき場所でその音楽を響かせているのだろう。

 どうか、届きますよう。


  *

  コーレニン西部 工房

 ズィナとの通話を終えたあと、ユイユはダイニングテーブルに突っ伏していた。
 右手を伸ばして杖を握り続けるも、その力は弱々しい。

 嬉しいはずだった。
 祈り主の話を聞けたし、祈り主が未来を見据えていたと知ることができた。
 なのに、胸の中に、もやもやしたものを感じる。
 まるで、限りなく細い糸がぐるぐる絡み合ったよう。ふやふやした塊になっていて、柔らかいのに触り心地がよくない。

 先の通話で、ちょうどズィナも祈り主に話を聞くところだったと言っていた。
 なのに、シューナと話すズィナはつらそうだった。

 ──『ズィナの気持ちも考えてあげて』

 自分がシューナにかけた言葉を思い返して、ユイユは溜息をついた。
 言い過ぎだっただろうか。
 足りなかっただろうか。
 もっと言えることがあっただろうか。

 祈り主の正体が、ズィナの言うように『シューナの記憶を持った別人格』なのだとしたら、あの『ズィナ』がその祈り主だったことになる。
 数ヶ月前、ともに共同指令をこなし、工房で魔法道具の作り方を教えてくれた、あの『ズィナ』が。
 彼から『祈りの魔法』について聞いたことは一度もない。なにしろユイユは今日、初めてその魔法について知ったばかりなのだから。

 ──『千年に渡って憂いを抱いていたのです』

 あの『ズィナ』はひとりで憂い、悩み、行動したのだ。そして誰にも何も打ち明けぬまま、消えた。

 言ってくれたらよかったのに。
 言ってくれたら、自分は何かできたのだろうか?
 わからない。けれども、何かしようと動けたはず。
 動こうとすることを『ズィナ』は望まなかったのだろうか。
 それともほかに、話せない理由があったのだろうか。
 困りごとがあっても頑なにルーをも頼ろうとしなかった『ズィナ』だ。
 話せない理由は、山ほどあったのかもしれない。

 どうして隠していたのか。もしもシューナに尋ねたとしたら酷だっただろうか。
 そもそもあのときの『ズィナ』は『シューナのほう』で、
 シューナの記憶を持っている……けど、
 シューナとは別人……で…………?

「う〜〜…………」
 わからない。折り曲げた左腕の中で、ユイユは頭を左へ右へとぐりぐり回した。
 そのとき、すぐ隣で誰かが椅子を引いたことに気付く。
「隣、いい?」
 その声に、ユイユは顔を上げる。
「フォンエ! ……フッセは?」
「寝かせたよ。渋々だったけど寝てくれた」
 そう話す彼女は寝間着姿で、波打つ灰紫の長髪を後ろで緩く束ねていた。外側の髪は肩にかからない長さなので、日中と同じく顔の周りをふわふわと遊ばせている。
「いい寝顔だったよ。ありゃ当分起きないね」
 彼女はユイユの隣に座ると、持ってきた小ぶりなホーロー鍋の蓋を開けて傾けた。こぽこぽと細かな泡が立って、ほのかに香るココアがふたりのマグカップを満たしていく。
「……ありがとう」
「いーよ。だいぶ悩んでいるみたいだけど大丈夫?」
 鍋敷きに小鍋を置いてから、フォンエがユイユの顔を覗き込む。
「……じゃなさそうだね」

 ユイユは小さく頷いてから、ココアをひとくち飲み下す。
「聞きたかったことは聞けたよ。『祈りの魔法』を使ったひとはいろいろ考えたうえで、コーレニンの変化を望んでいた」
 どの悩みから話したらいいのかわからなくて、悩みに迷い込んだ入口から、フォンエに聞いてもらうことにした。
「マホガニー達がルーベリーに飛ばされたことも大きかったけれど、彼らがその後もルーベリーに行くようになって、それをルー様が許可していて。それってこれまでのコーレニンを思えば大きな変化だよね」
 ルーがルーベリーへの経路を閉ざしてから、再び開くまでに経たのは997世代の時間。年数にすると、99万年以上。
「僕は純粋にすごいと思った。だけど喜んじゃいけないような……後ろめたさもあって」

 ズィナが教えてくれたことを、まだすべては話せない。ユイユが聞いてもよくても、ほかの誰かが聞いてもよいとは限らないから。
 しかし幸いなことに、すぐ隣でココアを飲むフォンエは、数ヶ月前の出来事でズィナの事情に踏み込んでいた。だから、悩みを束ねる根元の部分なら話すことができる。
「……フォンエはさ。ズィナのもうひとり、1代目の記憶を持っていたほうのことを覚えている?」
「覚えているよ。彼がどうかしたの?」
 フォンエが尋ね返すと、ユイユは躊躇いがちに頷いた。
「彼のこととか、外からコーレニンやルーベリーを守らないといけない今の状況とか、いろいろ……本当にいろいろ絡んでいて…………さっきズィナと話していたんだけどね、すごくつらそうだった」
 あのときズィナに、抱えていたものを分けてほしいと伝えたものの、後ろめたさは拭えない。
「僕、追い打ちをかけたかも。ズィナは僕が気にしないように気を遣ってくれたけれど、本当は物凄く傷ついていると思う」
 彼が自分と意見の食い違う先代の言葉を、聞いたとおりに真似てユイユに話し伝えるのは、いったいどれほど神経を消耗させたことだろう?
「魂系のことって難しい。自分の魂系でもないのに、先代とどう関わるのかなんて僕が踏み込んじゃいけないんだろうなって思う」

 この一日で、ユイユは様々な先代後代の形を見てきた。
 クオノの魂系。冗談を交わし合う先代と後代。
 オシャーンの魂系。先代の厳粛な佇まい。
 ルーの魂系。力業で先代を止めにかかった後代と、彼を相手に本気の怒声も厭わなかった先代。
 ウェイウィーアの魂系。場を温めるのは、先代でもあり後代でもある立場の者。

 普段をともに過ごす同世代からは想像もつかなかった、いくつもの形。
 自分の属するフッセの魂系も、外から見ると特殊な一面があったのかもしれない。

 そして、シューナの魂系。そこには、ズィナしか知り得ない形と歴史がある。

「……僕らの世代で、ズィナの先代と直に話せるのはズィナしかいない。彼が解決を望んだとして、ほかの誰も代わりにはなれない」
 まるでユイユ自身に言い聞かせているような、自分の声。マグカップに添えていた指先へと、静かに力が籠もる。
「だけど…………せめて、ズィナがひとりでつらいとき、手を繋げるところにいたい」

 傷つけたかもしれない。傷つけるかもしれない。
 だけど、もう二度と、何もできなかったと悔やみたくないから。

 背中に温もりが触れる。
 ユイユのよりも大きくて、柔らかい手のひら。
「『大丈夫』があったね」



 そのときだった。
 何か、小さな音が聞こえた気がした。それまでふたりが話していた囁き声よりも小さな音だ。
 気のせいかと思いながらも耳を澄ますと、もう一度、聞こえた。金属を打ち鳴らしたかのように高くて、しかしどこか鈍さを合わせた音だった。
 音の在処がすぐにわかったふたりは、ユイユの魔法道具に目を留める。
「『鐘の杖』……」

 誰かがユイユを呼んでいる。それが誰なのかを、ふたりはほとんど確信していた。
 ユイユを呼ぶその相手は、楽器ともいえる魔法道具『鐘の杖』を知っている。さらに、遠くからでも楽器の音量を微細に調整できるのは、音楽魔法を得意とする者に違いない。
 ふたりの中で、思い当たるのはひとりしかいなかった。
 フォンエがユイユに笑いかける。
「応えてあげたら?」

 ユイユは意を決して頷き、杖を手に取った。
 緩やかなリズムで鳴っていた音は、杖がテーブルから離れて音を遮るものがなくなったことで、澄み渡る音色に移り変わった。『鐘の杖』の名にふさわしい、ハンドベルの音色だ。
 先端を飾る鐘に額を近づけて、ユイユが杖に問う。
「──教えて。僕を呼んでいるのは、ララーノ?」

「──……」

「──ありがとう。話してみるね」

 合っていた。
 顔を綻ばせるユイユを見て、フォンエも安心したらしい。軽快な手つきで、ユイユの肩をぽんと叩く。
「んじゃ、おやすみぃ。あとはよろしくね」
「フォンエは入らないの?」
「私はいいや。よっぽどのことでユイユを頼っているんだろうしさ。ま、あとで気が向いたら教えてよ」

 からりと笑うフォンエは、小鍋の残りを彼女のマグカップに注ぎきった。
 彼女がカップに口をつけるのに合わせて、ユイユもまだココアのたっぷり入ったカップを持つ。
 消えかけの湯気がほんのり頬に滲んで、やさしく甘いココアだ。ずっと背中を押してくれていたのだと、ユイユは胸の中が温かさで満たされていくのを感じた。
「ありがとう、フォンエ」

 フォンエが寝室に戻るとき、彼女のマグカップと一緒に小鍋も持って帰っていった。明日フッセが目を覚ましたら、起きがけのココアを新しく淹れるつもりなのだそう。
 彼女が暖簾の向こうに入るのを見届けてから、ユイユは再び杖を手に取った。

 目を閉じて。
 心の中で、相手に伝える言葉を思い浮かべて魔法に乗せる。
『────ララーノ。聞こえる?』

 返ってきたのは、

『ユイユ!』

 喜びに満ちた声。その主は、ララーノ・オシャーン。










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