時空橋編(26)




  コーレニン東部

「ララーノをお願い」

 長に頼まれて、私はララーノを彼女の部屋まで送り届けていた。彼女も私と同じく東部住まい。頼まれなくとも付き添いを申し出るつもりだった。
 今、私は杖とタオルケットと毛布と寝間着を抱えて、再び彼女の部屋、丸っこい形をした玄関扉の前に立っていた。

 ──『……いっしょにいてほしいの。だめ?』

 断れる者などいようか。
 こちらの裾を弱々しく引っ張ってきた、細くて小さな指先。純粋な薄荷色の瞳。彼女には似つかわしくない、か細い声。
 自室に寝具を取りに行く間でさえも、心に罪悪感が滲んでいき、急ぎ足で戻るほかなく。

 彼女の部屋の玄関扉を軽く叩いても返事がなかったので、音を立てないように扉を開けた。
 すると、寝台で眠りこける彼女の姿が目に入った。私は安堵の息をつくと部屋に入り、そっと彼女に近づいた。
「おじゃましますね」
 と、囁いてみる。彼女は目を覚まさない。夢の中で代わりに誰かが告げてくれたのなら、私の罪悪感も薄れるものだろうに。

 彼女に布団を掛けてやってから、私は離れて部屋の隅に座り込んだ。
 今日、まだすることがある。
 しかし、一向に覚悟が決まらない。

 聞き慣れた声が私の名を呼んだのは、そのときだった。


  *


 ──……ズィナ。あのね。

 マグカップのココアはとっくに飲み干していた。
 乳白色のつるりとした表面に、乾いたココアの粉々がまだらに模様を描いていた。

 相手は何と思うだろうか。話を聞くって決めたはずなのに、いざとなると踏み切れなくて、こんなに言葉が出てこないのも初めてじゃないかと思うぐらい。
 自分が踏み込んではいけないのでは。相手は自分を嫌うかも。
 それでも、知らないふりしておきたくないから。
 鐘の杖を握りしめて、相手の名を呼んだ。

「ズィナ、聞こえる? 僕だよ、ユイユ」

『──ユイユさん? どうされましたか?』
 耳に届いたのは、いつもの淡々とした声。昼間に聞いたばかりなのに、なぜだか懐かしく感じた。

「ズィナに聞いてほしいことがあって。今、図書館?」
『いえ。寝床に』
「そうなんだ。お疲れ様」
『ありがとうございます。聞いてほしいこと、というのは?』

「『祈りの魔法』。うんと……五年半前、手紙に『祈りの魔法』をかけた魔法族のこと」

『……続けてください』
「うん。……ルー様は『もういない』って言った。手紙が置いてあったっていう部屋は、祈り主の見た目を教えてくれた」
『どなたか心当たりはありましたか?』
「……ううん。浮かぶ顔はあったけれど、ルー様の言う『もういない』には当てはまらないから。
 あのね、ズィナ。僕は祈り主が誰であっても、そのひとから話を聞きたいだけなんだ。何を願って祈ったのかって。その願いは叶ったのかって」

  *

 祈り主は何を願ったのか。
 ユイユの声が、私の頭の中に響きを重ねていく。
 話を聞く限り、五年半前に手紙が置いてあった部屋をユイユが訪れたのだろうと推察できた。
 彼が訪れたのなら、同じ班のフッセとフォンエも同行していたはず。

 おそらく、手紙の置いてあった部屋にユイユ達を連れていったのは、ベベルで間違いないだろう。とすると、ユイユが『部屋から話を聞いた』ときにベベルの班も同じ部屋にいた、と考え得る。
 ユイユのことだから、『話を聞いた結果』をすべて隠してしまうようなことはあるまい。
 祈り主の見た目を聞いて、ユイユが両班に打ち明けたのならば、現在、祈り主の疑いが私に掛かっているはずだ。
 たとえユイユが一部しか情報を打ち明けていなかったとしても、私が疑われていることは変わらないだろう。1000代目と1代目も、337代目も、そして精霊のフォンエも、私の容姿を知っているのだから。

 なんてことだ。西部の工房に真っ直ぐ帰れと釘を刺しておけば良かった。
 しかし、そうはいってもユイユのこと。彼の探究心をもって祈り主を捜していけば、いずれは私の姿という答えに行き着くのだ。

 さて。祈り主から話を聞きたいというユイユに、私は何と答えるべきなのか。
 考えあぐねて溜息をつく。
 すると、ユイユが慌てた様子で何やら弁解し始めた。
『だってズィナ、行きすぎたお節介かもしれないけれど、でもどうしても見過ごせなくて……』
「すみません。ユイユさんの考えには賛成しているんですよ。祈り主の願い事によっては、コーレニンの未来も変わってくる。相手組織との関わり方にも影響を及ぼす。
 であれば、祈り主に話を聞くのが手っ取り早いと私も考えますね」
『そう……だよね』
 返ってきたのは、躊躇いがちな声音だった。

 ユイユはどうして頑なに、私の容姿を指摘しない?
 私に逃げ道を与えようとしてくれているのか?
 手紙に『祈りの魔法』をかけたのが私だと、信じたくないから?
 私は疑われて然るべき存在だと、ユイユがいちばんよく知るはずなのに?
 ほんの数ヶ月前のことだった。彼が『魂の本』との仲介役となって、フッセと、私の身体を借りたシューナとの会話を繋いだのは。
 当時、自身の影に閉じ込められていた私は、対話魔法で耳を傾けてくれたユイユに嘘をついた。

『自分はあるとき、二重人格になってしまった。もうひとりの人格は、1代目の記憶と共存している。
 記憶の中の1代目は、生前親しかった魔法族・フッセとの対話を望んでいるが、今の自分ではどうにもできなかった。
 人格が入れ替わるたびに、もう片方が影に入り込む仕組みになっている』

 思えば、初めて私が私としてユイユと話した時間だった。彼が、影に潜む私に気付いてくれたから。
 それまで魔法族の誰にも届かなかった訴えを、たったひとり彼が掬い上げてくれた。
 なのに、嘘をつかねばならなかったのが悔しくてたまらない。あのとき嘘をついたから、その嘘を未だに守ろうとしているのが、今の私だ。

 なんて不甲斐ないのだろう。いてもたってもいられなくて、タオルケットを膝に抱えて顔を埋めた。中に包んでいる本が、ずしりと重たく感じる。

 私は、『私』として生きようとしたシューナを庇ってやったものだと自負していた。
 ところが、本の中で待ち続けたフッセの前でさえも、シューナは嘘の肩代わりを引き受けた。
 私とシューナは、そうやって互いを守り合うしかなかった。
 今なら、ユイユに真実を話しても、──……嫌だ。あのとき信じてくれた彼を蔑ろにしたくない。
 だが、ユイユは?
 ユイユは真実を知るために、私に話を聞きに来たのではないか?
 せっかくの機会を潰すように何もかもうやむやにするのは──もっと嫌だ。

 奥歯を噛み締めながら、僅かに顔を上げる。顎が痛くなるほど食い縛ってから、堪えていたものを解き放つべく口を開く。
「……私もですね。祈り主に話を聞こうとしていたんですよ」
 指でタオルケットの端をつまみ、包んでいたものを開けた。中から取り出したのは、深緑の表紙の魂の本。
『え……?』
「真実を知るのは、かつて私と共存していた1代目の記憶です。彼の記憶はもう私の中にはありませんから、ルーの言う『もういない』は正しいのでしょう」
 表紙に手を掛けて、最初の頁を露わにした。私はまだ、あのときの嘘を続けるつもりでいる。
 それでも知ってほしかった。今しか聞けない、今しか伝えられないことを。
「『その者は、手紙が必要とする者のもとへ届くように祈った』──」
 ユイユが聞いているのをわかった上で、私はあえて本の中に話しかける。
「──ですって、シューナ。貴方の望みは何でしたか?」

 これまでずっと避けていた。まともに彼と話すのは初めてだった。
 彼は、ようやく私との対話が叶ったことを喜ぶように破顔した。

『私はコーレニンに変化の訪れを望んでいました。変化のないコーレニンは、まるで時の流れから切り離された存在のように思えて、千年に渡って憂いを抱いていたのです』
 千年からはみ出したくせに、と私は胸中で悪態をつく。
 そんなことは露知らず、シューナは嬉しそうに言葉を続ける。
『ですが、祈りから数年を経て気付いたのです。変わらないものがあってもいいのだと。そして、この国にも変わりゆくものがあり、時と繋がっていたのだと』
 シューナの返答を、私はユイユに言い伝えた。

 すると、ユイユから声が返ってくる。
『シューナの願いは叶ったの?』
『ええ。それはもう──』
「シューナ」
 私は先代の言葉を遮った。
「現在、コーレニンは外部組織に狙われており、当局の者が国内に入ってきている状況です。狙われているのはルーベリーも同様です。貴方はこの状況を無責任に喜べますか?」
『そうですねぇ、大いなる変化ではありませんか』
「貴方……コーレニンに手紙を寄越したのは外部組織の」
『私は彼らに手紙を送ってくれと頼んではいないのですよ?』
 痛いぐらいに正しくて悔しい。私が顔をしかめるのと反して、シューナは目を細めた。
『起こるべくして起こる変化だったのでしょう。彼らは最初からコーレニンとルーベリーに目を付けていた、と考えるのが妥当では?
 聞けば、外部の者が足掛かりにするための拠点が地球にあったそうで。リヴィエさんが泣きながら話してくださいましたよ。彼は今、本の中にいないみたいですが』
「……リヴィエさんはどこまでを貴方に?」
『旅の思い出までですね。彼には長いこと寂しい思いをさせました』
 魂の本の中のリヴィエは、コーレニンの現状については先代の誰にも明かしていないらしい。彼の『見た』未来は気になるも、ひとまず私は胸を撫で下ろす。
「そうですか。良かったですねぇ求めてもらえて。だそうですよ、ユイユさん」
『ええっ、えっと』
 たじろぐユイユの声を聞いて、シューナが食い気味に割り込んでくる。
『私の願いは叶いました。私の望みを上回る変化がコーレニンに訪れたようですが、祈りの魔法の作用なのかは判断しかねます。
 少なくとも手紙は届くべき者に届きましたので、結果、祈りの魔法は有用だったといえるでしょう』
 シューナの澄まし顔に私の腹は煮え立つ一方だ。幸いにも彼の顔も私の顔も、ユイユに見せずに済んでいる。
 次第にユイユは落ち着きを取り戻したようで、いつもの調子で私達に語りかける。
『えっと……、待って。手紙のことは置いておこう? その……シューナはコーレニンのためを思って祈ったんだよね?』
『ええ、そうです』
『……よかった』
 そう話す彼の声は、どこまでも曇りがない。
『だって……たとえばコーレニンが消えてしまうことを望んだとして、その願いを祈りの魔法が叶えてしまったら、僕達がどれだけ生きたくても、どうにもできなくなってしまうから』

 もしも彼がここにいたら、目を見張って、瞳に明かりを揺らめかせて、私達をその視界に包んだのだろう。
 まるで、雪割りの草葉のような色の瞳に。

『未来を目指していけるって、わかって良かったよ。ありがとう。だけど、……ズィナの気持ちも考えてあげて』

 返答を待たずして、またね、と締めるユイユ。シューナに別れを告げたものと判断した私は、魂の本を閉じた。
 ユイユの言葉と閉まりゆく表紙に、シューナは反論しようとしたのだろうか。甘んじて受け容れたのだろうか。私にはわからない。

 ただ、自分の中でようやく、長いこと凍てついていた何かが解けていくのがわかった。

『……ごめん。辛かったよね』

 ユイユの言葉で、シューナの魂系に関する根本的な部分で、私は自分の気持ちと向き合えていなかったのだと気付いた。
 向き合うのが嫌だと思い続けていた。嫌だと思うことで、自分は自分に正直なのだと思い込み続けていた。
 違っていた。わからなかった。どうしていきたいのかを。わからずにいることも、わかっていなかった。

「いいんですよ。……ユイユさんがいてくださったから話せたんです。ひとりでは……駄目だったと思います」

 魂系の事情を隠すことで、魂系の体裁を守っているつもりだった。
 足りなかった。私が守っていたのは、自分の心だった。

『ねぇズィナ。シューナのこと、ずっとひとりで抱えていたの?』
「……はい」
『そっか。あのね、これからは僕にも……分けてくれる?』

 はい、と言えたかわからない。震える声を吐き出すことしか、今の私にはできなかった。

  *

 生まれたときから、私は『私』を見ていた。
 ルーに抱かれる『私』。
 言葉を話す『私』。
 歩き、成長していく『私』。
 床から『私』の身体を見上げ、ときに壁から身体を見下ろすだけの『影』だった私だが、ルーは名前を呼んでくれた。
 ズィナ・シューナ。それが私に与えられた名前。
 私にとって、名前は唯一無二ではなかった。
 同じ名前が、身体をもつ『私』にも与えられたから。
 ふたりの間の境界を溶かされているかのように感じた。

 ルーが私だけと話すとき、決まって声を出さなかった。
 『私』に気付かれてはならない理由があったらしい。ルーの魔法で、ふたりきりの会話を密かに重ねていった。
 その中で教わった事実は、残酷極まりなかった。
 私こそが身体の持ち主で、本来のズィナ・シューナだったという。
 私の身体を奪ったのは、あろうことか魂系の長・シューナだったのだ。

 ルーが私を見てくれるのは救いだったが、次第に寂しさが募っていった。
 どうして私は自分の身体で生きるのを許されない?
 どうして先代に奪われねばならなかった?
 奪われるために私は生まれてきたのか?
 ならばどうして私の意思が生まれてしまったの?
 押し寄せる感情が寂しさに留まるはずがなかった。悲しさと恨めしさ、同世代への羨ましさでひたすら泣いた。
 泣き声は上げられない。涙だって流せない。
 ルーに何度も尋ねた。
 私の身体は返ってくるのか、と。
 ルーは答え続けた。
 必ず返させる、と。
 シューナの意思が伴わない限り、完全な形で身体が返ってくるのは叶わない。
 だからルーが手を打っている──そう聞いた。

 ルーの及ぼした影響なのかはわからないが、あるとき、ひとりの魔法族の影が私と交わった。
 その影は、精霊を宿していた。そういう魔法があるらしい。
 交わる影は『ズィナ』が切ってしまったので、不意に訪れた魔法族とは一旦それきりになった。
 一方で、精霊は私のいる影に移り入ってきた。音のない泣き声に気付いたのは、その精霊が初めてだ。なんでも『声の精霊』なのだという。
『身体を返せ』
 私の静かな訴えを、精霊は『ズィナ』に伝えてくれた。相手は聞いたふりをして聞き入れないどころか、私の存在を厄介に感じ始めたようだった。

 それからいくらか時を経て、次に私の『声』を聞ける者が現れた。ユイユ・フッセだ。
 彼が対話魔法を使って『ズィナ』の魔法道具と話しているとき、私は縋るように訴えた。
『影の中に、もうひとつの人格がある』
 と、嘘をついて。
 私という存在に気付いてほしくて。
 ひとりでもいい。魂の異なる同世代に、ともに生きるはずだった私という存在を知ってほしかった。

 ユイユは私をひとりの人格だと認めてくれた。耳を傾けてくれた喜びがこの上ない。
 別れ際にもらった言葉は、今でも鮮やかに思い出せる。

 ──『話してくれてありがとう。また会いに来るね』










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