時空橋編(25)



  コーレニン図書館

 ユイユ達は無事に帰れただろうか。ユイユは対話魔法を使えるのだから、その後を知らせてくれてもいいのに。
 時は少し遡る。

 大扉をギイと開けて、
「ズィナくん、またね!」
 と、階上にいる私に呼びかけたのはクオノだった。
 私は手摺りに駆け寄って「お疲れ様でした」と手を振った。
 すると、クオノが籠のようなものを高々と掲げて私に見せた。
「ベベルちゃん達に貰ったから、みんなで食べてねー! 蒸籠は明日取りに来るって!」
「ありがとうございます。机に置いておいてください」

 ベベル達が図書館まで来たと聞いて、胸を撫で下ろした。
 ユイユ達が図書館前の部屋から工房まで無事に帰れるようにと、彼らの送り迎えを引き受けてくれたのがベベル達の班だからだ。
 彼女の班から三名の者が来てくれる──と、ユイユを通して聞いたっけ。ひとりはベベル、あとのふたりは誰だろうか?

 候補となる顔を思い浮かべては、三人組の組み合わせを考え始める私をよそに、今度はクオノが階上のもうひとりに呼びかけた。
「エミウルちゃんも、またねー!」
 名前を呼ばれたエミウルが、小走りで私の隣に来た。
「また明日ね」
 静かな声だが、クオノには十分聞こえたらしい。両腕で大きく『○』を作ると、ぺこりと頭を下げていた後代のモンサシアを連れて帰っていった。

 夜を迎えて、図書館もほどほどに暗くなった。手摺りにもたれて階下を眺めていると、書棚と書棚の間をやさしく照らす灯りが、まるでいくつもの道を描いているように見えてくる。
 階上に立って初めて見渡せる、書棚の地図。本は少し読みにくいが、私はこの時間帯が好きだ。

 やがて、書棚の小さな灯りがひとつ消えた。
 照らされていた道の一筋が、片端を黒に溶かす。
 そこを惑うことなく進む人影。
 人影が灯りの下を通ると、髪が照らされて縹色を見せる。長のオシャーンだ。

 ほどなくして、彼の姿は書棚に隠れて見えなくなった。
 彼の行き先から察するに、同じく図書館の見張りに就いていた魂系・パルメザンのふたりに、貰い物の料理を渡しに行ったのだろう。
 裏口を見張っていた彼らは、ちょうど帰り支度を済ませたところだったらしい。耳を澄ますと、何やら長と話す声が聞こえた。

「わぁ、ホットサンドじゃん! ありがとう助かるよ!」
「……持ち帰ってゆっくり食べて。……保温の魔法がかかっているはず」
「オッケー! また明日ね〜」

 パルメザンと後代のシャルは、そのまま裏口から帰っていったようだ。
 先代と後代どちらかが、蒸籠を抱えながら裏口の梯子を上っていったことになる。とても私には真似できそうにない。
 長も心配だったのか、ふたりが上りきるまで見守っていたのだろう。
 しばらく経ってから、長が正面玄関側に戻っていくのが見えた。
 その途中で彼は、階上から見下ろす私に気がついた。立ち止まって私を見上げるも、視線を交わすだけで何も言わずに去っていった。

 何もないなら、それでいい。
 明日も今日と同じように、朝に図書館に集まって、見張りをして、こうして一日を終えるのだろう。
 明日は今日と違って、昼間に出歩くことのない一日になるのだろうか。
 ほかの皆と同じように。
 自分の魂系に何の事情もないと装って。

「……」

 私は片腕に抱える紙束に目を落とした。
 そこに書いてあるのはルーベリーの歴史、のはずだった。今となっては読めなくなっている。
 紙束の内容はすべて複製なので、どれにも原本がある。何冊もあるその原本も、ほとんどの表記が崩れていた。
 読めないなりに魔法で複写してくれた長は、こう話していた。

『何を以て、ルーベリーを守れたことになるのか。現地を守ることは、現地の歴史を守ること。なのに、歴史の穴が埋まらなかった』

 長は表記の崩れを直すつもりがないらしい。代わりに、誰が表記を崩して何を隠そうとしたのかを知りたいようだった。
 辛うじて見出せたのは、長の記憶と照合できた箇所。表記の崩壊前を長が覚えていた箇所には、共通点があった。
 その共通点は、ルーベリーの文明に触れていること。

 ルーベリーの文明は、とうの昔に失われた。
 すでにこの世にないものを、書物は隠し続けてきたらしい。
 まるで私の隠し事と同じように思えて、溜息がこぼれた。
 私は知っている。何かを隠すのは、何かを守るためであると。守る対象はその『何か』な場合もあれば、付随する別の何かなこともある。

 私が駄目元でルーの魂系ふたりに『ルーベリーの隠された歴史を教えてください』と請うたとき、相手のひとり・カシェはこう言った。
『お前達に話すことはない』
 と。
 ルーの魂系ふたりは文明の詳細を知っているようだ。そのうえで彼らは隠している。彼らにも守りたいものがあるのだろう。
 どうにかそれを打ち明けてもらえないだろうか? 私の持つ情報と、彼らの持つ情報は、それぞれコーレニンとルーベリーにとって見逃せない事実な気がしてならない。

 いよいよ向き合わないといけないのだろうか、私も。

 考えを巡らせている間もずっと、隣にエミウルがいた。カシェをよく知る者のひとりだ。
 薄明かりに照らされる白い頬を見上げて、私は彼女を呼ぶ。
 階下を見下ろしていた彼女は、
「何かしら?」
 と、小さな声で振り向いた。薄青の瞳の艶めきに、私ははっと息を呑む。
「カシェさんを頼るには、どうすれば会えるのでしょうか?」
 尋ねると、エミウルは僅かに口角を上げた。
「簡単よ。あの子に伝えれば場所を示してくれるわ」
「伝える、といいましても」
「そうね。私が伝えてもいいのだけど」
 エミウルには伝達手段があるらしい。彼女は言葉を続ける。
「あの子はいろんなものを背負って手一杯かもしれないわ。もし、あなたにも然るべき準備があるのなら、終わったら教えて頂戴」
 真っ直ぐ私を見つめる彼女の眼差しは、まるで心の奥底まで見透かすかのよう。
 彼女は私の事情を知らないはずだ。しかし、私が何を避けてきて、どうしてカシェ達とうまくいかなかったのか、薄々勘づいているのだろう。

 いずれ、彼女もすべてを知る時が来るのだろうか。
 その時は、貴女と同世代のマイカ・シューナを。
 どうか、憂わないでください。

 願いを込めて、私は口を開く。
「……わかりました。明日までには」
「そう。今度は上手くいくといいわね」

 来て、とエミウルが言うので、私は彼女についていく。
 階段を降りて書棚と書棚の間を歩き、魂の本の並ぶ書棚の前で彼女が立ち止まる。遠くを見つめる視線の先、壁際に積んであったのは、長が持ち込んで置きっぱなしの布団だった。

 す、とエミウルが両腕を伸ばす。
 と、彼女の立つ手前まで、布団が音もなく飛んできた。
 ここで初めて、彼女の足下に小さく広がる魔法陣に私は気づく。

「持ち出すのに使いなさい」
 エミウルが布団の間からタオルケットを引っ張り出して、私の胸に押しつける。
 そのあと、長とララーノの待つほうへと小走りで行ってしまった。

 なるほど、と、私は再び天井を見上げる。
 もう、半分以上の吊り灯りが、暗い眠りについていた。
 おまけに図書館班の二魂系も帰っていった。
 帰ろう、とエミウルがはたらきかけても何ら不自然ではない。
 タオルケットで深緑色の魂の本を包み隠し、さらに分厚い布団で挟み込んだ私は、長達三人のところへ寝具一式を運んで持って行った。

  *

「ズィナ、ララーノ、エミウル」

 長の点呼を受けてから、私達は大扉を開けて、暗くなった廊下に出た。
 閉めた大扉に長が両手をかざすと、扉の表に光り輝く魔法陣が広がった。光は次々に枝分かれして、扉の縁や木枠を伝って駆けていく。
 走り終えた光は、すぐにも扉や壁面に染みこむように消えていった。

「結界を張った」
 と、長がひと言。
 エミウルとララーノが、大扉を見上げてばかりで動こうとしないので、
「また明日」
 と、長が締め括った。

 今夜は長とエミウルが、図書館正面の部屋で寝泊まりをすることになった。
 つい先ほどまで、ユイユ達が送り迎えの待機に使っていた部屋だ。長に内緒で貸し出していたが、誰かがいた気配も今は感じない。ユイユ達はうまくやってくれたらしい。

 先に長が部屋の明かりを灯し、続いて私達は寝具を運び込んでいく。
 掛け布団を下ろしたあと、まだもタオルケットを抱えている私に、ララーノが「もってくの?」と尋ねた。
「ええ、安眠できる気がしたので」
 我ながら苦しい言い訳だと思った。ララーノの朗らかな笑顔が私への共感に見えるのは、気のせいだろうか。

 板間に立っていた私達は、部屋奥に目を向ける。壁に沿って造り付けてある座卓に、長が料理を並べていた。
 私は彼に近づいて、身を屈めつつ隣から尋ねる。
「……ご無理を承知ですが、貸していただけないでしょうか?」
 振り向いた長は、私の抱えるタオルケットを見るなり、こっくり頷いた。
 そして、料理に手を向ける。
「食べてく?」

 思わず視線が揺らいだ。四人分が並んだ料理。鼻をくすぐる出汁の香り。
 長と一緒にカトラリーを並べていたエミウルが、座卓の中央を空けるように躄った。
「白身魚と葉野菜のミルフィーユよ。食べていくでしょう?」
 お米のスープに、小鉢に入った具入りの蒸し玉子もある。すべて一人分ずつ取り分けたものが二段の蒸籠に入っていたらしい。
「……ありがとうございます。いただきます」

 座卓に一列、長、ララーノ、私、エミウルと並んで食事をともにした。
 端っこで、帽子を外して穏やかに寛ぐ長。小さなひと口をゆっくり味わっていくエミウル。
 隣のララーノが終始咲かせていた笑顔を、私は当面忘れないだろう。
 思い返せば、以前に彼女は魚が好きだと話していたっけか。長も魚を好んで食べていたと。エミウルも、もしかすると──

 温かいミルフィーユを、もうひと口。
 料理を食堂から選んできてくれたであろうベベルは、私と同じく東部に住んでいる。彼女と食堂で同席することも時々あった気がする。
 彼女は見ていたのだろう。私がミルフィーユを食べていたのを。それも果物のバター煮とクリームを挟んだ、甘いミルフィーユ。

 ミルフィーユなら食べられるでしょう? たまには気分でも変えて、班の皆と食べてきたら?

 そう言われている気がした。
 私も対話魔法を使えたら、今すぐ礼を言えたのに。









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