時空橋編(24)

窓のついた扉をベベルが開けて、薄暗い部屋の中に入る。
灯りはどこだったかしら、と彼女が辺りを見渡している間に、サントとウェイ、ユイユとフッセとフォンエ、と続いて中に入ってきた。
廊下の淡い明かりが石目硝子を通って、小さな室内をぼんやり照らしていた。部屋の中央にある小さな円卓が、床板のつやめきに青い影を落とす。ほかの家具は何もないようだ。
ユイユが見上げると、そこには細かな木組みの天井が広がっていた。ところどころの木枠には、硝子らしきものが嵌め込んである。ユイユが背伸びして覗き込んでみると、その透明な飾りが、きらりと輝くのが目に映った。
「……ベベル。灯り、ないかもよ?」
ユイユの言葉に驚いたのは、ベベル本人だった。
「ないの!? ……そうね……そういえば使ったことなかったような……」
ベベルがこの部屋を訪れたのは二回だけだったという。
「最初はね、手紙を見つけた日。ラィがこの部屋に入るのを見たのよ。そしたらあの窓が光って、なんだろって思って私も部屋に入ったの」
と、廊下に面した窓に指をさした。
「それでわかったわ。光ったのは、空間移動の魔法が起こったからだって。ラィはいなくなっていて、手紙だけがこの机に置いてあった」
ベベルが円卓を撫でると、腕の影がふわりとその上を滑っていった。
「私が部屋に入ったときには部屋が今みたいに暗くなっていたけれど、手紙はまだうっすら光っていたわ。夢中だったし、灯りを使わなかったのかもね」
次にベベルがこの部屋を訪れたのは、ルーベリーから帰ってきた日だった。空間移動の魔法に成功して、ルーベリーから飛ばされたのがこの部屋だったと、彼女が話す。
「あのときも夢中で……すぐに大広間に行かなきゃって、ラィとマホガニーと飛び出して……やっぱり灯りを使わなかったのね」
ばつの悪そうに笑うベベルと、彼女に笑い返す先代たち。
「明かりが欲しかったら言ってね」
と、声をかけるサントに、
「うん、ありがと。今は大丈夫よ」
と、ベベルが返す。灯りのない部屋なのに室内が明るくなると、廊下を通るほかの魂系が不審に思うからだろう。ベベルなりに気を遣っているらしい。
ふたりの会話にユイユも乗っかって、
「対話魔法なら暗くても使えるよ」
と、伝えた。
「始める前に、朝にルー様から聞いたことを話すね。ここに手紙を置いて『祈りの魔法』をかけたのは、ひとりの魔法族だった、って」
ユイユは言葉を続ける。
「でもね、それが誰なのかを聞いたら『今はいないんだよなあ』って。おかしいと思ったんだ。1000代目の時代からは誰もいなくなっていないはずだから」
机を挟んだ向こうで、ベベルとフォンエも頷く。
一方で、小首を傾げた者がいた。サントだ。
「先代の誰かが時間移動してきた可能性もあるんじゃない? 少し前の僕達みたいに、誰かが内緒でこの時代に来ていたかもしれないよね」
「……どうだろう。だけど、この部屋に聞いたらわかると思う」
ユイユは部屋の中を──皆の顔を順に見渡した。最後に目が合ったのはフッセだった。
彼の微笑みは、大事な役目をユイユに託す、長としての励ましだろう。彼の後押しに頷いてから、ユイユは杖を構える。
「──初めまして。ユイユ・フッセといいます。これからお部屋の皆さんに尋ねたいことがあります」
「──五年半前を覚えていますか? ここに手紙を置きに来た魔法族がいるはずです」
「──机さん、ありがとうございます。そのひとは、どんな見た目をしていましたか?」
「──僕より小さくて、──帽子を被っていて、髪は短いほうで」
次第に、ユイユの中で良からぬ予感が立ち込めてきた。まるで腹の中が冷や汗をかいているかのような感覚に陥る。
なんだろう。この先を聞いてはいけない気がする。
でも、ここでやめると後悔する。ユイユは自身に言い聞かせて、周りの『声』に耳を傾け続けた。
「──前髪が長くて、……僅かに見えた色が……」
嫌だ。これ以上、絞り込みたくない。
なのに、どうしてもひとりの姿が頭から消えない。
その魔法族の名は、ズィナ・シューナ。
同世代の姿を浮かべたのは、ユイユだけではない。ベベルもまた『もしかして?』と言いたげな顔をしていた。
彼女の神妙な表情に気がつくと、ユイユは慌てて顔の前で杖をぶんぶん振って誤魔化した。
「ま、待ってよ! もっと聞いてみるから!」
ユイユは改めて部屋全体に呼びかけて、さらに詳しく尋ねていった。
すると、机や柱、硝子の一枚一枚までもが、ユイユの耳に囁きかけてきた。次々に流れ込んでくる情報に、ユイユは口を開けて固まる。
『祈りの魔法』を使ったのがズィナだという可能性を払拭したくて縋ったのに、聞けば聞くほど、ズィナという魔法族の輪郭が際立ってしまったのだから。
よりによって、彼だなんて。
彼は『祈りの魔法って、どんなもの?』というユイユの疑問に、とことん付き合ってくれたのに。
ズィナは、何か大切なものを隠していたのだろうか? それは、明かすのが後ろめたくなるようなものなのだろうか?
どうしよう。何も言えない。
焦る気持ちを認めながら、横目でちらりと先代たちの顔を見てみると、フッセだけは明らかに深刻そうな顔をしている。
ウェイとサントは相変わらずにこにこしているが、まさか何も考えていないことはあるまい。なぜなら早朝に彼らが図書館でおこなった会議には、1000代目でたったひとり、ズィナも参加していたというのだから。
フォンエはというと、これまで生きた時代の面々を思い出そうとしているようだが、さてどうだろう。
室内の全員が、ズィナの容姿を知っている。
もしも部屋の『声』が嘘だったなら、どれほど心穏やかでいられるだろう。そんな思いの淀みへ沈みそうになる中で、ある言葉がユイユの脳裏に蘇る。
──『対話魔法の弱点だ。声は嘘をつくこともある』
日中にカシェから受けた忠告だ。
彼の忠告が今このときを見越してのものだったとして、はなから嘘だと割り切れたなら、聞いた声に戸惑わなかったのかもしれない。
しかし、忠告に対して『それでも勇気を持って声に出してくれた言葉を信じたい』と言い返したのは、ほかでもないユイユだ。
それに、ユイユが心に刻んだ言葉があった。
──『対話の結果が如何なるものであろうとも、彼は嘘をつきません』
図書館で書物探しをするに至った、ズィナの言葉。
対話魔法を使えるユイユこそが書物探しに適任だと、言葉を尽くしてオシャーンに斡旋してくれたのだ。
ズィナが何をどこまで考えているのか、ユイユにはとても掴みきれない。しかし、あの場でズィナがユイユを信頼してくれたのは間違いない。
今、ここでズィナを庇うと、かえってズィナを裏切ることになる。
では、『手紙を置いた者がズィナの見た目をしていた』と結論づけるのが、果たして正しいのだろうか?
ユイユが助けを求めて見上げたのは、ベベルだった。
「……どうしよう、ベベル。僕、疑いたくないんだ」
ベベルが心配そうにユイユの顔を覗き込む。
「私もよ。でも『祈りの魔法』に悪意はないでしょう?」
相手が頷くのを見て、ベベルは安堵の息をついた。
「それにユイユ。ルー様の話を思い出して。祈り主はもういない、でしょ? でも、あの子はずっと私達と一緒にいるわ」
ね、とベベルが笑いかける。
「それでも気になるようなら、あの子に聞いてみて。何か事情があっても、ユイユにならきっと話してくれる」
ユイユが小さく頷くと、ベベルは顔を上げて先代たちを見渡した。
「それでいいでしょ?」
「もちろん!」と、サントとウェイ。ぱっと両手を挙げたウェイは、フッセの顔を見てぎょっとする。
フッセが泣きそうな顔でユイユに近づいてきた。ウェイはすぐににこにこ笑顔に戻って、彼を見守っている。
後ろからフッセが抱きしめてきて、ユイユは振り向く間もなかった。
「ユイユ。……頑張ったね」
先代として精一杯、後代を労おうとしたフッセ。
なのに、やっとの思いで喉を震わせたのは、消え入るように小さな声。
昼間の書物探しに始まって、『僕ならできるから』と対話魔法の役目を引き受ける後代の姿を、今日一日でフッセは何度も見てきた。
その対話魔法の中で後代は、聞くに堪えない声を耳にして戸惑う様子を見せることもあった。それでも後代は、ほかの魔法族から何を言われようとも、ひたむきに前を向こうとし続けた。
そうして一日の終わりに後代が引き受けたのは、『魔法を使った祈り主に近づける』期待と引き換えに、周りへの疑念を生み出しかねない対話だった。
魔法での対話が始まる前、フッセは後代に微笑んでいたが、はじめから涙を堪えていたのだろう。
対話の終わった今だって、本当は。
先代の心、後代知らず。
当のユイユにとっては『自分にできること』をしたまで。
なのに、フッセがあまりにも強く抱き締めるものだから、つい、ユイユは腕の中でもがいてしまった。
「んっ! まだこれからだよフッセ!」
「そうだけど……頑張ったんだよユイユぅ……」
「んー! ありがと!!」
今のユイユは照れ隠しに精一杯。目の前でベベルがくすりと笑うものだから、なんだか小恥ずかしいのだ。
ユイユは首を動かしてフォンエの姿を探そうとしたが、フッセの豊かな髪に頬をくすぐられて、それどころではなくなってしまった。
後代の心、先代知らず。
なかなかフッセはユイユから離れない。
それを見て、ベベルが躊躇いがちに切り出した。
「ユイユが悩むぐらい、いろんな『声』を聞いたのよね。ごめんなさい」
「いいよ!? 僕も……聞きたいって思っていたから。連れてきてくれてありがとう」
「お礼を言うのは私よ。ユイユ、ありがとうね」
帰ろっか、とベベルが扉を指すとすぐ、フォンエが「ほら、帰るってさ」と、フッセの肩を叩いて振り向かせた。少し前から彼の真後ろで待ち構えていたらしい。
サントとウェイが部屋から出ると、続いてフォンエがフッセの背中を押して扉をくぐり、その後にベベルがついて歩く。
最後にユイユが扉に向かおうとして、はたと足を止めた。振り返って、改めて部屋中を見渡してから、胸の前で杖を握り、目を閉じる。
『──話してくれて、ありがとうございました。このあとも、どうか僕たちを導いてください』
再び目を開いたユイユは踵を返して、小さな部屋を後にした。
*
工房までの帰り道は短かった。
それもそのはず。昼に西部の工房から北東部の図書館に来たときと違って、日中の見張り分担が終わった今は、コーレニンの中央にある大広間を横切ったって誰からも文句を言われる筋合いがないからだ。
と、いう理論を掲げて、先頭を歩くウェイとベベルが堂々と大広間に踏み入ったものだから、後に続くユイユ達は従うしかない。
せっかくユイユが歩きながら、ズィナになんて話そうか考えていたのに、大広間の玉座で寛ぐルーと目が合った途端、頭の中からすべてが吹き飛んでしまった。
ルーがニヤリと笑いかけるも、ユイユ達を咎めることはなかった。
ルーは最初から、ユイユ達の居場所を掴んでいたのだ。でなければ、追加の指令書がユイユ達のもとに届くはずがない。
何でもばれていたとわかるからこそ、ユイユは後ろめたさを感じながらも、何事もないかのように挨拶して通り過ぎていった。
ただひとり、最後尾を歩くサントが「ルー様!」と、手を振って呼びかけた。
「お客さんは?」
はっとして、ユイユは入り口の手前で振り向いた。
視界の中で、ルーが座面に手を突いて、ひょっこり身を乗り出した。
そして、こう答える。
「カシェに聞いてみな」
と。
ルーの答えにサントは満足したようで、「は〜い」と笑顔で手を振った。
ルーは再び、玉座にすっぽり収まった。
コーレニン西部。
ひとつめの柱を越えたところでユイユは、ズィナになんて話そうか、これといった言葉を考えつかなかったのだと思い出す。
結局、どうしようかと悩んだまま工房の前に着いてしまった。ベベル達の三人は、今日一日の別れを告げると、最寄りの箒専用通路にあるという、ウェイの仮住まいへと帰っていった。
一方で、ユイユ達の三人は工房へ。
中に入るなり、フォンエが呟く。
「来なかったんだ」
出てきたときから何も変わらない、工房の中。
何かあったときのために、とフォンエが鍵を開けておいたが、フーラル達が再び訪れることはなかったようだ。
彼らも大変なのだろう。安心して夜を過ごせるといいのだが。
そんなことを考えながら、ユイユはダイニングテーブルの前に座った。
機械や作業台の並ぶ工房には不釣り合いなテーブルは、この工房に通う魔法族たちが好んで座る場所だった。ユイユもそのひとり。フォンエも気に入っているらしい。
数ヶ月前からは、ズィナもこの工房を訪れるようになった。
今度こそ、ズィナに話を聞かないと。彼はまだ図書館にいるだろうか?
心を決めて杖を両手で握り、対話魔法でズィナに呼びかけようとするが、なかなか言葉が出てきそうになかった。
杖の両端を飾る青銅色の鐘に、自分の不安げな顔が歪んで映っているのが目に入る。
思わず、溜息をついた。
すると横から手が伸びて、ユイユの目の前に、赤茶と桃色を織り交ぜた組紐編みのコースターを置いていった。
さらにその上に、ぽってりとまるい乳白色のマグカップが乗る。
甘い香りの湯気につられて見上げると、フォンエが穏やかに微笑み返した。
「私達は奥の部屋で布団を見繕ってくるからさ。ユイユはゆっくり話しておいで」
カップにたっぷり入ったココアが、も、も、と湯気を上げる。
ユイユはテーブルに鐘の杖を置いた。杖がころりと転がって、湯気で曇ったほうの面がこちらを向いた。
──……ズィナ。あのね。
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