時空橋編(23)



  コーレニン北東部

 心細さを抱くのは、異空間ではないもとのコーレニンでも同じこと。
 図書館前でズィナと別れてから、ユイユ、フッセ、フォンエは、正面にある部屋で縮こまっていた。

 座卓しかない簡素な部屋は、ズィナが部屋の持ち主に無断で彼らにあてがったもの。
 板間に上がるのも気後れして、三名は玄関の縁に身を寄せ合って座っていた。

 本来なら、この三名は外に出てくるべきではない班だった。
 持ち場だった西部の工房を離れたのも、知りたいことを知るためで。

『祈りの魔法って、どんなもの?』

 その『知りたいこと』は、図書館に就くオシャーンの魂系や、その班に居候しているズィナの力を借りて、かなりの手掛かりを得たのだが。

『誰が、なんのために祈ったの?』

 その本質は未だ遠くにあるようだ。これ以上、自分たちで先に進むのは難しいだろう。
 だからといって、拠点に帰ることも、ままならない。

 自分たちは、本来なら出てくるべきではない班だったから。

 だから今は、ともに出歩いても許される班の迎えを待っている状態なのだ。
 彼らは快諾してくれたが、現在のコーレニンでは、箒専用通路や時空間移動の小部屋をいつものようには使えない。連絡をとった時点で彼らがどの地方にいたのかにもよるが、図書館まで歩いてくるには時間がかかるだろう。
 それまでは、ここでおとなしく待つしかない。

 だが、何もできずに待つしかないのは、後ろめたくてもどかしい。


 ユイユは頭の中で、フォンエの言葉を時折繰り返していた。この部屋に来たときに、彼女が口にした言葉だ。

『私にはどうにも、手紙にかけられた【祈りの魔法】が、純粋に誰かの幸せを願ったものとは思えないんだ』

 彼女にも思うところがあったらしい。彼女は両手で膝を握って、玄関扉をまっすぐ見上げていた。波打つ灰紫の髪の向こうに、塞ぎがちな横顔が見え隠れする。
 途方もなく長い時間を生きてきた彼女にも、わからないことがある。
 生きた時間がたった十五年ばかりのユイユには、もっとわからないことが沢山だ。

 反対隣のフッセには、きっと、わからぬまま終えようとしているものがある。

 それでも。

 それでも。

 ……────


 トン、トン、トン!

 玄関扉を叩く音に、皆が目をかっ開いて飛び上がった。
 小さな悲鳴を上げるフッセに代わって、ユイユが「ど、どうぞ!」と呼びかける。

 間もなく、ず……と音を立てて、扉が引き開けられる。
 その向こうには、眩しい笑顔が並んで咲いていた。

「お待たせ! 僕達が来たからもう大丈夫だよ」

 朱橙の癖毛を持つ先代、サントと。

「遅いから心配した? これでも急いだほうなのよ」

 同世代のベベル・ウェイウィーア。

 後ろからもうひとりの姿が現れると、フッセが思わず上擦った声を上げた。
「ウェイ!? ウィーアは……?」
「別のとこ。私達はご飯をね、配りながら歩いてきたんだよ」
 黄寄り橙の髪をふたつ結びにした、いちばん小さな少女が笑いながら答えた。

 光を放つ明るさ。熱を帯びた心強さ。陽だまりの心地よさ。まるで『太陽』というものが目の前に降りてきたかのよう。
 玄関が狭いので、サントだけが三段程度の小さな階段に足を乗せた。
 板間の縁には、すでに三名が身を寄せて座っている。そこにサントがやってくると、手狭なたたきが満員になってしまった。
 真ん中に座るユイユの膝先に、サントのゆったりとした下衣が触れる。
「……温かい」
 ほんの少しのことなのに。
 口に出してしまうほど、底冷えがさらわれていくのをユイユは感じた。
「そうだね。嬉しいよ」
 目の前でにっこりと笑うサントはきっと、ユイユの不安を和らげることができて喜んだのだろう。
 なんて優しいのだと噛み締めるユイユの隣で、フッセとフォンエがサントを見上げる。
「来てくれて、ありがとう」
 ふたりが言う声を耳にして、ユイユも同じく礼を重ねようとしたのに、思いの外に小さな呟き声しか出せなかった。

 それでもサントは、
「いいよ」
 と笑うし、開けたままの玄関先では、
『い・い・の』
 と、ベベルが声を出さずに、大袈裟に口を動かしてみせた。

 強気で茶目っ気のある後代の素振りに、気づいてか気づかずか──笑顔のまま、サントがひとりで頷いた。
「温かいのはね。これもなんだよ」
 そう言って彼が差し出したのは、木皮を編んで作られた大きな蒸し籠。思わず手を伸ばしたユイユは、湯気の熱さに手を引っ込める。
 すぐにも湿り気だけを残して冷めていく指先を、手の中にぎゅっと握り込んだ。
「びっくりしたぁ……」
 言葉にそぐわず、目を輝かせるユイユ。その様子を見て、サントはやわらかな笑い声をこぼした。

「見てごらん」
 彼が素手で蓋を開けると、湯気がもわあっと立ち昇った。やがて、奥にあったものがくっきりと見えてくる。
 それはふっくらと炊き上がった、いくつもの具入りまん。皮の色は、白、黄色、桃色と様々だ。
「包子だよ。どうぞ」
 サントの話す明るい声が、ユイユ達の食欲を更に盛り上げる。

「い、……いただきます!」
 真っ先に、ユイユが大きくて白い包子を掴み取る。続いて、フッセとフォンエも待ち侘びたご飯を手に取った。熱さにも、ひとくち食べるごとに吹き出す細い湯気にも、思わず笑えてきてしまう。
 サントはというと、扉側の階段に腰を下ろして、同じく包子を食べ始めていた。玄関先から聞こえる、『まだ食べるの!?』という後代の声を、まるで気に留める様子がない。

 蒸し籠にいっぱい詰め込まれていた包子は、あっという間になくなった。


「ベベルから聞いたよ。コーレニンとルーベリーを繋ぐ『時空橋』」
 先に玄関階段を上がるサント。彼に促されて、ユイユとフッセ、フォンエも廊下に出る。
 柱の灯りは、そのひとつずつが硝子の中でかなり小さくしぼんでいた。正面にある図書館のほうが明るく見えるぐらいだ。館内の灯りが磨り硝子を通して、廊下をうすらぼんやり照らしている。
「『時空橋』の存在は僕達337代目も知っているし、1代目だって知っている」
 サントが先代ウェイに目配せすると、彼女はにっこり頷いた。
「1代目の私達の中にはね、ルーベリーを訪れた魔法族もいたんだよ。でも、この時代に来て初めて聞いたの。その『時空橋』は閉ざされたって」
 ウェイが同世代のフッセを見上げる。フッセは肩をびくつかせてから、小さく頷いた。
 サントも同じく、うんうんと相槌を打つ。
「時を経て337代目。僕達がルー様から教わったのは『時空橋』が使えなくなったこと。ルーベリーとの行き来を、ルー様が禁じたんだね」
 ユイユとベベル、フォンエが頷く。同じく初等教育でそう教わった者たちだ。

「そして、1000代目。僕達は初めて知った。コーレニンからルーベリーへと再び渡れるようになったって。
 閉ざされていた『時空橋』が再び開いたきっかけを、ベベルが教えてくれた。外から届いた『手紙』が、時空間を開く魔法を引き起こしたって」
 平然と頷くユイユ達に、サントは目を細める。
「ユイユがルー様から教えてもらったんだよね。手紙のことも、手紙に連なる『祈りの魔法』のことも。
 この『祈りの魔法』を知りたくて、ユイユ達はここまで来たんだよね?」
 にこにことした表情を一向に崩さないサント。その割にさくさく刺さる率直な言葉。彼の微笑む意図が遂に読めず、ユイユの顔が曇ってしまった。
「……ごめんなさい」
「あっはっは! 怒っていないよ。もしかしてベベルのほう?」
 サントが後代に振り返るとき、瞼が僅かに上がった。瞼の隙間から覗く金色の瞳は、まるで何でも照らし透かしてしまうかのような輝きだ。
 ベベルがたじろいだのも無理はない。彼女はユイユから送り迎えを頼まれたとき、彼にめいっぱい怒ってしまったのだ。
 痛いところを突かれたと、ベベルが口を半開きにして固まる。
「だって……。ねぇユイユ。あのとき私、内緒で持ち場を離れるなんてって怒ったでしょ」
 ベベルの両手が、気まずそうに後ろに回る。世代が同じ彼女の前で、ユイユも気まずそうに頷いた。
「ごめん……」
「もういいの。たっぷり怒ったから。
 でね、ユイユ。ユイユがいろいろ知ろうとしたのは、コーレニンを守るためなんでしょ?」

 ベベルをちら、と見上げてから、ユイユは俯きがちに頷いた。彼の態度がもどかしいようで、ベベルが「ユイユ」と呼びかける。
「あのね、これはお願いなの。
 手紙のことを知っているのは、ラィとマホガニーと私。こんなにいるんだから、みんなを頼ってほしかった。ううん、今からでも頼ってよ。私たちが自由を利かせてもらっているのは、そのためでもあるんだから」
「……頼って良かったの?」
「当たり前じゃないの。そりゃあ……私たちは『鍵』を持っていて、隠されておくべきなのかもしれないけれど……」

 ベベルや、同じくルーベリーを旅したラィとマホガニーが、『外』の出来事を進んで他言しないのは、ユイユにとっていつものことだった。
 ユイユの知る範囲でも、他の魔法族が『外』のことを無理に聞き出そうとするのは見たことがない。
 もちろん、話の流れでルーベリーに触れることはあるし、ベベル達も気を張り詰めてまで隠したりはしなかった。

 1000代目の中では、
 なんとなく干渉しないのが普通で、
 なんとなく隠しておくのが普通だった。

 でもそれは『ルーベリーに行った当事者ではない』ユイユから見た印象だ。

 ユイユも三年ほど前に、内緒で地球を訪れたことがあった。そのとき見聞きしたことは、なんとなく、同世代には積極的に話していない。
 理由があるとしたら、ユイユの先代だろうか。彼女はひとりで地球を頻繁に訪れていたにも関わらず、その出来事をどうやらほとんど他言しなかったらしい。
 だからユイユも、なんとなく『外』の出来事を話していないのかもしれない。

 しかし、ベベル達がルーベリーの出来事を隠し気味にしていたのは、何か特別な事情があったのかもしれない。と、ユイユは気付く。
 ルーか、彼女達の先代に言われたのかもしれない。

 だから、ベベルが打ち明けるのは。

「ルー様が私たちに『鍵』を渡すとき、こう言ったわ。
 外の世界を知ることが必要な時代になった、って。
 私たちに託された『鍵』はね。これからのコーレニンに、ルーベリーとのちゃんとした関わりが欠かせなくなった証でもあるのよ」

 相当な覚悟を要したのだろう。
 彼女は決意を固めた眼差しで、周りの皆を見渡した。

「ユイユ達を工房に送り届ける前に、お願いがあるの。みんなが良ければなんだけど。
 五年半前に私が手紙を見つけた部屋が、祈り主を覚えているのか聞きたいの」

  *

  コーレニン東部

『ユイユ達が出歩いたとき、ズィナもついてきていたんだっけ?』
『そうだよ。聞いたことのない魔法でも、ズィナならわかるかなって思って。それで最初は図書館に行ったんだ』

 廊下を他魂系が見張っている以上、何でも表で話すのは憚られる。
 ユイユ達は、ユイユの対話魔法で言葉を交わしながら目的地へと向かっていた。主に話しているのはユイユとサントだ。

 ユイユの班が昼間にズィナと歩いたのも、北東部から東部にかけての道だった。
 方角は同じだが、今のユイユ達は大広間の近くを通る太い廊下を歩いていた。『日中の見張り時間がもうすぐ終わるから、実質終わったも同然だ』というのがサントの言い分だ。
 この言い分をズィナが聞いたら胃を痛めるに違いない。彼は長の許可を得てきたとはいえ、見張りの分担配置に気を配りながら、接触する魂系数を最小限に留めようと努力したのだ。

『図書館かあ。オシャーン達も力を貸してくれたんだね』
『うん。ズィナが出かけるのを許してくれた。ズィナはね、先代が遺した資料を見せてくれたんだ。そこには、魔法道具に込めた祈りの言葉が書いてあった』

 それは、道具の持ち主の幸せを願った、祈りの言葉。
 祈り主は持ち主に、言葉を声にして伝えることはなかったのだろう。
 時を経て祈りの言葉が届いたのは、偶然だったのか、あるいはその祈りを魔法が包んでいたからか。

『ズィナが教えてくれた。祈りの形はいくつもあるって』
『うん』
 巡り巡って、願う相手に届く祈りには、サントも思い当たるところがあったようで。
 少し考えてから、彼が、

『【光の恵みが続きますように】』

 と、唱えた。
 聞いたことのない言葉に、思わずユイユがサントを見上げる。その驚きようを相手は自身に重ねたのか、彼は懐かしむように目を細めた。
『これね。ルーベリーの住民たちが祈った言葉なんだ。って、ウェイが』
 皆について歩きながら、ウェイが口を閉じたまま、笑顔でちゃかちゃか手を振った。先代の茶目っ気に、サントが片手を振り返す。
『遠い昔のことだよ。不思議だよね。僕は元いた時代で、ルーベリーにある光の届かない国に、太陽の光を贈り続けている。ルー様の指令でね。
 これは特殊な祈りかも。でも、誰かが願いを込めたことに変わりはない』
『誰かが、願いを込めた……』
『そう。国のため。そこに住む自分たちのため。やがて生まれる命のため。願う先は枝分かれするけれど、どれもまだ見ぬ未来を見つめている』

 ユイユは、これまでに聞いた『祈りの魔法』を思い返す。

 ──光の恵みが続くように。

 ──魔法道具の持ち主が、幸せであるために。

 ──手紙が、必要とする者のもとへ届くように。

 誰かが残した祈りには、言葉にできなかった願いが隠されていたのだろうか。

『……未来を見つめて』

 うまれてくる願いを。

『そうだよ。だから手紙に祈ったそのひとも、魔法を使ってまで望んだ、思い描く未来があったんだろうね』


 ベベルに連れられて、ユイユ達は細い廊下に踏み入った。薄暗がりの中を進んでいくと、やがて、硝子窓のはめ込まれた壁が右手に見えてくる。
 図書館の正面玄関と似ているが、ユイユが初めて訪れるこの場所は、図書館のある廊下ほど天井が高くない。
 石目調の硝子窓は、廊下の僅かな明かりを照らし返していた。一歩近づくにつれて、硝子のまだらな輝きが、きらり、きらり、と、揺らめきながら移ろってゆく。
「ここよ」
 と言ってベベルが立ち止まったのは、小さな窓がついた扉の前だった。







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