時空橋編(22)

ルーから指令書が届いていない。
それが意味するのは、ルーがデニアの居場所を、まだ見失っていないこと。
だから、テナは自信を持って「必ず見つかります」と言えたのだ。
「ルー様が話し合いの場をこの部屋に設けたのも、デニアスフィーナの行方を追える仕組みを敷いていたからではないでしょうか?」
テナの穏やかな微笑みに、フーラルとリヴィエは顔を見合わせてから首を捻った。
「そりゃいくらでもできるだろーけどさ」
「でも、デニアさんを歩かせて、他の誰かに何かあったら危ないよ? 閉じ込めておくのが安心じゃない?」
今度は、フーラルとテナが顔を見合わせた。
「リヴィエ。お前、ここに来るまで他のヤツを見たか?」
「ううん? 誰もいなかったよ?」
「では、リヴィエさん。最初にこの部屋を離れてから大広間に向かうまではいかがでしたか?」
「えっと……いたいた! たぶんあれはトトのとこと、ロッチェのとこ……だったかな」
リヴィエが挙げたのは、廊下で見張りをしていた魂系だ。彼はその魂系の1代目とも1000代目とも面識はないが、髪の色や長さで魂系を認識したらしい。
分担表で確認すると、確かに担当する魂系名は合っていた。しかし、テナが僅かに目を丸くしたのは、リヴィエの行きにはあった人通りが、帰りには全くなかったという事実が浮き彫りになったからだ。それがどうかしたのかと、リヴィエが小首を傾げるが。
見過ごせないのはフーラルも同じだったようで。
「待てよリヴィエ。大広間からデニアをなくすまでに、」
「なくしてないよ!」
「なくしたんだよお前は! あいつとはぐれるまではどうだったんだ!? ああ!?」
フーラルがソファの背もたれを小突く。すると、リヴィエが不満げに大きな一歩でフーラルに迫った。
「誰もいなかったよ! 足音もなかったけれど、警戒して静かにしていたのかも……しれないと思うけど……」
萎んでいく語気と相反して、リヴィエの目が徐々に大きく見開かれていく。
「……どう思う、フーラル?」
すぐにも頭を冷やした様子の相棒を見て、フーラルも背もたれに置いたままの拳を居心地悪そうにずり下ろした。
「……無しじゃねーけどさ。薄いんじゃねーの?」
ちらりと横目でテナに助けを請うたが、相手は苦笑だけで返した。
フーラルは溜息を吐き出して、リヴィエに向き直る。
「いいか、リヴィエ。今のコーレニンには普段の倍の魔法族がいる。それも、ほとんどが部屋から出て、辺りを見張っている状態だ」
目の前で、相棒がうんと頷いた。
「いくら辺りが静かっつっても限度があるだろ。だから、大広間からあいつを連れ出してから、何かがおかしくなったってのが妥当じゃねーの」
相棒がうんと頷いてから、横に首を捻った。
「大広間を出てからずっと? でもその前からこの部屋に残っていたフーラルとテナさんは? ずっとおかしいの?」
「リヴィエぇ!」
フーラルが渋い顔をすると、横でテナがぷっと吹き出した。
「私達も大概おかしい者達ですけれど、そういう話ではないんです。フーラルさんが思い浮かべたのは、空間に関する魔法の可能性ですよね?」
「そうだ」
「ですよね。私もです。そして、空間魔法の影響下にあるはずのタイミングが、私達とリヴィエさんとでずれているのでは、と、リヴィエさんは指摘したいのですよね?」
テナの言葉を口の中で繰り返すリヴィエ。やがて頭の中で言葉とイメージが繋がったようで、勢いよく首を振り下ろした。
「そうだよ! うん! そう!」
「ええ良かったです。ここでひとつ質問させてください。先ほどリヴィエさんがこの部屋に戻ってこられたとき、普段通りに扉を開けられたものとお見受けしましたが」
「そうだよ!」
「では、リヴィエさん。最初にこの部屋を訪れたとき、リヴィエさんは扉の開閉を試そうとされていましたよね。そのあと私達に何も告げずして、大広間へ向かわれたのでしょうか?」
「そんなことない! 閉めた扉を開けたら、ふたりかが部屋からいなくなってて──」
言葉を続けようとしたところで、あっとリヴィエが息を呑んだ。デニアを見失ったときの状況と同じだと初めて自覚したのだ。
「そうですか」
と、テナが頷く。
「あくまで推測なのですが。何らかの条件で、この部屋や、デニアスフィーナを見失った地点が、異空間と入れ換わっている可能性が高いですね」
「可能性……」
「ええ。あくまで可能性なんです」
テナがティーカップを片手に、にっこり笑った。
「思い込みだけで判断するのは危険ですから。ルー様に確認してみましょう」
テナの視線の先にはリヴィエ。彼は大きく頷いた。
「だってさ、フーラル!」
リヴィエの声に熱が籠る。期待の眼差しを受けるフーラルだが、「おい待てよ」と言わずにはいられなかった。
「こっちからルーに聞く方法なんてあるのかよ? 指令書があっただろ。あれが届いても俺達は返事を送れねぇ。ルーに何か送ることも普段はできねーんだぞ」
「そうなんですか?」
「そうなの!?」
「そうだよ!! それに、異空間? つったっけ?」
フーラルが立ち上がり、扉へと近づいた。取っ手を握って扉を開けて、頭だけを廊下に出す。左、右、と眺めてから、他のふたりに手招きをした。
呼ばれたリヴィエとテナも扉に寄った。リヴィエは屈んでフーラルの脇の下から、テナは爪先立ちをしてフーラルの肩越しに、それぞれ廊下の様子を覗き見る。
「……静かだね」
「誰の足音も聞こえませんね」
「だよな?」
フーラルの合図で、リヴィエとテナが首を引っ込める。再び扉を開けてみるが、やはり異様に静かな廊下に変わりはなかった。
「閉めるぞ」
取っ手を引くと、ガチャンと音を立てて扉が閉まった。
「扉の開け閉めだけじゃあ空間の繋ぎ先を変えらんねーんだろ」
「そうですね。切り替わりを不自然に思わせないようにとの、ルー様の配慮なのでしょう。あの方がコーレニンに入れ子空間をつくるのは、」
「やりそーだよな」
「できそうだもんね」
「ですよね。はぐれたデニアスフィーナの行き先が、もとのコーレニンだとは考えにくいでしょう。ルー様は、彼女を更なる入れ子空間に閉じ込めてしまったのでは?」
テナはローテーブルまで歩いて行き、ソファに腰を下ろした。トレイに載ったティーポットに杖を向けて、何やら小さく杖先を動かし始める。
「異空間の中に異空間……? なんのために?」
「時間稼ぎでしょうね、おそらくですが」
「……いつまで?」
「それは、ルー様の判断次第では?」
ティーカップに紅茶を注ぐ、小気味の良い音がする。カップからは、ほのかに湯気が立ち広がった。
できましたよ、と声が掛かったので、フーラルとリヴィエもローテーブルに集まった。
スプーンからカップに飴玉を転がし入れて、テナがふたりに紅茶を配る。
リヴィエはひとくち飲むと、飴玉を更に加え入れた。斜め向かいで、テナは自身のカップにミルクを注ぎ入れる。その様子を流し見ながら、フーラルは茶菓子に手を伸ばした。
三者それぞれ紅茶を楽しんでいると、おもむろにテナが口を開いた。
「ルー様に宛てて質問を送ったとして、いくつか危うい点が想像されます。
ひとつは、質問状がルー様に届かず、空間内で迷子になること。
もうひとつは、迷子になった質問状が、何らかの不都合で他の魔法族やデニアスフィーナの手に渡ってしまうこと。
入れ子空間の存在は、きっと公には明かされていないでしょう。そんな中で、危険を冒してまで質問状を送るのは、果たして正しいのでしょうか?」
自分たちの気持ちと、全体の益と、どちらを優先するのが正しいのか。答えはとっくに出ているはず、なのに。
テナはカップの中をくるりとかき混ぜた。静かに波を立てるのは、ほんのり白く濁った水面。
「ルー様は、私達を野放しにするようなことはしないでしょう。ですから、今みたいに困った時は、声を上げてみましょうよ。
『助けてください。私達の置かれている状況を正しく教えてください』って。
もしルー様が何らかの方法で私達を眺めているのでしたら、何らかの方法で答えを教えてくださるのではないでしょうか?」
テナの呼び掛けは、本当にルーへ宛てたもののようだった。
『助けてください』。部屋の中で少しだけ強く張り上げた声は、凜としていながらも、どこか不安の訴えを連れていた。
「そーだよな。今の俺達があいつに近寄れないのも、ルーに目的があるからかもしれねーもんな」
「ええ。諦めて一晩明かすしかありませんね」
そう言って微笑むと、彼は眠たそうに目元を擦った。
どこでも眠れる体質は、地球を旅してきた自分たちの成果だ。
せっかく布団やクッションがたくさんあるというのに、相棒も親友もソファで眠りこけてしまった。なんて気持ちの良さそうな寝顔だろう。
かく言うフーラルも、つい先ほどまで微睡んでいた。まるで靄のかかったような頭の中。奥の布団に寝に行くか、なんて考えたが、ローテーブルに置いたままのティーセットが視界に入ってしまった。
溜息をついて、フーラルはティーセットをトレイに乗せて立ち上がった。
部屋の隅の流し台に持っていくが、相棒も親友も起きる気配がない。片付けている間にカップや茶缶がカチャカチャと音を立てるが、フーラルの頭も目覚めていく気配がない。
片付けが終わったあと、ふと気になって、こっそり玄関扉を開けてみた。廊下は三人で見渡したときよりも暗くなっていた。しんと静まりかえったそこは、相変わらず誰の足音も聞こえない。
なんとなく足下を見下ろすと、あるものを見つけた。布に包まれたそれを両手で拾い上げて、フーラルは扉を閉める。
ローテーブルに戻ると、フーラルは布包みを置いてソファにどっかり腰を下ろした。隣で相棒がフーラルに気付いて、微かに瞼を上げる。
寝起きの彼に目配せをしてから、フーラルは包みを解き始めた。程なくして姿を現したのは、三段の蒸籠だった。
「……サントだ」
フーラルの脳裏に浮かんだのは、朱橙の癖毛に包まれて、なぜだかいつも喜びに満ちた、穏やかな先代の笑顔だった。
──『もし、万が一、首を突っ込むようなことがあったら、その…… よろしく頼む』
──『もちろん。任せて』
遠い過去に交わした約束を、先代は覚えてくれていたんだ。
そう思うと嬉しくなって、心が温まっていくのを感じた。
相棒に振り返ると、彼はまだ眠気の抜けない様子だったが、フーラルの笑顔を見て嬉しそうに目尻を下げた。
同じ包みに入っていたカードに気が付いたのは、そのあとだった。
指令書と同じ紙質のカードに、いつもと同じ筆跡で書いてあったのは、テナが請うた答え。
『私達の置かれている状況を正しく教えてください』。ルーの答えは、フーラル達が立てた推測、『コーレニンの中に入れ子の異空間があり、フーラル達はその異空間にいる』説と、ほとんど一致していた。
フーラルは、リヴィエにも見えるようにカードを低くかざしてやった。後に続く激励の言葉を読んで、フーラルとリヴィエは顔を見合わせて微笑んだ。
カードによると、ルーとサントの贈り物をルーの魂系ふたりが取りまとめて、この異空間に送ってくれたらしい。
皆がそれぞれ、フーラルとリヴィエ、テナのことを気に掛けてくれていたのだ。
それがわかっただけでも、この先も頑張れそうな勇気が湧いてくる。
フーラルは天井を見上げて「ありがとな」と、呟いた。
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