時空橋編(21)



『監視と危険察知の精度。監視解除の判断力。他に適任がいるか?』

 カシェは円卓に手を突いて、天板に浮かび上がった文字を睨んだ。

 先刻、カシェとマホガニーのいる小部屋に、ルーからの指令書が届いた。
 内容は、デニアの監視。指令を請け負うのは、カシェ。
 小部屋にいながらにして対象となる人物を監視するのは、カシェにとっては容易いことだ。使える魔法はいくつもある。
 まず、『影伸ばしの魔法』。自身の影に意識を憑依させて、その影を伸ばしてターゲットに近付く魔法だ。
 次に、『探知魔法』。こちらは、対象とする空間に異物がないかを探る魔法。
 このふたつを組み合わせれば、デニアという人物がどこで何をしているのかが把握できるはず。そう判断してカシェはデニアの監視を始めるも、長くは続かなかった。

 理由は、『コーレニンから、デニアの存在が消えたから』。
 大広間でルーとデニアが呑気に茶をしばいているまでは良かった。しかし、999代目のリヴィエという魔法族がデニアを連れて大広間から出た途端に、『影伸ばしの魔法』も、『探知魔法』も、反応が消えたのだ。
 ふたつの魔法の消失が指すのは、『コーレニンの入れ子となる別空間に、デニアが隔離された』という事実。隔離先となる別空間は、ルーが前もって用意していたのだろう。
 半分予想通りの展開に、カシェは苛立ちを感じながらも即座に対応した。
 監視対象が別空間に隔離されてしまったのなら、監視の手立てを別空間に繋ぎ直せば良いだけ。手間は掛かるが、カシェにとっては容易いこと。

 そうして、隔離先でデニアを捉えて安堵するも、今度は更なる問題が立ち塞がった。
 隔離先で、リヴィエがデニアを、更なる入れ子空間に閉じ込めてしまったのだ。
 さすがにカシェも、腹が立つのを通り越して、呆れるしかなかった。

 幾重にも重なる入れ子空間を用意したのも、ルーに違いない。だから、カシェはルーに当たったのだ。
 だが、ルーから返ってきたのは、カシェをおだてるようにも受け取れる言葉だった。
 穏やかなのに、きな臭い。ルーの言い方は、何かを『代わりに』『実行してほしい』時の言い方であると、カシェは熟知していた。

 何かを『代わりに』『実行してほしい』。
 誰の代わりに? ──ルーの代わりに。
 ──あるいは?

 カシェは顔を上げて、円卓の向かいにいる後代を見つめた。
 少し遅れて後代が視線に気付き、彼は戸惑いを隠すように瞬いた。

「マホガニー」
 後代の名前を呼び、カシェは杖先で天板の上に円弧を描く。天板に浮かび上がっていた文面が、杖の動きに合わせて、マホガニーの正面に向くよう回転した。
「どう受け取る?」
 カシェの鋭い声色に、マホガニーが目を見開いた。次いで、先代の真紅の瞳、彼の持つ杖の先、それの示す文面へと、順に目を留めていく。
「……相手の生死を僕達で握って良い、ということ?」
「殺すつもりか?」
「まさか!」
 うろたえる後代の姿は、カシェにとっては些細な憂さ晴らしにしかならなかった。カシェは口を曲げて溜息をつく。
「いいか、マホガニー。俺達はあくまでルーと魂を分かつ存在だ。だが、ルーの思い通りに動くだけなら、ルーがいれば事足りる。
 ルーの望みだの方針だのは散々聞いた。その上で、あいつは相手の監視を俺達に投げてきた」
「……『達』?」
「俺とお前も魂を同じくする存在だ。俺がいなければお前が担っていたかもしれない。『今』を生きるのはお前だ。そこで、どうする?」
 カシェは杖を握ったまま腕を組んだ。天板の文面は、マホガニーに向いたまま。
 マホガニーは、しばらく考え込むように口を結んでいたが、やがて意を決したらしい。手のひらで天板をなでて文字を消すと、すぐに人差し指で文字を綴り始めた。
『経緯はどうあれ、彼女はコーレニンと交渉するつもりだったはず』
 まもなく、綴った文面が消えた。向こうでルーが読んだという合図だ。

『彼女が去るだけでは、ヴェイスとコーレニンの関係は進展しません』
 文面が消えた。

『彼女もコーレニンも、そして先の来訪者も、最善の状態で交渉に挑むべきです』
 文面が消えた。

『そのために、時間をください』
 文面が消えた。追って、文字が天板に浮かび上がる。

『マホガニーか。良いだろう。私もそのつもりだ』
『私よりも、お前達の方が多く持つ情報もあるだろう。知恵をもって、コーレニンを導いてくれ』

  *

「日が明けるまでは様子観察。日が明けてから、可能であれば交渉に持ち込む。不都合なら様子観察を続ける」
 カシェの唱える方針を、マホガニーが口の動きだけで復唱して覚え込む。
「他魂系には知らせる?」
「別空間に手出しをされると面倒だ。俺達の方針が崩れたら、たまったものじゃない」
 よほど、999代目のリヴィエの行動が、カシェにとっては腹立たしかったらしい。そりゃそうだ。来訪者デニアを連れて異空間に入ったリヴィエが、意図せずにそのデニアを更なる入れ子空間に閉じ込めてしまったのだから。
 現在、リヴィエの入った異空間と同じ『層』にいるのは他に二名だけ。同じく999代目のフーラル・ウェイウィーアと、最初の来訪者であるテナメリウェ・パシフット。彼らはルーの指定した部屋で待機中だ。
 彼らもリヴィエも『自分たちが異空間に入る』ことをルーから聞いていなかったようだ。誰を異空間に通すのか、そして待機に使う部屋が異空間と繋がるための条件も、ルーが判断して操作しているのだろう。
 待機の部屋に入ったフーラルとテナがいなくなった、と誤解したリヴィエが大広間に駆け込んで、ルーに助けを求めた──というのが、先程までのこと。当事者たちですら、この有様なのだ。

 さすがにカシェも、この異空間をどう扱うかに悩んだようだが、
「『999代目が別空間にいる』ことまでなら知らせても良いだろう」
 と、結論づけた。
 続いてカシェは天板に杖を向け、魂系ごとの分担表を呼び出した。
「だが、問題はここだ」
 彼が杖先で指すのは、固定の配置に就いていない魂系だった。
「ハルテとウェイウィーア……」
 マホガニーが呟いたのは、朝に記録魔法瓶の運び出しを共に行った魂系でもあった。
 記録魔法瓶は、もともとマホガニーの部屋に置いてあったものだ。しかし、中に保存しているのはルーベリーの風景。もし、瓶が相手組織の手に渡れば、ルーベリーの情報が漏れることになる。
 万が一の事態を懸念したのはカシェだった。そこで、固定の分担に就いていない魂系に、記録魔法瓶の運び出しを手伝ってもらったのだ。

 現在、カシェの懸念材料は、手助けを得たその魂系だった。
 ハルテの魂系の1000代目、レイミンとロイシン。彼女達は独自の経路を構築して、他魂系にばれないように、鞄に入らない分の記録魔法瓶を別の場所に隠してくれた。
 しかし、その経路は得体の知れないものだ。おそらく普通の送還魔法とは違うものなのだろう。

「あの時の三名はつけていない。逆にこっちをつけられると困るからな」
 カシェの突き刺すような視線を受けて、マホガニーはさり気なく目をそらした。
「そうだね。頼れるのなら心強いけれど。せめて、ルーの方針に従うのか背くのかを知りたいよね」
 やるしかない、と杖を握り直す。すると、こちらの杖にカシェの杖先が突きつけられた。
 否応なしにその杖先を凝視すると、今度は鋭利な声が迫る。
「何をするのか先に言え」
「でも」
「俺はほぼ確実に止めるだろう。それならお前が俺を言い負かせば良いだけの話だ」
 あえて前に立ちはだかるように振る舞うカシェだが、彼はこれに関して手詰まりらしい。状況を打ち開くための根拠を求めての発言だろうとマホガニーは受け取った。
「わかったよ、カシェ。双子達が記録魔法瓶をどこに隠したか。場所によっては彼女たちの意図を読めるんじゃないかと僕は考えた」
 マホガニーは話を続ける。
「記録魔法瓶のいくつかに追跡魔法をかける。もしかすると、僕達の居場所を双子に『逆引き』されるかもしれない」
 目の前で先代が頷く。リスクに対する同意だろう。それを理解した上で、マホガニーは続ける。
「でも、双子がルーの方針に添うのなら、僕達の居場所を知られても不都合はないはず。困ることがあるとしたら、カシェの監視経路を覗かれること」
 再び頷く。その表情は『まったく厄介だ』とでも言いたげだ。しかしマホガニーは臆さない。
「本来なら僕が別室に移って追跡魔法をかけるのが手堅いのかも。だけど僕はカシェから離れたくない。……そんな顔しないで。理由は後から話すよ」
 とにかく、とマホガニーが急ぐ。
「すでにこちらの弱みを相手に預けてあるんだよ。信じるしかない。後戻りはできない。だけど僕達は信じるための裏付けが欲しい。それに引き換えるなら弱みが増えても仕方ないんじゃない?」

 相手の返事は、わざとらしい溜息だった。負けを認めたくないのに納得するほかなくて、気にくわなかったらしい。あまりにも露骨な態度でありながら、
「好きにしろ」
 杖を下ろしながら寄越された言葉は素直じゃない。
 なんだかおかしくなって、
「ありがとう」
 と返すと、相手は口を尖らせて横を向いた。
 それ以降、彼は口を噤んだまま。『始めろ』の合図だと受け取ったマホガニーは、杖を円卓の天板に向けた。

「ナプレネ」

 呪文を唱えると、天板がうっすら光を帯び始めた。そこにマホガニーは握り拳をかざした。
「ずっと前にね。僕の部屋で追跡魔法を試すことがあったんだ」
 彼は、こう続ける。
 マホガニーがルーベリーから帰って来て一年経った頃にはすでに、居室で保管する記録魔法瓶の数は百を超えていた。だから、目的の小瓶をどこにしまい込んだのかがわからなくなり、居室の中で探すことが何度もあった。
 そんな時に知ったのが、追跡魔法の存在だ。その仕組みは、あらかじめ記録魔法瓶に魔法を仕込んでおいて、あとから必要になったときに、仕込んだ魔法と紐付けることで、目的の記録魔法瓶の在処を探る、というもの。

 やがてマホガニーは、ひとことに『追跡魔法』といっても、その種類は様々であることを知った。
 そこで、新たな『追跡魔法』を知るたびに、記録魔法瓶のいくつかにその魔法をかけて、使い勝手を確かめた。別の『追跡魔法』を知ると、他のいくつかの記録魔法瓶に。──と。

「記録魔法瓶に仕込んだ追跡魔法の種類も、魔法をかけた時期もばらばらなんだ。だから今から見るのもほんの一部にすぎない。それに、部屋の外まで小瓶の在処を探るのは初めてなんだ」
 曰く、マホガニーの部屋で追跡魔法を使ったときには、彼の部屋にある円卓の天板を部屋の間取りに見立てて、小瓶の在処を示すようにしていたのだという。ちょうど、マホガニーの部屋も、円卓と同じく円い間取りだったのだ。
 そして、これから見るコーレニンも、今ふたりが向き合う円卓と同じく、全体が円い形をしている。

「ドゥプール・レネ」

 マホガニーが拳を開くと、中から光の粒がぱらぱらと天板に落ちていった。
 やがてその粒たちは、天板の端の一箇所に集まっていった。マホガニーは、コーレニンの地形に見立てた円い天板の上で、光の粒が集まる箇所と、自分たちがいる箇所とを交互に指差す。
「西部だ。かなりの奥地だね」

 この中には、マホガニーが持ち運んでいる分と、大広間のルーに預けた分は入っていないらしい。
 そんな事をマホガニーが考えていると、目の前に紙片が落ちてきた。
「──指令書? とは違う……」
 二つ折りのその紙片を開こうとするが、糊がしっかり塗ってあるのか、とても開きそうにない。よく見ると、端に三つの四角形が並んで描いてあることに気付いた。
「まさか」
 マホガニーは懐からペンを取り出して、四角形の中にひとつずつ、数字を書き込んでいった。
 書いた数字は、双子達に運び出してもらった記録魔法瓶の数だ。間違いなく、これはあの双子が仕組んだ鍵だ。
 数字は正答だったようで、紙片の折口に塗ってあった糊が剥がれて中身が露わになった。

 そこには、ひとつずつ判で押した、規則正しく整った文字が並んでいた。
『心配しなくても、小瓶はあたし達がばっちり隠したよっ!』
 文字の形こそ普段と違えど、陽気な言葉づかいで差出人がロイシン・ハルテだとわかる。
 彼女から手紙が届いたということは、すなわちマホガニーの探知魔法を双子が感知したということ。しかし、マホガニーは驚かなかった。双子なら気付くだろうと思っていたからだ。

 ロイシンからのメッセージの下には、妙な余白が空いていた。
 返信欄だと判断したマホガニーは、そこにペンで書き込んでいく。
『ありがとう。疑うような真似してごめん。今から小瓶に追跡解除の魔法をかけるから』
 少し考えたあと、
『頼んだよ』
 と、書き加えた。
 紙片を二つ折りに戻して懐に入れると、マホガニーは円卓の天板に杖を向けた。
 杖を軽く振ると、天板が帯びていた淡い光も、天板の上にあった光の粒も、まるで眠りゆくように消えていった。


 偶然は、ときに図ったように訪れる。
 双子とのやり取りを終えた後、記録魔法瓶を託した魂系のもう片方から『鍵』を通して着信が入ったのだ。

『もしもし、マホガニー?』
 慌てた様子で話すのは、その魂系の最年少。ベベル・ウェイウィーア。

「ベベル? どうしたの?」
『レイミン達がどこにいるのか知らない? 朝に出たきり帰って来ていないの』
「……え?」

『私達も用事で出なきゃいけなくて、入れ違いになるといけないから。……え? 代わるの? いいわよ。マホガニーも? わかったわ』
 どうやら、ベベルの傍で誰かが代わるように言ったらしい。マホガニーも同伴者と代わってほしいとベベルから伝言を受けたので、マホガニーは『鍵』をカシェに渡した。
 『鍵』を受け取ったカシェは、それを訝しげに睨みながら口を開く。
「サントか?」
 眉間に少しばかり寄った皺は、『鍵』の向こうには届かない。すぐにも相手の柔らかな声が返ってくる。
『そうだよー! 調子はどう?』
「誰かのせいで散々だ。お前のせいではないのが腹立たしい」
『難しいねぇ。ところでカシェ』
「何だ?」
『僕たちに隠し事をしていない?』

 サントの言葉を聞いて、カシェが僅かに眉を吊り上げた。『鍵』を使った会話では、周囲にいる者にも相手の声が聞こえる。だから、サントから突きつけられた言葉に、マホガニーも口元を引き締めたが。
 先ほどハルテの双子とも一件あったばかりだ。サントをよく知るカシェにとっては想定内の質問だったらしい。
「今更な話だろ。お前達に話す事はない」
『そうかなぁ? 僕の隠し事と交換する?』
「……言ってみろ」
 断っても無駄だと、カシェは半ば諦めていた。
『ありがとう。僕の後代がこの時代に来ているんだ。フーラルっていうんだけど』
「知ってる」
『僕は彼と約束をしてきた』
「……何だって?」
 さすがに誰からも聞いていない。想定外の発言に、吊り上がっていたカシェの眉が、少しだけ緩まった。

『彼は僕の話を聞いて、自分で考えた上で心を決めてこの時代に来た。だけど彼にとって、事の発端は僕。先代としても僕は責任を果たすべきだよね』

 カシェの脳裏に、サントの見透かしたような笑顔がありありと浮かんだ。そこに『鍵』の向こうからサントの声が続く。

『だから、フーラルの居場所を教えてくれるよね?』

  *

  コーレニン南東部

 フーラル達に指令書が示した部屋は、仲の良い者を集めて寛ぐにはぴったりの部屋だった。
 ゆったりとした広さの中に、四角いローテーブルを挟んで、ソファが向かい合っている。壁際には小洒落た暖炉があり、その上には、蝋燭や飾り皿、硝子瓶や焼き物の壺が並ぶ。
 別の壁面には、レースカーテンのかかる大きな窓があった。窓の向こうに草花生い茂る庭が見えるが、窓の鍵が見当たらず、開けることはできなかった。
 この部屋のもつ雰囲気は、地球にある取引所の一角をも思わせた。広さも家具も何もかもが取引所とは異なるが、取引所に馴染みの深いフーラル達は、なんだか懐かしい気持ちを抱いた。

 フーラルとテナがこの部屋に入った後、外からリヴィエが扉の開閉を確かめていたようだが、彼は何も告げずにどこかへ行ってしまった。
 なかなか戻ってこないので、残ったふたりはこの部屋の中を適当に物色し始める。
 奥にあった引き戸を開けてみると、そこは床が一段高くなっていて、布団やクッションが有り余るほどに積んであった。
 別の開き戸を開けてみると、今度は小さな流し台が。隣の棚には、色とりどりのティーカップやポットが仕舞ってあった。デザート皿やカトラリーもある。

「お泊まり会かよ」
 フーラルのぼやきに、テナがくすりと笑う。
「良いですねぇ、お泊まり会。またしてみたいです」
「……そうだな」

 おそらくこの部屋も、魔法族の誰かがお泊まり会に使った場所なのだろう。それは前の世代かもしれないし、この時代の誰かかもしれない。いずれにしても、楽しいひとときだったことに間違いないだろう。
 そんな場所を、あえてルーは示したのだ。それはまるで『泊まりになっても良いように、長丁場を覚悟しろ』と言われたようなもの。

 ──わかってるっての。

 交渉が長引くかどうかはフーラル達次第だ。もし長引いたとして、他の魔法族に及ぶ影響は色々と思い浮かぶが、だからといって結果を急ぐことは難しい。
 フーラルは扉を睨みながらも、自身が抱くのがルーに向けた悔しさなのか怒りなのか、わかりかねていた。
 そんなフーラルを見かねたのだろう。隣から、テナが囁いた。
「『たとえ交渉が長引いても、気にせずに落ち着いて挑め』という激励なのかもしれませんね」

 はっとしてフーラルが振り返ると、テナが穏やかに微笑んだ。
「リヴィエさんは、きっと急いで大広間に向かったのでしょう。彼はデニアスフィーナを連れて戻ってくるはずです。それまで私達も体力を温めておきましょう」

 その後、テナはティーカップのある棚へと歩いて行った。棚の開き戸や引き出しを開け閉めする音が何度か聞こえたあと、
「見てください。茶葉がありましたよ!」
 と、声を弾ませて、トレイに小さな四角缶とティーセットを載せたテナが戻ってきた。

 コーレニンの紅茶を特別おいしいと感じたことはないが、テナの淹れる紅茶は格別だった。
 いや、地球でテナの紅茶を知ってしまったから、意識せずとも自国と比べてしまうのだろう。
 ふたりのティーカップの中で、砂糖代わりの飴玉がきらめいた。その横で、ローテーブルの濃茶の天板に、フーラルが指でコーレニンの略地図を描いていく。
「分担表をもらっていただろ」
 全魂系がどの分担に就いているかをまとめた表だ。表の呼び出し方を指令書で知らされていたのだが、確認するのは今になってからだった。
「最初の工房はここ。就いているのはフッセの魂系」
「はい」
「図書館はここ。魂系はオシャーンとクオノとパルメザン。ひとり聞いたことあるだろ」
「はい」
「自由に動けるのは、ルアンとウェイウィーアとルー、あとハルテ」
「フーラルさんの魂系もですか?」
「そーだけど、どこにいるのかは知らね」
「そうですか」

 そうして全分担を確認したのだが。

「……シューナの魂系がありませんでしたね?」
「リヴィエんとこか。来てねーんだろ」

 噂をすれば何とやら。息を切らしたリヴィエが部屋に飛び込んできたのは、それから間もなくのことだった。
「フーラルにテナさん!? さっきはいなかったじゃん!?」
 リヴィエの奇妙な驚き方に、フーラルは小首をかしげた。
「なに言ってんだ? 俺達はずっとここでお前を待っていたんだぞ」
「へ……?」
「それよりリヴィエ。お前、急いでいたみてーだけどいいのか?」
「あっ……! そう! それなんだけど!」
 彼は両目をかっ開き、『困った』を吐き散らすようにしながら事情を口にしていった。
 彼の話を聞いて、フーラルとテナは当然のごとく固まった。

「……は? デニアがいなくなった?」
 目を丸めるフーラルの前で、リヴィエが肩を縮めて頷く。
 俯きがちなリヴィエの視線の先には、テナの姿。言葉の助けを請おうとしたのだろう。
 だが、そのテナも、何が起きたのだと言わんばかりに瞬きを繰り返していた。遂に彼がちらりとフーラルに視線を寄越す。そこで初めて、フーラルは状況を理解した。

「……は、……はあぁぁぁ!?」

 フーラルの怒声に震え上がるテナと、飛び退こうとして背後の扉に頭をぶつけるリヴィエ。
 へなへなと座り込むリヴィエに向かって、なおもフーラルは続ける。
「大事な時に相手をなくしてんじゃねーぞ! バカ! バカリヴィエ!!」

「なくしたんじゃないよ! 扉を開け直したらデニアさんがいなくなってて!」
「お前それを『なくした』っつ──んだよ! バ────カ!!」

 いつもの言い合いといえばそれまでなのだが。さすがに普段のよりも激しい。まあまあ、と、テナがふたりの間に割って入った。
「おふたりとも、落ち着いてください。いずれにしても『彼女が私達の手を離れた』ことが事実です」
「うう、テナさん……」
「そうですねぇ。リヴィエさんは昔から大きな落とし物や大きななくし物をしてきていますが」
「うう!」
「私の知る限りですが。最後にはすべて見つかっているでしょう?」

 おそるおそるテナを見上げるリヴィエに、テナは精一杯の肯定を込めて頷いた。
「大丈夫です。必ず見つかります。それに、本当に彼女が『逃がされた』のでしたら、ルー様から指令書が届くはずですよ」





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