時空橋編(20)

大広間
コーレニンの管理者、ルー。
ヴェイスの要人、デニア。
デニアは時空自在取引局の総長秘書として、ルーベリーやコーレニンの調査を試み続けていた。
今回、取引局員だったテナが本部に反旗を翻したことから、デニアの動きも急を求められる運びとなった。
そこで、デニアは手紙へ調査に関する魔法を詰めて、コーレニンに送りつけたのだ。手紙が届いて、コーレニンの誰かに開けられると、調査の魔法が封を解かれて、より鮮明に国々の情報が得られることになる──はずだった。
実際のところ、魔法を見破ったルーによって、届いた手紙と、送り主であるデニアの居場所が交換されてしまったのだ。
思わぬ形でコーレニンに足を踏み入れることになった、デニアスフィーナ・ヒスクスフ。
彼女はせめてもの抵抗として、自身の名前を告げた上で、コーレニンに亡命してきたテナを差し出すように求めたのだった。
そのやり取りから数分も経たないうちに。
「デニアスフィーナといったな。伝えておいたぞ」
ルーが澄まし顔で言った。
「あら。随分と早いのね」
「早さには自信があるんだ。待っているといい」
ルーが手を振り上げると、デニアの近くに椅子と小机が現れた。
椅子には厚みのあるクッションが敷かれていた。ルーに促されて座ってみると、背もたれと肘掛けに、ちょうど良い具合に身体が収まるのがわかった。
さらに空中からレースのクロスが現れて、小机に掛かる。その上を、ひとりでに現れたお菓子の皿、ポットやカップが埋めた。
「何を始めるつもり?」
デニアが尋ねるも、相手からの返事はない。すっかり準備に夢中な様子だ。
相手が小さな手を叩き合わせると、小机を挟んだ向かいに、デニアが座るのと同じ椅子が現れた。相手が両手でもうひと叩きすると、どこからともなくクッションが現れて、五枚も降り重なった。
これで、準備が整ったらしい。相手が玉座を離れて、重ねたクッションの上に落ち着く。
「待つだけなのも暇だろう? すぐに来るなら越したことないだろうさ」
「……あっそ」
デニアは、差し出されたものを食べる気にはなれなかった。
先程まで強気に出ていた相手が、こちらの要求を呑むなんて。おまけに、相手はお菓子を勧めてきた上に、カップに紅茶まで注いできた。
何かを目論んでいるのではないか?
「うまいぞ?」
デニアがルーを見下ろした時に返ってきた言葉だ。相手はすでに、ばりぼりとクッキーを口に運び続けていた。
仮に、相手に厚意があったとして、とデニアは考える。無碍にし続けることで、相手の機嫌を損ない、今後の交渉が不利になったとしたら本末転倒だ。
だったらいっそ、乗ってみようではないか。
クッキーから香るのは、メープルの甘い蜜。紅茶はきっと、地球の東方で採れた茶葉だろうか。どちらも、デニアは食べたことがある。
デニアがクッキーをつまんで齧ると、相手の顔がぱっと明るくなった。
「うまいだろ?」
「そうね」
ふたりきりのお茶会と呼ぶには、色々と不釣り合いだった。
大広間の中央で、一脚の机に二脚の椅子。余白が大きいといったらありゃしない。
ルーが話を吹っかけてくるが、内容は、どこの食べ物がおいしいだの、ヴェイスにはどんな食べ物があるのかだの──。デニアは返事にこそ困らなかったが、じれったい気持ちになってきた。
デニアの焦りを察したのか、ルーが時々、思い出したように入り口を見ては、「来ないなあ」と呟く。入り口には、扉がない。柱で挟んだアーチを境に、奥へ廊下が続くのが見える。誰かが来れば、その姿がわかるのだろう。
しかし、今はルーの言うように、まるで誰かの訪れる気配がない。大広間にはいくつも入り口があるので、相手はデニアの後ろのほうへ目をやったり、振り返ってみたりして、毎回違う入り口を確認した。
誰も来ない。確認するたびに、相手は必ず、デニアの顔と机の上に視線を移した。
お菓子がなくなっても、デニアが目を離した隙に、次のお菓子が現れた。カップの紅茶が空になれば、ポットから新しい紅茶を注いでくれた。
ルーなりに、気を遣っているらしい。
しかし、待てど暮らせど、待ち人は来なかった。大広間には時計がないので、どれだけの時間が経ったのかも、デニアにはわからない。
カップの紅茶が空っぽになるのを、もう数え飽きたぐらいだ。
遂にデニアが痺れを切らして、口を開こうとした。そこで、ばたばたと駆けてくる騒がしい足音に遮られた。
「大変だよルー様! テナさんが迷子になっちゃって!」
息を切らしながら大広間に飛び込んで来たのは、黄緑の髪をあちこちに遊ばせた少年だった。
慌てる気持ちが抑えられずにぴょんぴょん跳ねる彼を、ルーが一喝する。
「リヴィエー!!」
名前を呼ばれた少年は、驚いた様子で固まった。しかし、すぐに身を乗り出して反論する。
「探しに行きたいんだけど、どこを探せば良いのかわからなくって!」
「リヴィエぇ……」
ルーが小さな両手をデニアに向ける。そこでようやく、少年は気付いたらしい。間もなく、「ええ!」という素っ頓狂な声が上がった。
「お客さん! えっと、初めまして! リヴィエだよ!」
少年は、まるで歓迎するような笑顔をデニアに向けてきた。彼は何も知らないのかと、デニアは呆れと戸惑いを吐き出したくなった。
「……デニアスフィーナよ。長かったらデニアと呼んで」
「デニアさんだね! よろしくね!」
少年の顔つきが明るく爽やかだったのも束の間。
「ルー様あぁぁ……デニアさんを頼って良いかなあ〜……」
慣れた者には、なんとも情けない困り顔をさらけ出す。その変わり様に、ルーが溜息をついた。
「構わんが……初めてコーレニンを歩くお方だぞ?」
「大丈夫だよぉ……だってデニアさんも、」
少年は、両手を合わせて上目遣いをデニアに向ける。
「──魔法、使えるんでしょ?」
*
リヴィエが両手を擦り合わせて懇願してくるものだから、デニアは断れなかった。
彼は『迷子になったテナを探す』と話していたが、その足取りは軽快だ。本当に迷子の者を心配しているのか、疑いたくなってくる。
「あんた、どこにいるのか知ってんの?」
「ぜんぜん!」
返ってくる声までもが明るさに弾んでいる。かと思えば、所々で立ち止まっては、角で交わる廊下を遠目に覗き込んだり、天井を見上げたりする。
デニアも一緒になって天井を見上げてみた。まるくて平たい石を並べて固めて磨いたような、ふしぎな材質の天井だ。次いで見下ろす壁は、また別の石材で彩られている。デニアの故郷・ヴェイスでは見ない造りだ。
違和感の正体は、他にもあった。廊下に、外を眺められる窓がないのだ。歩く途中に窓はあっても、部屋の中を見る程度のものだった。柱に取り付けられた灯りだけでは、なんとなく薄暗い。
なのに、先を行くリヴィエが、笑いながら手を振ってデニアを呼ぶのだ。
おかしい。
反響する、ふたりの足音。
おかしい。
廊下に沿って流れる水路。
水路に架かる小橋を渡ったところで、リヴィエが楽しそうに振り返った。
「ふたりきりになれたね!」
そう言って笑う彼は、これっぽちも悪びれた様子がない。
「騙していたの?」
デニアが問うと、リヴィエは小首を傾げた。
「嘘をついたのはルー様に、かな。大事なことを話していたのかもだけど、ふたりきりだと煮詰まっちゃうかなって」
「……それで、私を連れ出したっていうの?」
目の前で、さも当然とばかりにリヴィエが頷く。
「テナさんが見つからないのは本当だよ。テナさんがどこにいるのか、デニアさんならわかるかもって思ったんだ」
何かを言わないことも嘘に当たるのだろうかと、デニアは考える。結果として相手を誤った解釈へと導いたなら、『嘘をついていなくても騙した』ことになるのだ、と着地するのに時間は掛からなかった。
だから、リヴィエも『嘘をついていなくても騙した』といえる。
だが、『騙した』といえるのは、相手が誤りに気付かなかった時だけ。ルーがデニアを騙しているのかどうかは、まだ判別できない。
そこで、デニアは思いついた。判断材料に、この子供も使えるかもしれないと。
「──ねぇ。パシフットがどこにいるのか私にならわかるかもって、あなた、言ったわよね?」
「うん!」
「いいわよ、当ててあげる。彼は目新しいものが好きだから、あちこち飛び付いてんじゃないの?」
デニアだって、まだこの国をほんの少し歩いただけだ。何があるのかなんて、黒箱の中を探るようなもの。
だから、ぼかしにぼかした、ヒントになるのかも危ういものを、リヴィエに投げかけてみたのだ。
すると、リヴィエは。
「だよね! テナさんは、……っ」
続きが言葉にならないようで。
「テナさんは……」
むつかしい顔をして、彼は自分の両手に目を落とした。ひとつ、ひとつ、と、何かを数えるように指を折り曲げていく。
「……あっちで珍しい石が見つかったと聞けば飛んでいくし、」
「そうね」
「土地の歴史を知りたいからって海を越えて飛んでいくし、」
「ええ」
「……行った先でお酒が手に入ろうものなら、土地の人と仲良くなって持って帰ってくるし」
「まったく、……いっつも飲んだくれていたんじゃない。噂は聞いているわよ」
「有名人だね!」
何気なく返したリヴィエに、デニアは心の内でほくそ笑む。狙い通りだと。
「私、あんたを見るのは初めてだけど」
「リヴィエだよ?」
間髪入れないリヴィエの返事に、デニアは更に口元を歪めた。
「そうね、リヴィエ。──いえ、リヴィエ・シューナ」
「知ってるの!?」
目も口もまん丸に開く相手を見て、デニアは高笑いしたい気持ちでいっぱいになった。
「釣られてくれて都合が良いわ、リヴィエ・シューナ。あんたがかつて取引に出した植物の資料、さんっざん見せてもらったわよ」
「わあ、僕も有名人じゃん!」
「ある意味でね。パシフットの客人がまだ生きていたなんて計算外だと言いたいけれど、パシフットの方が年上だったわ」
「そうだよ! えっと……」
再び、リヴィエが指を折り曲げて数え始めた。口元を小さく動かすのは、数字を呟いているからだろうか。片手の指をすべて折り曲げると、数えるのを諦めたらしい。リヴィエは閉じていた手を開く。
そして、年の差がいくつなのかが関係あるのかと言わんばかりに、純真な眼差しを向けてきた。
年の差を勝手に数え始めたのは、彼の方だ。
だから、『彼とテナの思い出を話そうとしたのに、滞ってしまったではないか』と、彼から文句があったとしても受け取るものか。そう念じながら、デニアはリヴィエを見つめ返す。
すると、相手が視線を斜め上に向けたり、眉をあべこべに傾けたりし始めた。デニアが見つめる意味を、相手なりに考えているようだ。
しばらくデニアが見つめ続けた末に、相手はようやく答えに到達したらしい。
何の疑いもない華やかな笑顔。それが、彼がデニアに返した答え。
咄嗟に、デニアは心の中で舌打ちをしながら目を逸らした。
「なんで!?」
視界の端で、リヴィエが表情を崩してうろたえる。
「誤答だからよ!」
「何が!?」
「言ってやんない!」
「えー!」
文句を無視してデニアがそっぽを向いていると、目の前にリヴィエが回り込んできた。
「もう! テナさん見つかんないじゃん!」
「あんたが言うこと? だいたい、はぐれたのはどこなのよ?」
「それが……廊下のすごく奥で、わかんなくなっちゃって」
「地図は?」
デニアが問うと、リヴィエが首を横に振った。
「……けど、この辺りのはずだよ」
「近いのにわからないのね。ならいいわ。はぐれた時の状況は?」
「えっとね。話し合うのに使いなさいって、ルー様が部屋を教えてくれたんだ」
リヴィエが手近な扉を見つけて取っ手を掴んだが、扉はびくともしなかった。施錠されているらしい。
「それで……」
別の扉に彼が手を掛けてみると、ガチャリと音がして扉が開いた。
テナとはぐれる直前のことを順番に、リヴィエが話す。
「ここだね、確認したよ、入ってみて、って」
思い出す過程の一環なのか、彼が室内に手を向けるので、デニアが先に入った。
「こう?」
「うん。それで閉めてから、」
外からリヴィエが扉を閉める。その後、彼の声はデニアの耳に届かなくなった。
たいして厚くもない扉を隔てただけで、こんなにも廊下の音が閉ざされるものなのか。デニアは奇妙に思った。
*
「──デニアさんを迎えに行って、ここに戻ってきたときに開ければって言って、」
閉じた扉を再びリヴィエが開く。室内を見て、背中に冷や汗が伝うのを感じた。
「やっちゃった……」
*
大広間
ルーの座る玉座の肘掛けに、細書きの文字が浮かび上がった。
『どういうつもりだ、ルー?』
「……ははぁ」
ルーが肘掛けを撫でて文字を消すと、今度は別の文言が浮かび上がった。
『監視をする身にもなってみろ』
ルーは肘掛けを撫でて文字を消す。その小さな手で、肘掛けに擦りつけるように文字を綴った。
「すまんな、カシェ。お前が適任だったんだ」
書いた文字は、すぐに消えた。相手が読んだという合図なのだろう。
ルーは続けて文字を綴る。
「監視と危険察知の精度。監視解除の判断力。他に適任がいるか?」
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