時空橋編(19)

長との話を終えると、私は館内の階段を上がり、書架の見回りに戻ってきた。
階上にある書棚の多くは、魔法族の胸の高さほどしかない。私は背もたれのない椅子に座って、本棚の向こうをひらひらと行き来する白縹のリボンを眺めていた。
現状、図書館班としては待機する以外に仕事がない。加えて先ほど、リボンをつけて歩き回っている少女に、少し休んだらどうか、と言われてしまった。
彼女の言葉に従ったは良いが、足を休めてばかりで何もしないでいると、落ち着かない気持ちになってくる。
そわそわする私の気持ちに呼応して、膝の上には長からの預かり物が存在感を放ち始めていた。勢いに任せて譲り受けた紙の束だ。束を十字に括る紐に、私は目を落とす。
綺麗な紐だ。濃縹をまとうその紐は、幾重にも糸を絡めて編み込まれていた。細い身でありながら、容易く千切れることはないだろう。
長の結んだ紐を解き、曲がっていた紙の束を開くと、写してあった文字が一面に広がった。その羅列を追いながら、私は長の言葉を反芻する。
『【彼】は、なぜ祈ったと思う?』
『彼』とは、シューナのことだ。
祈りの理由は単純だ。『外』からの手紙を、その手紙を欲する者へと届けるため。それが誰なのかわからなかったから、彼は祈りの魔法をかけたのだ。
更には、手紙をコーレニンに引き寄せたのもシューナである。
五年前に時空間移動の小部屋で、彼は『何かが来ようとしている』現場に偶然にも立ち会った。彼は魔法を使って、『来ようとしていた』手紙をその部屋に引き込んだ。
その時、手紙と共に一枚の紙片が降ってきた。
『この手紙を必要とするひとの所に届けてください。そのひとは、じぶんがそこに居ることに、きっと疑問を感じています』
この文面に、彼は従った。
ただの興味本位で、ここまでするだろうか?
紙の束を見つめて考え込んでいると、後ろから声が掛かった。
「困っているの?」
抑揚のない、静かな声。白縹のリボンの持ち主、エミウルだった。
「……困っています。カシェさんに持ち掛けましたが、望んだ情報はいただけませんでした」
「そう」
囁くような声が、館内の空気に消え入る。
しばらく、階下に響く幼い足音だけが、私達の間を繋いだ。
やがて、足音が無邪気な話し声に移り変わる。その頃合いに、ようやく背後のエミウルが口を開いた。
「彼に交渉は無駄よ。あくまで相談するのが良いわ」
思わぬ言葉に振り返ると、彼女はほんの少しだけ、しかしいたずらっぽく微笑んだ。
「カシェパースが頑なになるなんて。あの子もよっぽど欲しいものがあったのかしらね」
*
時はいくらか遡る。
フーラルとリヴィエ、そしてテナは、工房を離れた後、コーレニンを歩き回っていた。
「隠れる所や抜け道を知っとくに越したことねーだろ」
というのが、フーラルの言い分だ。
テナはてっきり、自分を知らない魔法族から警戒心を向けられるものと思っていたが、表立った敵意は感じられなかった。どちらかというと、リヴィエの抱える植木鉢の方に、他の魔法族から奇異の目が向けられているように思えた。
どうやら、ルーが他の魔法族に根回しをしておいたらしい。なにせ、今まで国外の者を迎えたことのない住民達だ。もし、ルーの知らせがなかったら、テナ達が行く先々で、他の魔法族から足止めを受けていたかもしれない。
大きな歩幅で前を進むフーラルと、テナの横について歩くリヴィエ。
ふたりの足取りこそ、地球で見てきた姿と同じだが。
コーレニンの衣服に身を包んで屋内世界を歩く姿を見ていると、テナにも思うところが生まれた。
彼らの生まれがこの国であり、この国の景色を胸に秘めて地球を歩いてきたのだと。
雪国の生まれで、開かれた世界が当たり前だった自分とは異なるのだと。
そして、──
「わわっ!?」
テナの鼻先ぎりぎりの所に、フーラルの後頭部があった。気付くのが遅ければぶつかっていただろう。
「着いたぞ」
振り返ることなくフーラルが告げる。
彼が見据えていたのは、前方の壁に間を空けてふたつ並んだ扉だった。
右の片方は、深みのある濃い茶色の、太い木枠を組んだ扉。
左の片方は、表面に細い木板を敷き詰めた、温かみのある扉。
「こっちだよ!」
そう言ってリヴィエが手を掛けたのは、左の方だった。
どうやら、以前、リヴィエの居室だった部屋らしい。というのは、部屋の隅に積み上げられた空っぽの植木鉢が物語っていた。
他に彼らしさがあるとすれば、バルコニーを室内に持ってきたかのような造りの寝台周りと、木材を格子に組んだ天井ぐらいか。
「こいつさ。床に土を敷いて耕して畑にしやがったことがあってさ」
呆れを交えたフーラルのぼやきには、思わず吹き出してしまった。
「リヴィエさんらしいです」
「だろ?」
「メイボセさんはきっと、……冒険の在り方が別だったのでしょう」
中央の棚に植木鉢を置くリヴィエを見ながら、テナが言った。
「……美しく咲き続けていたのですね」
素焼きのタイルで飾られた、スープ椀ほどの小さな植木鉢。
この部屋で唯一、土を与えられた植木鉢。その中で、柔らかな花弁が誇らしげに咲いていた。
『長生きする、綺麗なお花を咲かせたいの』
目を輝かせて、スカートをぎゅっと握って話す彼女の笑顔が、鮮やかに蘇るようだ。
まるで彼女に再会したかのような気持ちになったのは、工房で杖を修理してもらっていた時からずっと。
もし自分が遊びに来ている立場だったなら、素直に泣けたのかも。
「わかる気がします。リヴィエさんがどうして、この部屋を選んだのか」
リヴィエが大きく頷いた。
「でしょ! 自慢なんだ。この部屋も、隣の部屋も、」
ふたりの前で、フーラルがおもむろにしゃがみ込む。指先で床をなぞると、そこに橙色の線が現れた。それを見て、リヴィエが眉尻を下げた。
「──この国も」
フーラルもまた、相棒を見上げると頬を上げて頷いたのだった。
「さっき通ってきたのはこーいう道な。こっからは──」
コーレニンの略地図に線を描き加えようと、フーラルが腕を伸ばす。すると、時を同じくして頭上に紙片が現れた。
「ルーかよ。なんだ?」
器用に紙片を掴み取ると、フーラルは頭の上に紙片を掲げたまま、文面を読み上げ始める。リヴィエとテナも、腰を下ろして文面を覗き見上げた。
フーラルの声が続く間、リヴィエは珍しく口を閉じていた。しかし、内容を知ると、いてもたってもいられなくなったらしい。
フーラルが「だとさ」と締めくくったとたん、ばねのように勢いをつけてリヴィエが立ち上がった。
「行こう! 話してみないとわからないから!」
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