時空橋編(16)
コーレニン東部
図書館で見付けた書物の謎を明かすべく、私達はルーの魂系に打診した。解明に直結する回答は得られなかったが、ひとつのヒントを与えられて現在に至る。
そのヒントとは、書物探しの場面でユイユが聞き取った言語と、実際に書物に記されていた言語が異なっていたこと。
書物が文字化けを起こした経緯や、おそらく記されていたであろうルーベリーの歴史については、後から図書館に戻って調べれば良い。
今は、ここまで来たもうひとつの目的を叶える方が先だ。
ルーの魂系と落ち合った小部屋から少し離れた曲がり角で、私達は立ち止まる。
「状況を整理しましょう。
五年ほど前、コーレニンに手紙が届いた。その際、ある魔法使いが手紙に『祈りの魔法』をかけた。
『祈りの魔法』によって、『偶然にも』精霊混じりが手紙を発見した。
手紙と精霊混じりの出会いによってか、コーレニンとルーベリーを繋ぐ『時空橋』が再び開かれた」
うんうんと相槌を打つユイユを横に、私は続ける。
「結果、コーレニンとルーベリーが外部組織に狙われるという、今の状況に繋がった。
『祈りの魔法』は、物に願いを託す、願掛けに近い魔法です。私達の普段使う魔法と異なるのは、使い手の想いが如実に反映されるという点ですね。
今のコーレニンの現状と照らし合わせて、皆様は、使い手が手紙にどんな想いを託したのかが状況解決の鍵になると考えた。
そこで、使い手の考えを知ろうとすべく、工房から離れた。ということで宜しかったでしょうか?」
フッセとフォンエも同意する。
「私の先代が、『祈りの魔法』に関する資料を遺しています。1代目の記録ですが、使用例として参考にはなるかと思います」
話し終わるのと同時に、私が足を踏み出したからだろう。慌ててユイユが呼び止める。
「どこに行くの?」
彼の素直に問う声が、狭い廊下に反響した。天井を見上げても不審な点はみられなかったが、なんとなく嫌な予感は拭えない。
質問に答えるついでに、廊下の見張り魂系にも向けて、
「私の居室です」
と、声を張り上げて知らせた。
廊下を進み、角をふたつ曲がる。
壁に半分ずつ埋まった太柱が並ぶ、少し開けた廊下に出た。
柱の下方には小さな灯りが連なり、辺りをやさしく照らしていた。石の壁と床に映し出された私達の影は淡く、歩くのに合わせて、ゆらりぼやりとついてくる。
私にとってはいつもの廊下だが、大勢で来るのは初めてだ。影が重なったり離れたりするごとに、今の状況が『いつも』ではないのだと知らしめる。
程なくして、太柱の間に背高の扉が現れた。自室の扉だ。
私が扉を開けて中に入ると、後からユイユ、フォンエ、と続いた。
「また足の踏み場がないよ〜」
「わざとですよ。これでも落ち着いた方なんですからね」
「工房の裏といい勝負じゃん。よかったぁ」
そんなやり取りをする私達を前にして、フッセが入り口で立ち尽くしていた。
「……さすがに歩き難かったでしょうか」
声を掛けると、フッセがはっとして首を横に振って、中へとゆっくり踏み入った。
「そうじゃないんだ。シューナの部屋とあまり変わっていなくて、……懐かしくなっちゃって」
「……偶然ですよ」
とても言えなかった。つい数ヶ月前まで、ここは『シューナの部屋』であり、彼の意識から解放された後も、思うように片付けが進んでいないだけだったなんて。
居室内は相変わらず、雑多な紙束や小物類で散らかったままだ。ユイユの言葉通り、ほとんど『足の踏み場がない』状態である。
他者の居室を訪ねたことは私にもあるが、ここまで汚い部屋は他に見たことがない。
しかし住んでいると慣れたもので、私はひょいひょいと小物を避けて歩き、部屋の左奥にある書棚の前に立つ。
背丈よりも高い書棚には、これまた雑多な紙束や本が押し込められ、入りきらない分が横の机や床にまで積み上げられている状態だ。
紙の束が縦にも横にも重なり合う中で、目当ての資料がどこにあるのかは、すぐにわかった。背幅に厚みがあり、丁寧に二重の紐で綴じられていたからだ。
「さて」
書棚に並ぶ資料の一冊に手を掛けて、私は黄土の魂系ふたりに問う。
「もし、『祈りの魔法』を使った魔法使いの意図が、ユイユさんの求めるものでなかったら、どうされますか?
もし、これからフッセさんにも明かす資料が、先代が生涯隠し通そうとしたものでしたら、どうされますか?」
ふたりにとって、難しい質問だっただろうか、と思ったが。真っ先に口を開いたのはフッセだった。
「シューナが隠していた魔法は、ひとつだけじゃないんだ。でもどの魔法にも、研究するための理由があったんだと思う。今から見る資料が、僕の想像と大きく離れたものであっても、シューナの気持ちを大切にしたいんだ。見たことも知ったことも、明かさずにいるつもりだよ」
彼は意外にも、器用に雑品を踏まずして、書棚の前まで歩いてきた。その堂々とした歩きっぷりに、あまりにも眩しい回答。彼の瞳は、温められた草葉の色で。薄暗がりの中でも明かりを捕らえて、瑞々しく瞬いた。全てに圧倒されて、私は目を見張る。
「それは、……シューナを裏切ることになりませんか?」
「なるかもしれない。だけど、僕にも秘密ができた。おあいこだね」
そう言って、フッセはやさしく笑った。
私の知るシューナとは違う姿が、彼の目には映っていたのだろう。
どうして彼は、ここまでシューナを信じられるのか。この資料を読めば、私にだってわかる。わかるからこそ、歯痒い思いを抑えきれず、資料に乗せた指先に力が入った。
「……ユイユさんは、如何ですか?」
「うんと……そのひとの考えが、僕の考えと違っていたって良いんだ。違うからこそ、聞く意味があるのかなって……そりゃ、聞いたらなんでって思うこともあるかもしれないけれど、聞かせてほしいな」
先代にして、この後代である。ユイユらしい回答に、私は安堵すら覚えた。
最後に私は、フォンエに視線を投げかける。
彼女は、
「私には先入観がないからね。何でも聞くよ」
とだけ返した。
「わかりました」
私は書棚から資料を引き抜いた。
「『祈りの魔法』に関わる資料というのがこちら。フッセさんの魔法道具、『転換石』に関する資料です」
反応は、三者三様だった。
精霊は、喉から手が出るほど読んでみたかった資料に目を輝かせて。
黄土の後代は、つい数ヶ月前に読んだばかりの資料が登場したことに、目を丸くして。
黄土の先代は、脳天を突かれたような顔をして。
「転換石の仕組みは複雑です。何せ、得意分野による不得意分野の補填を、魔力を対象として行うのですから。しかも、石がもともと持っていた性質を利用して、魔法道具に仕立てているのですよ」
目の前の三名も、転換石についてよく知る者達だ。前提事項に異議を唱える者はいない。
「特殊な石を魔法道具『転換石』として利用するにあたっては、ルー様が魔法を被せたのですよね?」
フッセが小さく、こく、こく、と頷き、
「ほんの少し、……らしいけれど」
と、呟くように補った。
「とは言いましてもルー様ですからね。『少し』がどの程度かは把握しかねますが、不完全な点もあったようで。転換石の調子が芳しくない時もあり、そのたびにシューナが診ていたのだと、こちらの資料から読み取れました」
私は腕の中で、頁をぱらぱらと送っていく。
「理論を詰めて道具を診ていたシューナですが、ある時点から異なる観点での導きが始まりました。それが『祈りの魔法』です」
斜め向かいで、ユイユが更に目を丸くした。前回この資料を読んだ時には、ここまで到達していなかったのだろう。
「この資料のありがたい点は、『祈りの魔法』の経過が記されているところですね。しかし、託した願いが抽象的だったからか、経過の記録といっても、検証を試みている程度。私ひとりでは解釈が難しかったのですが、ご本人にお越しいただけて助かりました」
私の差し出した資料を、フッセがおそるおそる受け取った。
該当箇所を私が指さすと、彼は資料に顔を近付けて、細かく書かれた癖のある字を目で追いかけ始めた。
資料の頁を繰るにつれ、フッセの表情に見える戸惑いの色が濃くなっていく。
そして、ある一文に追い着くと。彼は、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら崩れ落ちた。
*
────
幼少期、まだ大広間で集団での基礎教育を受けていた頃。
いつも僕は、泣きじゃくっていた。
誰も、何も、怖いことなんてしていないと分かっていた。
将来が不安になって泣く年齢でもない。
ただただ、見本通りに、他のみんなみたいに、魔法が使えないことが悲しかった。
ある日、ふたりで組んで、基礎魔法の演習をする機会があった。
そこで初めて組んだのが、シューナだった。
彼はこの時から既に背丈が高く、魔法の扱いも上手くて、それなりに目立つ存在だった。
そんな彼が僕と組むことで、気を落とすかもしれない。
腹を立てるかもしれない。
魔法を使う前から泣きそうになっていた僕を、彼は不思議そうに見ていた。
その後、僕の予想は大きく裏切られた。
いつもみたいに上手くできなくて泣き始めると、彼は「そっか!」と、すっきりした表情を見せたんだ。
「いまはまだ、どうしたらうまくできるかなって、わからないだけだよ」
「だからまだ、なかないで」
「まだ、なんかいだって、ためせるんだよ」
「いっしょにやろうよ。それでもできなかったら、いっしょにたっぷりなこう」
僕がもう一度試すと、彼がやりやすい方法を教えてくれた。
彼の助言をもとに、もう一度。上手くいかなかったけれど、今度は別の方法を思いついてくれた。
何度も懲りずに繰り返し、演習時間が終わってから、僕らはたっぷり泣いた。
────
魔法が上手くいかなかった原因が、魔力の低さによるものだと知らされたのは、数年後のことだった。
「ルー様からね、教えてもらったんだ。この石を魔力転換に使えるって」
「魔力転換、ですか」
物珍しげに唸るシューナを前に、僕は頷く。
「魔法族の魔力って、分野ごとに散らばっているんだって。僕みたいに分野ごとの魔力が低くても、全部の魔力を掻き集めれば、ひと並みの魔法が使えるようになるかもしれないそうだよ」
「もしそうなったら、最初に何をしたいですか?」
「考えただけでもわくわくするね。やりたい事は色々あるけれど、まずはシューナに恩返しをしたいな」
「貴方からは既に充分以上のお返しを頂いていますよ」
「そうかなあ。だと良いんだけど……って、間違いじゃないけれど! 『指令』でシューナのお手伝いができたらなって思うんだ。シューナの魔力や技術が申し分ないって分かっているし、僕が割り入ってもおこがましいだろうけど……でも、いつも難しい顔をして指令の準備をするシューナを見ているから、その……協力できたらなって」
いつもみたいに、うじうじ指をつつき合わせていると、シューナが小さく笑った。
「私に関しては、気にしなくて大丈夫ですよ。代わりにと言っては何ですが、お好きに自由にしては如何ですか?」
「……そっか。そうだよね。ごめ……ううん、ありがとうね」
いいですよ、と笑って顔を背けるシューナ。ちらりと見えたのは、少しだけ寂しそうな眼差しだった。
隠していることがあるんだろうな、と思ったけれど。僕は敢えて、気付かないふりをした。
────
*
「……シューナにね、『指令』でどんなことをしているのって、何度も聞くんだけどね。いつもはぐらかしちゃうんだよ。僕の魔力が弱くて、迷惑になるからかなあ……」
嗚咽を挟みながら話すフッセは、涙で顔をぐしょぐしょに濡らしていた。悲しいのか寂しいのか懐かしいのかめちゃくちゃだ。何もかもませこぜになった彼に私が言えるのは、
「違います。理由は話せませんが、決してフッセさんのせいではありません」
これだけだった。
シューナがフッセに、日常的な指令の内容を話せないのは、単純に、指令の内容が原因だった。
ルーが箱庭のように愛でているルーベリー。なぜか関連のある地球。それらふたつの世界の保護を目的とした指令は、全世代に共通して言い渡されてきたのだろう。
しかし、保護の手段が清らかなものとは限らない。ルーが守りたいのは、どうやら『自然な環境を維持した上での世界の存続』らしく。心痛む方法で『自然な環境』が優先されることもあった。
私も居室にある資料の全てに目を通すことはできていないが、シューナに課されていたのは、大切なひとにはとても明かせない内容の指令だったのだろうと思われる。
だから、フッセには明かさなかったのだ。
だから、魔法を使ってまで、
『あの方が、幸せであるために』
と、祈り願ったのは、彼の態度と何も矛盾していなかったのだ。
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