時空橋編(15)
それらの書物には魔法がかけられていた。文明において、どこに何があったのかを記すにあたり、座標表記を魔法で自動生成させていた。
住民は書物に魔法を保存しようと試みた。初めて『その世界』で興った文明だ。魔法使いだって力を貸してくれた。奇跡と協力で創られた希望を残すには、言葉だけでは足らなかった。
魔法使いは教えた。魔法を保存する手立てがあると。なんでも、幾つもの魔法を書物に保存できると言うのだ。情報源も残すべく、参考となった道具と、その道具を発明した魔法使いの名前が記された。
文明は、やがて失われた。丸ごと異空間に仕舞い込まれたのだが、残された出入り口を示して『湖に沈められた』と言い伝えられている。その後、書物における座標表記が壊れた。表示のしようが無くなってしまったからだ。保存された他の魔法も失われた。現地における話者の消失が、魔法の消える条件だったらしい。
書物は暴走を始めた。役割を失ったからだ。書物は文明が繁栄している時に次の世代へと引き継ぐためのものであって、失われた文明を再構築するためのものではなかったようだ。魔法の次には言葉が壊れた。書物は文明の消失を知っていたのだ。
隠されるべき歴史だと知らず、一部で言葉を治そうとする試みがあった。ルーベリー語による修復魔法を幾重にもかけられて、文明では使われなかった言語を注ぎ込まれたのだ。治るどころか、言葉は更に壊れていった。
俺が読んだ時よりも、言葉の崩壊は酷くなっていた。だから表題だけ見せられても、まるで見覚えなんかなくて当然だったのだ。
*
話を終えても、黄土の後代は動こうとしない。
「心残りがあるのではないですか」
深緑が問うと、黄土は躊躇いがちに頷いた。ほらな。言いたいことがあるなら吐いてしまえ。
深緑が同じように促したので、黄土は割り切った様子で口を開いた。
「知る知らないじゃなくて、どう思うのかを聞かせて欲しいんだ。誰がどうして文字の魔法をかけたのかって」
どう思うかだって? こちらは答えを知っているんだ。わざわざ考えて話すことなどあるか。
マホガニーに目配せすると、彼は相手に向かって問うた。
「ユイユはなぜだと思った?」
質問で返されると思わなかったからか、黄土は最初こそ言葉を詰まらせていたが。
「知られちゃマズいことが書いてあって、それで魔法で隠したのかなって。文字に関わるから精霊ではないと思うんだ。だから、魔法族が他のひとから秘密を守るために……って思ったんだ」
なかなか良い線を行っているからこそ気にくわない。
真っ先にルーの魂系を疑ったのかと尋ねてみると、黄土は慌てて首を横に振って否定した。
「そうじゃないんだ。ルー様に近い分、僕達より知っていることが多いかもって」
「他の魂系も1代目は概ね古代語に通じていると存じています。しかし文明消失後に生まれ、古代語を会得し、この時代に来ている方で頼れるのが、貴方達のお二人でした。魂の本をお借りしたのは、他世代からも考えを頂ける可能性に賭けたからです」
聞くに堪えなかったらしく、深緑も加勢してきた。
だが残念だったな。俺達には魂系に協力させる気がさらさら無いんだ。それは深緑のお前も同じだろう?
文字化けにおける推察は悪くないだろう、マホガニーはどうだ、と振ってみた。突然ではあったが、これまでの会話を聞きながら彼なりに考えていたらしく、間もなく答えが口にされる。
「ユイユの考えから大きく離れないよ」
それだけかと尋ねると、これ以上何を問うのだと言わんばかりに堂々と頷かれた。ここまでされたら黙る他ない。
俺からこの件について述べずにいると、深緑は多少聞き分けが良かったのか、無回答が俺の答えなのだと受け取ったらしい。
魂の本を抱えたまま『ありがとうございます』と言って、他三名を連れて去っていった。
*
「マホガニー。良かったのか」
「伝言のこと? カシェも言ったよね、彼らの持つ情報に間違いはないって。訂正の必要も、不足を補う必要もない。何か問題ある?」
「いや、……お前にしては珍しくてな」
確かに問題はなかった。むしろ余計なことを言おうものなら、どうしてくれようとさえ思っていた。だから後代が全くの要望通りに仕事を済ませたのが意外だったのだ。
当の本人は、こちらの歯切れの悪さを奇妙に思ったらしい。
「そう? 僕もルーの魂系の一員だからね。他魂系に隠す情報だってあるよ。特に古代語の辞書や文法本。見付からなくて良かったよ」
ルーの魂系は代々、古代語の修得をルーから言い付けられていた。しかしその過程を他魂系に知られてはならず、魂の本を通して先代の助言を求めながら、辞書類を引き継いで使っていた。
「ズィナは辞書の存在を知っていそうだけどね。僕達がどの辞書を使うのかまでは知らないんじゃないかな」
辞書にも様々な種類があった。文明現地で書かれたものや、魔法族が覚書として記したもの。その内の一冊を、最も覚えやすいからだとか、魂系内で暗号を使いながらの情報共有がしやすいからだとかで指定されるのが通例となっていた。
その辞書の編纂には魔法が使われていなかったらしく、お陰で文明が失われてからも読み進めるのに支障は来さなかった。
辞書の中には用法の変化に追い付かない語彙や、使われなくなった語彙もあった。どうやら文明中期に編纂されたものらしい。
よくもまあ、千年程度で言葉の使い方が変わるものだ。それだけ生命の入れ替わりが頻回だったのだろう。
一方でこの国は、魂の本を通して直々に先代と話せるのだから、わざさわざ用法を変える必要がない。言語の停滞は、やがて価値観の停滞にも繋がっていった。
うんざりする者が出てくるのも当然だった。『先代のいない状態』ですら、変化の乏しさに嫌気の差す者がいたのだ。
彼はこの国にも、いずれは大きな変化がもたらされるのだと信じたらしい。結果、遠い未来の生まれ変わりの身体を乗っ取ってしまった。彼のやり方こそ問題だらけだったが、背景にあったであろう想いには同情する。
俺は先刻、彼の使ったもう一つの魔法について尋ねようとしていた。
深緑が黄土の魂系と行動を同じくしていたのは、まさにその魔法へと導くためなのだろう。黄土の後代が俺達に情報を求めなかったのは、そうせずとも目的に辿り着ける自信があったか、或いは深緑に口止めされていたか。
こちらから深緑への干渉は検討していたが、黄土の魂系はギリギリ想定から外していた。それなのにこの様だ。
面倒だと呟きながら背もたれに深く身体を預けると、天井から紙片が現れ落ちてきた。こんな時にまた指令書だ。
折り畳まれた紙片を開き、すぐにマホガニーに手渡す。彼は字面を追いながら口を曲げ、読み終えるや否や両手で握って力任せに捻り絞った。指令書は呆気なく消え失せた。
「それがルーの決断なんだね」
俺は頭の後ろで両手を組みながら、面倒だろ、と重ねた。
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