時空橋編(14)
扉は施錠されていた。
蕾杖を向けて『クィルクッキ』と唱えてみたが、開かなかった。数式魔法を試しても、びくともしない。魔法陣も同様だった。
もしやと思い、改めて杖を向けたところで、フッセが『ズィナ』と呼んだ。
振り返ると、声の出所である当の本人がびくついて、視線を少し逸らしてしまった。
「あのね、……シューナの後代だから、魔力は足りていると思うんだ。数式や符号も間違いないと思う。だけど、……だから鍵の答えは、今は使われていない魔法なのかなって」
手にはしっかりと、魔法道具の『転換石』が握られていた。
「同感です。書物探しで見付けた本に彼らが関わるのでしたら、遅くとも4代目までしか表向きに使われなかった言語が取り入れられていても、不思議ではありません」
そのまま『古代語』と呼ばれるその言語は、フッセ達の生きた1代目当時はルーベリー語と併用して使われていた。3代目から徐々にルーベリー語の比重が大きくなり、5代目からは表舞台に古代語の姿は見られなくなった。
自然に任せれば、古代語は過去の遺物となったのだろう。実際のところ、その言語は完全には失われず、細く息を続けている。魔法族の中には、独学で身に付ける者もいたからだ。かく言う私もその一人だった。他に知る修得者は、今から顔を合わせることになるマホガニーとカシェパースだった。
私が古代語を読めることを隠す必要はないので、再び蕾杖を構えようとしたが。フッセが、
「やってみるね」
と言うので、私は一歩、足を後ろに下げた。
入れ替わりで、彼が扉の前に立つ。
「カルング」
彼の持つ転換石が煌めくのに続いて、解錠の呪文が重ねられる。
「ツィプィアンニル」
すぐに取手を押し下げるも、扉は動かなかった。
「……駄目みたい」
口ではそう言いつつも、彼は諦め切れない様子を見せていた。後代のユイユも歯痒そうにして、助けを請う視線を私に向ける。
敢えて知らない振りを決め込むつもりだったが。
「ズィナ」
ユイユが私の名前を口に出すものだから、あっさりとその予定は崩れ去った。
「何ですか」
「『転換石』のこと、知っているんだよね?」
「ええ。多方面に分散する魔力を置き換えて、ある分野の魔力を一時的に上げる魔法道具ですよね」
目を丸くしながら振り返るフッセにも向けて、私は言葉を続ける。
「魔法道具の使い道は存じていますが、その魔法道具が不調を来しているのかどうかまでは判断しかねます」
フッセは不安そうに眉を下げていたが、ゆっくり瞬きをした後で、柔らかな笑みを見せた。
「ズィナは、色々知っているんだね」
「……偶然ですよ」
彼の魔法が上手くいかなかったのには、三つの理由が考えられた。
ひとつは、ユイユの持つ『鐘の杖』と、魔法が競合している可能性。『鐘の杖』は材料の一部に転換石が使われており、この現状は、いわば同じ物が同じ時間軸で隣り合わせている状態だ。
しかしそれが不都合となるのなら、魂を同じくする魔法族が共に行動している今の状況にも矛盾が生まれる。とすると、この考察は当てはまらない。
もうひとつは、本当に転換石が不調を起こしている可能性。専門家ではないので何とも言えないが、もし何かがあるのなら、魔法道具全般の専門家であるフォンエから指摘が入っているはずだ。
最後のひとつは、使った魔法が誤答だったから。施錠の魔法をかけたのは、カシェで間違いないだろう。現代の魔法はどれも誤答だった。古代語を使ったフッセの魔法も誤答だった。だが、こちら側の誰も知らない魔法を置いておくとは思えない。残された候補となる魔法を思い当たり、頭がピリッと痛くなった。
なんだ。やはりカシェは、何でも知っているんじゃないか。
だからこれは、こちらを試すだけの行為なのだ。私達が彼らに尋ねようとするのは、フッセにシューナを売ってまで知りたいことなのか。そう問うために設けられた門なのだ。
観念した私は、蕾杖の先を扉にそっと押し当てた。数式上で定義し直す代数を、取手の上に指でなぞり、
「ツィプェ」
と、唱えた。かつて私の身体を乗っ取っていた先代が、居室の解錠に使った魔法だった。
いとも簡単に扉が開いた。
*
薄暗い部屋の中には円卓が一脚。扉を閉めて中央の明かりを灯すと、奥に並ぶ食器棚が浮かび上がる。カシェとマホガニーは、まだ来ていない。
待つにしても、そこにある椅子はひとつだけ。それも円卓と不釣り合いな、簡素なものだ。誰が座るのかと目配せするが、フォンエもフッセもユイユも、何となく椅子を避けながら円卓の周りに集まっていた。
小狭い部屋の割には、妙に天井が高くて落ち着かない。フォンエは居心地が悪そうに、食器棚を遠目に見る振りをしているし、フッセは俯きながらも扉を気に掛けている。ユイユだけが、思った事を正直に口に出した。私がこの部屋に抱いた感想そのままだった。
彼の言葉に同意の相槌を打った直後。軋む音と共に扉が開かれた。待ち合わせの相手の到着だ。
早足で部屋に入るカシェに、マホガニーが続く。静かに扉が閉められて、紅・黄土・深緑の三魂系が『外』から隔離された。
先手は相手だった。
「なぜ、お前がそれを持っている」
腕に抱える魂の本へと、カシェの杖が向けられる。マホガニーが自身の杖を強く握り直したのは、いざという時に止めに入るためだろうか。
私は交渉に持ち掛けるべく、敢えて本を両手で差し出した。
「お願いします。ルーベリーの隠された歴史を教えてください」
彼は一瞥の後、杖を下ろして、
「お前達に話すことはない」
と言った。
「なぜですか。国に関わる大事な歴史なのに、どうして隠そうとするんですか」
「知ってどうする。相手と直接やり取りをすると言うのか?」
「可能性はゼロではありません」
私は怯むことなく言い返す。
この態度によってカシェの更なる怒りを買ったも同然だった。彼が眉を吊り上げながら鼻で笑う。
「そこまで言うなら覚悟はしているよな」
仕舞われないままの杖が、彼の答えだった。
私は魂の本を両手で胸元に抱えて、『はい』と答えた。
想定した答えだったのか、彼が『わかった』と呟く。
「幾分かは明かしても良いだろう」
カシェが後代に目を向けると、彼は迷わず深く頷いた。
「但し、その程度はお前の回答に合わせる」
眼前に再び彼の杖先が迫る。
「お前は、誰から解錠の魔法を教わった?」
絶句した私を見て、有利だと踏んだらしい。
「現代語でもなければ、本来の古代語でもない。単語の変形には数式の代数も絡んでいた。明らかに普通のかけ方ではないが、過去に同じ魔法を使った者がいるはずだ」
彼の視線が動いた先にはフッセがいた。私はすぐさま声を荒げる。
「待ってください。情報開示の条件は私の回答に制限されるのではなかったのですか。貴方の訴えを最後まで聞かせてください」
「わかっている。彼から答えを聞こうとは思っていない。お前が現代にそぐわない魔法を扱える理由を知りたいだけだ」
私はこの攻め方に覚えがあった。数ヶ月前、私の身体を乗っ取っていた先代が、魔法道具を直そうとして彼に交渉しに行った時と同じ。
当時の彼は、情報と引き替えに、先代の欲する情報をくれてやると言った。その結末まで見せつけられた私にはわかる。
嘘をついてはならないと。
おそらく、彼が知りたいのは、私が述べる情報ではない。私がどこまで情報を明かすのか、程度を測りたいのだろう。いずれにせよ、述べる内容が事実であるという前提に立つものだ。
私だって、本来ならいくらでも話せてしまう。先代も魂系も他者に売り飛ばすつもりは無いままだが、どこまでも情報を暴き出せる彼に掛かれば、話そうが話さまいが変わらない。
それなら全てを打ち明けてしまった方が、こちらも求める情報を手に入れられて万々歳だったのに。
「私は、先代からこの魔法を教わりました。正確に言えば、先代の記録を辿った末に見つけたものです。元々は、家具を動かした裏の扉を開けるための魔法でした。数式には移動先の座標も組み込まれていましたが、今回は動かす物がなかったので、別の式を代入した次第です」
最も事情を知ってはならない魂系が同席している今は、これが精一杯の回答だった。事実を以てぼかしたつもりだったが、カシェは目ざとかった。
「先代と言ったな。何代目だ?」
「……1代目です」
悔しさで、口の中で歯が擦れる。これは、カシェに明かす情報の程度を測る天秤ではない。天秤に掛けられたのはフッセだったのだ。
ようやく気付いたかと、カシェがニヤリと笑う。
「1代目か。ちょうど聞きたい事があったんだ。これも『国に関わる大事な歴史』なんだが──」
咄嗟にカシェが身を屈める。時を同じくして、何かに突かれて彼の帽子が宙を舞う。見ると、マホガニーの持つ紅樹杖の先が、カシェの頭上ギリギリの位置で止まっていた。木の幹がぐるりと巻いた形の杖だ。彼の身長に近い大きさとだけあって、もし当たれば一溜まりもなかったであろう。
「邪魔をするなマホガニー!」
「いくら何でも卑怯だよ、カシェ」
口ではそういうマホガニーだが、やってしまったと言わんばかりに青ざめていた。ちぐはぐな痒さをまとう主張に、先代が呆れた様子でそっぽを向く。
「手段を選ばないのはこいつ達も同じだ」
「そうだよ、誰も手段なんか選んでいない。だからルールを決めたんじゃなかった? ズィナは充分に話した。カシェが話さないのなら、僕が代わりに答えるよ」
「……好きにしろ」
拾った帽子を被り直して椅子に座るカシェを尻目に、マホガニーが両手で杖を握って、私達と向かい合う。
「さっきは質問に答えてもらったから、こっちも同じ形をとるね。ルーベリーの隠された歴史といっても、具体的にどの部分かな」
「どこからどこまでが隠された範囲なのか分からないので、場所も年代も指定できかねますね。しかし書物の中で、該当箇所と思われる部分が読めなくされているのが気になりました。こちらをご存知かどうか教えていただけますか?」
そう言って、私は一枚の紙片を見せる。図書館で探し当てた書物の題名を、文字の並びが崩れた通りに書き写したものだ。読めそうにない字面を追い、マホガニーは知らないなあと呟いた。
「カシェは見たことある?」
「ない」
「まだ読んでいない」
珍しく厳しい口調で話すマホガニー。彼の持っていった紙片にカシェは目を通すが、それでも彼の答えは、
「ないな」
これきりだった。そうですかと言おうとしたが、彼が先に口を開く。
「探知魔法は使ったか?」
「適切な魔法陣を組むよりも彼の対話魔法を頼る方が早いと判断し、書物に直接伺いました」
「そしたらね、2代目の途中で、ルーベリーの文明が失われたのと同じぐらいの時期に、魔法が及んで言葉が壊れた、って。誰の魔法によるのかは分からないんだって」
ユイユが懸命に付け加えた。
「元の内容は、この内の一冊ですが、ルーベリーの文明と魔法について記されていたそうです。ある章には、かつて『ルーベリーには独自の生命が存在する。外見は精霊と似ているが、否なる生物も多くみられた』と書かれていたと、オシャーンさんから伺いました」
私が補足するなり、カシェが僅かに瞼を上げた。
「……誰も違和感に気付かなかったのか?」
どういうことだと私は問う。
「オシャーンさんもフッセさんも指摘しませんでした。当時の文明を知る世代が聞いても間違いではないと判断された、ということですよね?」
「図書館の主はあくまで分業に徹したんだろう。内容の正誤以外に考慮すべき要素があったとしても頷ける」
カシェがフッセを睨み付ける。
「書物の回答。主の証言。それぞれの要素は確かに間違いないだろう。だが、決定的におかしい部分があったはずだ。どうして見逃した」
険しい表情で責め立てられて、フッセは胸の前で指を弱々しく突き合わせた。
「それ、は……」
ちら、とカシェに目を向けるも。すっかり怯えてしまったのか、すぐにも自分から、躊躇いがちに視線を逸らしてしまう。
「……おかしいって指摘したら、最後まで話してくれないと思って……」
「甘い。甘すぎる。後代の対話魔法は翻訳も可能なのか?」
話を振られて、ユイユがうろたえながら口を開く。
「たぶん、まだ難しい……よ。図書館で本たちに呼び掛けたときも、名乗り上げてくれても何を話しているのか、わかってあげられない本もあったんだ」
ほらなと言わんばかりに、カシェがフッセを流し見る。
「文明には古代語が使われていた。表題も古代文字。と来たら、文明を記したこの本は古代語で書かれていたはずだ。なのに、現代ルーベリー語での対話ができた。同じ図書館の中で、魔法族のルーベリー語を聞きながらも、発することのできなかった書物だってあるのにな」
そう言って、溜め息交じりで肩を竦めた。
「対話魔法の弱点だ。声は嘘をつくこともある」
まさか、自身の魔法まで責められるとは思っていなかったらしく、ユイユの表情が一転する。
「……オシャーンからも聞いたよ。だけど僕は、それでも勇気を持って声に出してくれた言葉を信じたい」
「裏切られもするのにか?」
「これまでにもあったし、これからもあると思う。同じぐらい後悔もしたし、これからもすると思う。だけど、嘘をつくのにも理由があるはずだから。その理由も汲み取って、大切にしたいんだ」
まるで許容はできても受容はできないといった様子で、カシェが初対面の後代を見つめた。
「お前は、書物の言葉をどう解釈する」
「助けて欲しいんだと思った。ルーベリー語を知っているって、隠さずに教えてくれたから」
「助ける手立てはあるのか?」
「きっと大きな魔法がいるのかなって思うと……僕だけだと難しいよ。古代語だって、古代魔法だって、何も知らないんだ。君は色々知っているみたいだけど、なんでこの時代に来たの?」
「お前の差し出す情報量に釣り合わないな」
「そっか、……そうだよね。いいんだ、ヒントをくれただけでも嬉しいよ」
ふたりの会話を耳に入れながら、私はマホガニーに、図書館の主から頼まれた伝言について相談していた。書物探しの結果、ルーベリーについて書かれた本は、当初に示された数よりも多く見つかったこと。それでも、冊数と内容ともに不足が目立ったこと。具体的な数や程度を含めて、ルアンの後代への『鍵』を通した伝言を、マホガニーは快く引き受けてくれた。
終わってから、彼がこう話す。
「ルアンとラィが、『ありがとう。助かった』って」
こちらこそと礼を述べて、傍らのふたりを見る。彼らも区切りが付いたらしい。
「俺は忠告した。声は嘘をつくこともある」
「うん、ありがとうね。覚えておくよ」
にっこり笑ってみせるユイユだったが、どこか寂しそうで。相手の視線が外れると、私の隣で、ほんの少しだけ瞼を下ろした。
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