時空橋編(12)
この国の廊下の灯りは、夕刻を迎えるとゆっくり消え始める。大広間が暗くなると、廊下の灯りも眠りにつく。
図書館の灯りは異なる仕組みを持ち、日が天頂を通過すると、まばらに灯りが一つづつ消え始めるのだ。天底を通過する間際に中央の最後のひとつが消え、通過して暫くすると、再びそのひとつが灯る。
よほど図書館に入り浸っていないと、この仕組みには気付きそうで気付かない。時計のないこの国で、図書館の保守の長を担うオシャーンは、灯りの数を共通の時間認識の道具に指定したのだ。
図書館では、天井のあちこちと、書棚のほとんどに灯りが設けられている。だから長の指示した『灯りがひとつ消えるまで』は、思いの外に短い。
書物との対話を引き受けたユイユは、緊張の面持ちで机の間を通り抜け、中央の太柱のもとで足を止める。大きく息を吸い込むと目を閉じて、両端が鐘の形を模した杖を胸の位置で握った。
しばらくして、目を開けたユイユが杖を掲げる。
「カフマーレ、ルーベリー訪問誌!」
すると奥の書棚から、一冊の本が飛んできた。間一髪で分厚い分厚い本を受け止めると、近くの小机に置いて、杖を掲げ直す。先と同じく一冊ずつ呼び寄せて、七冊の書物が集まった。
私は長をちらりと見る。彼もこちらを横目で見遣ってから、視線の先を天井へと戻した。まだ時間はあるらしい。
ユイユが振り返ったので、長に代わって頷いた。
「ありがとう。ズィナ」
彼は書棚の群れへと向き直り、杖を掲げた。心なしか、先程よりも握る手に力が入っている気がした。
「カフマーレ、リベルオサナンクフェ」
発音に自信のない様子が窺えたが、すぐにも安堵の表情を見せたのは、本が飛んできてくれたからだろう。しかし、その題名を視界に入れるや否や。微かにだが、彼が嫌悪感を露わにした。
制限時間が迫っているので彼は特に言及せず、すぐに次の書物を呼び始める。追加で五冊が集まったのと時を同じくして、長から『そこまで』との声が掛かった。
十二冊の本を、長と私と工房一家で囲む。始めに呼んだ七冊は、ルーベリー語で記されていた。ルーベリー訪問誌。ルーベリーの地理と植生の上下巻。空の観察記録。ルーベリーの魔法。2代目の訪問記録。3代目が書いたらしい、指令との相関考察。
残りの五冊は、別の言語によるものだった。古代語で記された文化史が二冊。なぜか地球の言語で記された書物が一冊。残りの二冊は読めなかった。文字自体は古代語のものが使われているのだが、文字の並びが入れ替わっているのか、文章として成立していない。内の一冊は更に顕著で、所々に無意味と思われる数字や記号が挟まれていた。先程ユイユが嫌悪感を滲ませた理由も、その奇妙な字面にあったのだろう。
長がそれぞれの題名を睨みつけながら、工房一家の最年少に向かって『他は』と聞いた。
「まだ、……あと十冊はあったよ」
「言語は」
「……ルーベリー語じゃなかった」
ユイユの返答に長は頷くだけで、文字化けした書物のひとつを手に取った。ぱらぱらと頁を繰るにつれて、眉の吊り上がり方がきつくなっていく。
「……『ルーベリーには独自の生命が存在する。外見は精霊と似ているが、否なる生物も多くみられた』と書かれていたはず」
そう言って手を止めた見開きは、題名と同じく文字化けの羅列で埋め尽くされていた。
「聞いて。なぜ、言葉が壊れたのか」
「……わかった」
ユイユが杖を構えて書物と向き合う。
「教えてよ。どうして文字の並びが崩れたの?」
…………
「魔法の影響を受けたから? いつ?」
…………
「2代目の途中? 文明が廃れた時……?」
ユイユが不安そうに目配せしたので、続きを先代のフッセが拾う。はじめは彼の目にも迷いの色が見られたが、だからなのか、彼は敢えて本に向かって微笑んでみせた。
「初めまして、フッセだよ。ルーベリーに興った文明は、千年程で失われてしまったの?」
「── そうらしいよ」
本の返事をユイユが代弁する。
「その時に、君に書かれた言葉が壊れたの?」
「── 大体その時期だって」
「壊れたのは魔法の影響だと言っていたよね。文明は、誰かが魔法で壊したの?」
「── わからないみたい」
「そっかあ……でも文明が廃れたことは知っているんだよね。誰かに教えてもらったのかな?」
次第にフッセの視線がちらちらと逸れがちになる。明らかに、彼の許容範囲を超え始めていた。見かねた私は長に尋ねることにする。
「この本の概要を教えていただけますか?」
「……ルーベリーの文明と、そこで使われていた魔法について」
「ルーベリー語が残った方の、魔法についての記録とは別物なのですか?」
「……残った方は個々の住民の能力について。今の方には、文明の発展にあたっての、能力や特性の活かし方が記されていた」
そう言って、長が『ルーベリーの魔法』を手に取った。多少は魔法と文明の関わりにも触れているそうで、長がその頁を見せてくれた。途端に私達は唖然とする。
該当箇所と思われる部分の文字が、ほつれ千切れた糸のように、ほどけながら見開き一帯に散らばっていたのだ。
どうやら、どうしても読ませたくないらしい。誰かの魔法によるのなら、事実を隠したがる者がいたということだ。
果たして誰なのか。
どの魂系の者なのか。
書物に問うも、代弁者曰く『わからない』の一点張り。長からの視線を受けて、フッセは震えながら首を横に振った。本当は、書物は知っているのだろう。しかし、これ以上を聞き出すことは無理だと長も判断したらしく、『いい』との制止が入った。
普段の指令だったなら、求められるのは文字化けの修復の方だろう。だが今回は、言葉を壊す魔法を誰がどういった目的で使ったのかを突き止める必要があった。対峙する組織とのやり取りにおいてルーベリーも天秤に掛けられている以上、重要と思われる史実が隠されている理由を無視できないからだ。
そしてその答えに辿り着くには、図書館だけでは足りなかった。
「オシャーンさん、言われた通りに書物を見つけ出しました。今度は私がユイユさんのご要望を叶える番です。どうか、図書館からの一時的な離脱を許してください」
長の小さな頷きによる了承を得て、工房一家と共に玄関へと向かう。
腕には紅色表紙の魂の本を抱えていたが、見ても長は何も言わなかった。
*
取引局本部
乾いた足音を立てながら、デニアは早足で廊下を進む。罪人を監禁していた部屋の前まで来ると、ノックなどするはずもなく、足を止めずに扉を開けながら中へと立ち入る。扉を閉めてようやく、堪えていた口元が歪むのを自覚した。
「忘れたの? 補助切手の記録は残るのよ?」
送還魔法の補助切手を使った際には、送り主の場所と届け先の場所が自動的に記録される。一般人ですら知るこの仕組みは、外時空とのやり取りを担う取引局員にとっては常識中の常識だ。
監禁中の身で、ましてや本部で使うなんて大したものだ。彼なりの考えがあっての故意なのか、或いは縋る思いで我を忘れたか。本人がこの部屋から姿を消しているので、問い詰めようがないのだが。
「……どこまでも愚かね、パシフット?」
通信局からの情報によると、補助切手を使っての送還先は、送還魔法の保証対象には含まれていないらしい。一体どこに切手を隠し持っていたのかは知らないが、彼が外の時空へ逃亡したのは確実だ。
まったく、なんて都合が良いのだろう。手紙を通してじわじわと時空間のルートを穿つ予定だったが、もし生命という大きな存在がコーレニンまたはルーベリーに到着したのなら、今後の計画も進めやすくなるに違いない。
コーレニンへ手紙を送ったのは、彼が逃げる前のこと。
つい先程に返事が届いたので、一言も見落とすまいと何度も読んだが、どうにも肩透かしの中身だった。
こちらは、ルーベリーへの調査を申し出る形で交渉を始めた。断るのなら調査対象をコーレニンに切り替えるという脅しを入れた。少しでも断られる可能性を抑えたはずなのに。
相手は、調査の方針や範囲、調査における規定、調査結果の使用目的などを書面で送れと求めてきた。内容のすべてに相手が納得・合意すれば、調査を始められるらしい。
もし、一言でも食い違いがあり、こちらに修正する気がないのなら、調査を諦めろと言う。更に、相手の合意なくして調査を始めた場合には、取引局本部の主要取引先にその旨を伝えると共に、地球支局を解体すると来た。
「何なのよ……こっちは時間がないっていうのに」
そもそも調査範囲も何も、ほとんどが黒箱に入れられている状態なのだから決めようがない。
しかも地球支局の扱いがオマケなのにも腹が立つ。実際のところ、最初からルーベリーへの足掛かりのつもりでいた。だから余計に癪に障る。何だ、向こうもわかっていたんじゃないの。
ふたつの異質な時空の扱いに関しては、ほとんどの権利と責任を総長から投げられていた。だから、返事を受けた上での動き方も自分で決められる。挫いても責任を追うのは自分だけ。
当たり前だ。利点があっても所詮はちっぽけな世界。その利点すら抽象物なのだから、利益を弾き出すのが難しい。その証拠に、地球でいう千年以上も前から利点を主張しているのに、ご覧の通りの進展だ。
パシフットとか言う反抗の所為でもあったが。いや、あれは真っ向からの反抗ではなく、曖昧さの中に溶かしてしまう液体だ。だから潰すに潰せなかったのだ。
ここに来て、ようやくデニアは腹を括る。調査の前段階として、一か八か『収集』しようじゃないの。
*
コーレニン大広間
向こうから手紙を受け取るのは三通目だ。ルーは昼下がりの明るい日差しに封書をかざして、表から裏から、くるくると向きを変えながら見つめた。
「なんだかなあ……」
開けてはいけない気がするんだよなあ。という呟きは、誰にも拾われずに消えていく。
ルーは溜め息をつき、封書を小さな両手で掲げてみた。開けたくないなら開けなければ良いだけ。魔法を使えば、中身を読むぐらい簡単だ。
「──『ルーベリー全域の地理と、使われる魔法についての、一年間の調査を望む。調査結果は双方の時空の発展に活用する。なお、調査においては現地住民の生活に対する最大限の配慮を心掛ける』……」
無難を極めた内容だ。拡大解釈を引き出せば、いくらでも向こうに都合の良いようにされてしまう。
当然、承諾しかねた。
二度目の溜め息と共に、片手を振り上げる。青白いタイルの並ぶ床の上に、鮮やかな紅色の光を放つ大きな魔法陣が広がった。
放り投げられた封書が、ひらりと舞いながら魔法陣に着地する。光が濃さを増して立ち上り、降り注ぐ日差しと入り交じる。
他者なら目が眩んだであろう、その異様な光景を、ルーは瞬きもせずに、綺麗だとさえ思いながら、光と魔法陣が消えるまで見届けた。
入れ替わりで、ひとりの姿が現れた。戸惑いを隠せぬ彼女を、ルーは気高い笑みで迎える。
「コーレニンへようこそ。さあ、話をしようじゃないか」
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