時空橋編(9)

  箒専用通路内

 ユイユの先代であるフッセが工房を出てから、長いこと経っていた。
 自身の仮住まいのある西部から遠く離れて、彼は東部の通路を歩く。
 柱を見上げながら、下方からの灯りに照らされる文字を探し、やがて『S』と刻まれた柱のもとで立ち止まる。
 付近の石壁に近付いて一言、呼び掛けた。

「シューナ、いる?」

 声など返ってくるはずもなく、眼前に扉が現れることもない。ただ、声が空しく通路に反響した。
「……そうだよね。会議でも言われていたもんね。君のトルコ石だって、今はないもんね。でもね。途中から来ても良いんだよ」
 一歩下がって諦めたように笑うが、ひとりで作り笑いをして何になるんだと余計に空しくなった。
「ここで言っても、君には届かないのにね」
 分かっているのに、石壁の前から離れられない。
「……シューナの後代が会議に来ていたんだけど、僕達に囲まれた中で自分の役割を全うしたんだよ。頑張ったんだよ」
 壁に手を伸ばすが、なぜか直前で心が止まって触れられず、行き場のなくなった指先が折れ曲がる。

 立ち尽くしていると、目の前に一枚の紙片が現れた。指令書だ。
『外部組織が早くに動き始めるかもしれない。一同、持ち場に就くように』

 一読して、すぐに畳んだ。
「ごめんね。……もう行くね」
 振り返ると、また立ち止まってしまいそうで。わざと足早にその場を去った。

  *

  大広間

「では本部が普段、どのようにして他時空との交流を始めているかについて、」
 テナが説明しようとしたところで、ある話を思い出して言葉を止めた。ルーがつい先程、現状と必要な情報を追加で各分担に送る、と話していたこと。
 急を要するものもあろうかと思って確認すると、
「もう送った」
 と、返ってきた。国内の地図を表示した際に、ついでに送っていたらしい。
 全くそんな素振りは見られなかったのでまさかと思ったが、この者にとっては容易いことだったのだろう。テナは『わかりました』と答えてから、説明を始める。
「もともと本部には、他の時空の存在や文明の有無を監視し続ける部署があります。新しい時空や星を発見しても、すぐには手を出しません」

「しかし、その土地に少しでも、一度でも文明が興れば、ヴェイス側の干渉条件を満たしたと判断されます。そこで、相手の土地宛に干渉の是非を問う手紙を送ります。手紙には釣り針のような機能がついていますから、相手が魔法を使えなくても返事ができますし、返事が来た時点で物の往復経路が確保されるんですね」

「返事で相手が拒否を示していれば、再び監視のみの状態に戻ります。逆に、相手が同意すれば、生き物の往復経路を協力して構築することになります。取引所の建設は、経路の構築に加えて支局の配置に同意を頂いてからですね」

「こうして相手にとっても、様々な時空からの来訪者が集まり、文化の発展や情報収集などといった利益が受けられる。という流れになります。以上ですが、ご質問はありますでしょうか?」
 即座にルーが口を開く。
「聞きたい事が多すぎるな」
「でしょうね」
 テナが苦笑する。

「大きく纏めても三つはあるな。文明が興っていなければルール違反になる理由は何だ? 自然保護の観点かとは思うが、裏があるんだろう?」
「表面的には概ね当たっているんですけどね。実際にはルー様の仰る通り、外交における事情を孕んでいます」
 テナは更に言葉を紡ぐ。
「まず、手紙の受取り手がいないこと。そして、ヴェイスの魔法使い達を送り込むには危険性が高すぎること。文明が興っていても、紛争によって危険に晒されることはあるんですけどね。あとは、他の時空に向けての体裁ですね。無垢な土地への無闇な干渉を善しとしない組織もありますから」

「ヴェイスは他時空を監視する一方で、繋がりのある時空から振る舞いを監視されてもいるわけだな。例外として、時空を越えた監視の手段を持たないのが地球だったと。ふたつめの質問だ。取引所が建てられたのは地球だが、地球に手紙を送って同意を得た上で建設されたのか?」

「本部に返信の手紙が保管されていました。ですが、返信者のお名前は、地球で読める文献には見当たりませんでした。どこの誰でもない一般人に届けたか、または『私信』として返信名を指定する手紙を同時に送っていたか……この辺りが考えられますね」

 ルーが、やれやれ、と小さな両手を広げて下ろした。
「地球全体の支配者は存在しないからなあ。最大領土を持つ国に送るにせよ、支配者の交代が激しかった」

 ずっと地球をみてきた立場でも、送り宛に悩む程なのだろう。千年以上に渡って現地にいたテナとしても、素直に頷けた。
「小さな自治体などには、過干渉にならない程度に根回しをしていたらしいですけどね。それでも建設後のものがほとんどですよ」

「主となる存在の明確なこの国ですら、正しく届かなかったんだからなあ。さて、最後の質問だ。コーレニンに届いた一通目が、干渉の是非を問う手紙に当たるのなら、文面が特異すぎやしないか?」
「あまりにも焦点をぼかした表現でしたからね。直接的な表現だと拒否されるとわかっていたのでしょう」
「そりゃなあ」
「ですよねえ。コーレニンとルーベリー、そして地球の三時空への対応は、悉く例外でした。前例が見つからず、何をするのが最も正しいのか……その答えにも至れなかったのが、正直なところです。情報不足ほど、もどかしい事はありませんね」

 情報不足か、と呟きながら、相手はありもしない天井を見上げる。
「テナの集められた情報に限りがあれば、私の知らない情報もある。今こうして擦り合わせてみたものの、どちらも知らず、取引局の本部のみが知る情報もあるだろう。空いた穴を埋めるに越したことはないが、いかなる時も埋めきれるとは限らん。欠けた部分は別のもので補う他ない」
 欠けを別のもので補う。心の中で繰り返した時、同じ状況にあるものが、テナの心の中で存在感を膨らませた。
 それは、相手も同じだったみたいで。
「テナの杖もな。修理の最中なんだろ? 引き留めて悪かったな」
「いえ、私から持ち掛けた話でしたから。本部に返事を送られた際には、差し支えなければその内容をお知らせいただいても宜しいでしょうか?」
「もちろんさ。他の情報もその都度で共有するつもりだ」
「是非お願いします」
 テナは恭しく頭を下げてから、西側の入り口へと歩き始めた。

  *

  箒専用通路内 サントレットの仮住まい

 ベベルが見つめていた『鍵』が、突如として光瞬いた。通話の合図に気付き、『鍵』を顔に近付けて声を掛ける。
「はーいベベルよ」
『こちらマホガニー。頼み事をして良いかな』
「聞いてから決めるわ。どんなの?」
 周りから向けられつつある視線を気にし始めながら、ベベルは通話を続ける。直後に思いも寄らない内容を聞かされて呆気に取られるも、なんとか頭に入れようと踏ん張った。
「記録魔法瓶……? マホガニーが集めていたのを別の場所に移すから? 協力して欲しい?」
 理解しつつも状況を飲み込めず、聞いた言葉をそのまま口頭でなぞり上げる。見かねたサントが、
「ちょっと代われる?」
 と言って、話を引き継いだ。

「──それで、ルーの魂系ふたりは大広間に近付けないから、僕達にお願いしたいんだね」
『お願いしてよろしいでしょうか?』
「僕も大広間に行けないんだよね。べべルと離れられないし、同じく『鍵』を持つべべルに行かせられないし。こっちで決めたふたり組に向かってもらうね」
 通話を終えたサントが、鍵をベベルに返しながら全員に笑いかける。
「誰が行く? 1代目と1000代目、ひとりずつの枠があるよ」

  *

「いやぁまさか影武者さんと行けるなんてね!? わくわくしちゃうよ!」
「覚えていたのっ!? さすが格の違う器だねっ!」
 小柄なウィーアと、すらりと背の高いロイシン。凹凸のふたり組は、器用に足並みを揃えて大手を振って南部に向かう。
 四年ほど前にロイシンがレイミンと『転換石』を探していた時、ふとしたきっかけで1代目の時代へ赴いたのだが、その際に顔を合わせた最初の魔法族がウィーアだった。
 彼女が『ハルテがふたりになっちゃった』と言って慌てていたのは、冗談でもなく本気だったらしい。もちろん正体を明かすわけにはいかず、双子はハルテの影武者という設定にして誤魔化していたのだった。
「この時代で会った時に、影武者さんだ! って思ったんだけどさ! みんなのいる前で影武者さーん! って言えないじゃんね?」
「奇遇だねっ!? あたしも影武者だよ覚えてる!? って聞きたくて、うずうずしていたんだよっ!」
「なんと! 気が合いますな−! お互い双子の片割れなんだし、交換したら面白そうだよね!」
「やってみる? 大変だよっ!」
 ふたり揃って高らかに笑い声を上げるものだから、近くの分担に就いていた他魂系の先代と後代が、訝しげに顔を覗かせる。当のふたりは目を向けるどころか、気付いてすらいなかった。

 到着するや否や、呼び鈴に目もくれず、ウィーアが力強く扉を叩く。
「やっほー! ウィーアとロイシンが来たよー!」
 勢いに任せて叩き続けていると、突然に内側から扉が開き、家主の関係者が片耳を塞ぎながら顔を出した。
「何の騒ぎだ……」

 図書館会議で見覚えのあるその姿に、ウィーアが楽しそうに飛び跳ねながら指を向ける。
「カシェくんじゃーん! うちのサントがお世話になってます!」
「本当にな」
 カシェの嫌味は届かなかった。ロイシンが微笑んでウィーアに頭を傾けてきたので、互いが互いに夢中だったのだ。『ルーのところの337代目くんだって!』と、大きな声で囁くウィーア。それを聞いて、ロイシンが深々と頭を下げた。
「我々のマホガニーがたいへん、たいっへんお世話になっています」
 本人は至って真面目なのだろうが、大袈裟な仕草にからかわれている気がしたらしい。正面で、カシェの顔に浮かぶ苛立ちの色が濃さを増していく。
「……本当にな」

 本来なら追い返しかねないところだが、頼み事をする立場なので無碍にできない。苛々を募らせたまま、カシェがふたりを中へと招き入れる。
 家主であるマホガニーにふたりを押し付けると、さっさと階段を下りていった。先代の険しい表情から察したマホガニーは、何度も頭を下げて、ふたりを円卓へと案内した。
「通話で話した通りだけど、改めて説明するね。この部屋には、ルーベリーの風景を記録した瓶が全部で七百近くある。対峙する組織がルーベリーを狙っている以上、ここに置いておくのは危険だろうから、ほとんどをルー様に託そうと思った」
「それであたし達に運んで欲しいってわけだねっ! わかったよっ!」
 ロイシンが胸を叩く横で、ウィーアが小さく唸る。
「運ぶのには喜んで協力するんだけどね。何百個もあるんでしょ? 一度に持って行くのは無理じゃない?」
 待ってましたと言わんばかりに、ロイシンが口角を上げる。
「って思うでしょ?」
「何々!? 秘策があるの!?」
 ウィーアが目の色を変えて、嬉々として見上げた。
「大広間との間に中継の拠点を用意したから、そこまではマホガニー達にも手伝って欲しいな! あとは双子にお任せあれっ!」
 最後の一言を聞いて、マホガニーが固まった。そこへロイシンが『高く付くよってさ!』と追い討ちを掛ける。
「……頼んだ責任もあるから今更断れないしね。せめてお手柔らかにお願いするよ」
 その間、ウィーアが階下に向かって『だってさカシェくん! 頼んだよー!』と呼び掛けていた。

 やがてカシェが、小瓶の入れられた引き出しを抱えて上がってきた。
 魔法を使わずに運ぶのは不本意だった様子だが、かといって室内であっても送還魔法を使うのは憚られる状況。階段に沿って曲線を描きながら物を浮かべるよりは、自力で運んだ方が速いと判断したらしい。
 円卓の中央に引き出しを置くと、
「まだある」
 とだけ言い残して、再び階段を下りていった。
 引き出しに入れられた小瓶を数えると、三十個あった。聞くと、引き出しも小瓶も大きさが不揃いなのだそう。ひとつの引き出しに入る小瓶の数も、まちまちとのことだった。
「入れ物が足りなくて、三分の一はそのまま棚に入っているんだ」
 と、マホガニーは話す。引き出しの中に入っていた小物類は全て出したそうだ。だから、階下は相当散らかっているのかと思われたが、カシェが平然と次の運搬分を持って上がってくる様子が、その予想を否定する。どうやら、運ぶのに支障を来さない程度には、小物類がどこかに収まっているらしかった。

 中継地点となる部屋へは、ウィーアとロイシン、そしてマホガニーが運ぶことになった。
 カシェが残ったのは、一度に運びきれない小瓶を見るひとが必要だからだ。
 彼は、
「召喚魔法の餌食にはさせない」
 と話していた。
 数年前に、自室の魔法道具を双子に盗られた出来事を思い出して、マホガニーは耳が痛む思いをした。カシェは当時を知らないはずであり、後代を見て口元が微かに歪んだのは、偶然だと思いたかった。

 引き出しを抱えて、三人は細い廊下を歩く。ここの壁は、土を練って塗り固めた装いが特徴的だった。
 壁を飾るのはいくつもの、縁を丸めた石たち。それらの飾りが色とりどりなのだとわかるのは、廊下が狭くて壁が近いからに加えて、もうひとつ。すべての柱に取り付けられた灯りの数々が、辺りを明るく照らしていたからだ。

 南部の廊下は、段差が多い。幸いにも明るさのある道ではあるが、足下には気を付けないといけなかった。
 特に、今は荷物を抱えていたからか。または、さすがに目立ってはいけないと思ったのか。ウィーアもロイシンも、嘘みたいに静かだった。
 更には、ロイシンから場所を聞いたウィーアが数歩先を歩き、安全を確認して後ろのふたりに合図で伝えるという形をとっていたので、会話が生まれる余裕もなかったのだろう。

 そこまで厳重に運ぶのも束の間で、ふたつほど角を曲がると、すぐに拠点の部屋へと至る。
 扉には鍵が掛かっており、叩いてみると『合言葉は?』と浮かび上がった。
 前へ進み出たロイシンが、文字の縦棒と横棒を組み替える。文末は終止符で終わり、不要となった『?』の上部分を掴んで鍵穴に刺して回すと、鍵の開く音がした。

 扉を開けた先には。
「さっすがロイシン!」
 大きな囁き声で双子の片割れを褒め称えながら、嬉しそうに笑うレイミンの姿があった。
 どうやら事前に打ち合わせをしていなかったらしく、改めて双子の恐ろしさを実感するマホガニー。横ではウィーアが『へー! 面白そう! 今度やってみよ!』と、これまた大きな囁き声を出しながら頷き続けていた。

 三人が部屋に入って扉が閉められるのと同時に、小ぢんまりとした部屋の明かりが一斉に灯る。いちばん明るい所で、レイミンがスカートを摘まんで、身振りだけ仰々しく挨拶をした。
「ようこそ中継地点へ! ここから先はロイシンと私に任せてね」
「あたしは!?」
 驚いた様子でウィーアが訴えると、レイミンが片目を閉じて微笑んだ。
「お外の見・張・り」

 呆気に取られて口を開けたのはマホガニーだった。
 魂系の長、ましてや他魂系の先代に雑務を投げつけるなんて信じられない。しかし、当の本人であるウィーアは、
「おっけーだよ! 任せて!」
 と、乗り気な様子。マホガニーは冷や汗が伝うのを感じつつも、一先ず胸を撫で下ろした。
「続きもあるんでしょ? 早く持ってきてね」
 と、レイミンに促されるがまま、三人はマホガニーの部屋との往復を始めた。
 不思議なことに、拠点の場所が毎回少しずつ移動しているにも関わらず、内装は全く同じで、合言葉を突破する度にレイミンが嬉しそうに出迎えるという繰り返しだった。

 全てを運び終えた後、レイミンは小さく手を振った。
「これから作戦のお浚いをするわ。マホガニーはここでさよなら」
 内容を聞こうとするも、
「だって反対するじゃない?」
 と、取り合わない。余計に耳に入れるべきだと思ったし、何も情報を持たずしてカシェと顔を会わせようものならどうなるか、考えたくもない。
 珍しく粘った甲斐あってか、結局折れたのは双子の側だった。
「送還魔法を控えるべきだとわかった上で使うつもりよ。記録魔法瓶に『鍵』を掛けて、移転中にロイシンと私の他には誰も取り出せないようにするの。更にね。この部屋には細工をしたわ。位置を特定しようにも、別の地方が示されるはずよ」
「危険ではあるけどねっ! でもこのまま運ぶのも完全に安全とは言えないしさ!」
「それに普通の送還魔法とは違った経路も考えているわ。何にせよ、記録魔法瓶に被せて魔法をかける以上、中身を完全には保証できないの。質量には手出しをしないから、まだ良心的な方よ?」
 不安は残るが、腹を括ったマホガニーは双子に託して拠点を後にする。
 こちらでも別で運び続ける小瓶があるのだ。急いで居室へ戻る頃には、外に出たカシェが玄関扉に杖を向けて魔法を掛け終えていた。
 先代の彼からは、小瓶の入った鞄を渡されながら、
「当面ここには戻れないからな」
 と、小さな声で告げられた。

  *

  コーレニン西部 工房

 フォンエがユイユの言葉を繰り返す。
「『祈りの魔法』を知っていそうなひと?」
 ユイユは首を大きく縦に振った。
「同じ世代に、魔法に詳しいひとがいるんだ。多分だけど、図書館にいると思う」
「ふーん……」
 フォンエは何気なく、今しがた届いた指令書に手を伸ばす。
(『一同、持ち場に就くように』、ねえ。私が工房から離れられないから、ユイユも動けないし。このふたりに任せるのも違う気がするし)
 どうしたものかと悩みながら、フーラルとリヴィエをちらりと見る。
(工房にある魔法道具が特別キケンなわけではないし、精霊はコーレニンのどの地方にもいるだろうし。ユイユが精霊とも情報を繋がないといけないのなら、私がここに居留まる必要はなくない?)
 実体があり、平均的な魔法族よりも少しだけ背の高いこの姿を不便に思った。そして、自分がユイユを縛る形になっているのも嫌だった。だが、仮に工房を離れるにせよ、テナの杖の修理が完了した上で、フッセとの再合流を果たしてからだ。
 悶々とした気持ちを捨てきれないままでいると、扉を叩く音がして、直後に『遅くなりました』との声が聞こえた。

 テナが、帰ってきた。







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