時空橋編(5)

 エミウルとふたりで歩くのは数ヶ月振りだった。
 数ヶ月前の当時は初対面だったのだが、『カシェを捜す』という目的が一致して、彼女と行動を共にするに至ったのだ。自身の身体に入っていた先代が彼女に疑いの目を向けていたのは見て取れたし、彼女も多少の警戒はしていたのだろう。
 そんな中、彼女は結っていた髪を解いて、魂系特有の髪型を露わにしてまで、相手を信じることを選んだのだった。

 そうして行動を共にした経緯があるからか、彼女から感じる温度は、あの時ほど低くはなかった。だが、彼女の信じた相手はズィナ自身ではなく、『中身』にいた先代だ。
 そうとも知らず、彼女は当時と変わらぬものとして、再びズィナに接している。彼女を騙している気がして後ろめたさを覚えながら、私は彼女の後ろをついて歩いていく。

 思えば一方で、カシェの態度も奇妙だった。当時の『ズィナ』と同一人物として見ていたなら、図書館会議の場面で崖から突き落とす勢いで追い詰めてきても不思議ではなかったはず。
 彼は『ズィナ』とのやり取りで、逃げ道を塞ぎながら畳み掛けてきたぐらいだ。その時に感じた相当な執念は、容易く忘れることはないだろう。だから今回の態度は、単なる気変わりとは考えにくいのだ。

 奇妙といえば、カシェとエミウルの間柄についてもそうだ。当時、ふたりの間にみられた緊張感が、先の図書館ではまるで感じなかったのだ。

「……エミウルさん」
 勇気を出して名前を呼んでみる。
「何かしら」
「エミウルさんは、カシェさんの何なんですか」
「自分でもよく分からないわ。でもね」
 立ち止まって振り向く彼女の眼差しの美しさに、思わず息を呑んだ。

「彼は私を、とても大切に想ってくれているのよ」

 『そういうことか』と『どういうことだ』、ふたつの感想が同時に浮かんでぶつかるが。何事もなく歩き始めるエミウルを追って、同じく足を踏み出していく。
 碌に言葉を返せずにいると、彼女がぽつりと口にした。
「カシェパースはきっと、あなたの事情を察しているんじゃないかしら。詮索する気はないけれど、困ったら彼に相談すると良いわ」

 やがて目的地の、お伽話に出てきそうな丸っこい木の扉に到着した。
 扉を叩く音ですぐにエミウルだと気付いたのか、開け始めから部屋の主は満開の笑顔を見せる。
「エミウル、おかえり! ズィナも来たの! いらっしゃい!」
 私は、ひとまず安堵の息をついた。彼女に拒絶されるのではと懸念していたが、心配は無用だったらしい。
 エミウルは、ただいまの代わりに、
「オシャーンは仮住まいに向かったわ」
 と、返す。どうやら、オシャーンの居所について聞かれるものと察していたようだ。
「彼とは図書館で合流すると約束したわ。現地で改めて、私達の役割について確認しましょう」

 来た道を戻る中で、ララーノ・オシャーンの嬉しそうな足音が廊下に響いた。1000代目の彼女の姿は無邪気な子供さながらで、途方もなく静かな雰囲気を纏う長とは対称的だった。
 長が不在のこの場面でも、彼女のあどけなさと337代目の静けさが、互いに互いを引き立て合っている。とすると、この魂系で異質なのはララーノの方なのだろう。

 一方で、先代ふたりに注目すると、ふたりもまた異なる性質を持つのだとわかる。長であるオシャーンが湛えるのは、あらゆるものを飲み込んだ末の深海の静けさ。対して、エミウルのそれは、場の空気を張り詰めさせる氷の静けさだ。
 静けさにもグラデーションがあるのだとしたら、ララーノはその端っこの波打ち際に位置するのだろう。『外』との境界を主張するべく音が生まれ、その音を聞きつけてひとびとが集まってくる──

 ──そんなことを考えている間にも、彼女はエミウルと楽しそうに話す。エミウルの話し方こそ淡々としていたが、それでも後代を前にして嬉しいのだろうと思われた。
 何よりも。『影』の中にいた頃に感じた、先代とエミウルとの間にあった凍てついた空気とは、全く別物の温かさがそこにあった。自身も先代とそのような関係を築けたら良かったのに。
 羨ましいと思う気持ちを自覚しながら、ふたりの会話に再び耳を傾ける。

 ちょうど、私がオシャーンの魂系のお世話になると決まった経緯についての話題だった。そこでは、同魂系の先代は用事があって来れなかったらしいと説明されていた。
 後代を放っておく程の用事かと、心の中で先代に向かって嘲笑した。そもそも後代の身体を乗っ取ってまで、私欲を満たそうとした先代だ。どうしようもない魔法族ではあったが、先代や魂系も売る理由も、それによって発生する面倒事に労力を払うつもりもなかったので、小さく頷いて聞き流す。

 しばらくすると、会話の間の沈黙が訪れた。それでも、ララーノとエミウルは心地良さそうだった。
 私達三人は、身長が似たようなものなので、歩幅もペースも特に気遣い合うことなく進んでいく。

 図書館に到着し、エミウルが扉を開けた途端。ララーノがするりと中へ立ち入り、長のもとへと駆け寄った。
「オシャーン!」
 飛び付かれて長の上肢が揺れるのと同時に、足下で金属同士が擦れる音が微かに聞こえた。倒れてしまわないようにと左足が後ろへ下がった際、足首に付けられているふたつの輪っか同士が当たったらしい。
 見ると、右足にも同様の輪がひとつ。大きさは足首に合っていないのだが、外れる気配がないのは魔法によるものだろうか。
 私には珍しく思えた、この輪っか。魂系にとっては、誰もが知る魔法道具のようだ。それは、後から入ってきたエミウルの表情が物語っていた。
「待たせたわね」
「……それ程でも」
「そう」

 集まった四名が片隅の机に着席すると、オシャーンは一枚の紙片を懐から取り出した。
「……ルーの方針を説明する。図書館に収められている、すべての情報を守ること」
 続きを待つ後代達の様子を見たオシャーンは、
「以上」
 と、付け加えた。
「……この班の役割は、館内の書物の保守が主になる。
 同じく図書館に割り当てられたのは、パルメザンとクオノの二魂系。彼らには、北東部の正面玄関と北部の裏口の保守を担ってもらうことにした。もし他の班が必要とする書物があれば、その二魂系に届けてもらう」
「出入り口の開閉をなるべく抑えるためね」
 エミウルの補足に、長が頷く。
「情報探しはこの班で。受け渡すのは玄関で」

 長の真正面に座ったララーノの表情に、不安の色が見え始める。
「一日じゅう、ここにいるの?」
 さすがにオシャーンには、幼い彼女の純粋さが堪えたらしい。
「……夜間は結界を張り、玄関と裏口を完全に封鎖する。俺はここで寝泊まりする」
 そう言って、壁際に積んだ布団を指差した。最初からそうするつもりだったのだろうし、これで彼女の表情も多少は和らぐものと思えたが。

「わたしもお泊まりする!」
 珍しく目を吊り上げるのを見て、先代ふたりが驚くも。すぐにも冷静さを取り戻すのは、さすがオシャーンの魂系といったところか。
「だめ」
 単刀直入に長が諫めるが、彼女の熱は収まらない。
「なんで?」
「ちゃんとした所で寝て」
 長の微妙に的を外した返答に、攻守が一転する。
 意表を突かれて瞬きを繰り返すララーノに、長は瞼を上げきらないまま言葉を続けた。
「お願いだから」

 理論を捨て去った時の長がどこまで頑丈になるのかは、恐らくララーノの方が熟知していたのだろう。
「……わかったの」
 一旦引き下がるが、煮え切らないといった様子は見え見えだ。
 感情を隠すことをしない彼女のうずうずが移り、こちらも落ち着かない気持ちになってくる。
 見かねたエミウルが、徐に口を開いた。
「でもオシャーン。抱え込むのが良いとは思えないわ。あなたに何かあったら、ララーノも私も生まれないのよ?」
「……魔力さえ消えなければ平気」
「向こうがどんな手を使ってくるのかはわからないわ。リスク分散には賛成だけど、あなた自身で背負うリスクも減らすべきよ」
「……」
 渋々頷く様子は、先のララーノと酷似していた。

 この調子では堂々巡りになりそうだ。
「……提案なのですが」
 家族会議に水を差す申し訳なさを感じながら、私は重たい口を開く。
「図書館前の部屋で、ふたりずつ交代で寝泊まりするのはいかがですか? 出入り口と館内に探知魔法を張っておき、何かが起きた時に動くという。さすがにルーも、私達の命より書物を優先させるような、無慈悲な考え方はしないでしょう」

 結局、長が固定で後の三名が交代で寝泊まりする運びとなった。
 それでも彼に言わせれば『折衷案』なのだそう。この件に関して、これ以上の口出しは不要だと判断した。
 私は言葉を続ける。
「それから書物に関しても、守るべき優先度を決めておきましょう。最優先すべきは──……」
 一同、玄関から机を挟んで真正面に位置する、曲線豊かな装飾の施された書棚に目を向けた。
「……ですね。二番目以降は相手の目的次第でしょうか。魂の本だけでも七二冊ある訳ですし、上手いこと繋いでおきましょう」
 なんとか結論づけると、一呼吸置いてオシャーンが席を立った。
「あくまで優先度。守るべき書物は山ほどある。今一度、館内の構成を確認しよう」

  *

  取引所本部

 ルーベリーとコーレニンの両時空を求める理由について、情報を求め続けたテナならわかるはずだと、デニアは答えた。
 テナは頭の中にいくつかの回答を浮かべたが、それらを口に出したところで、はぐらかされることだろう。相手の目的を断定できない上に、こちらの動きを掴むための手掛かりを与えてしまうぐらいなら、安易に言葉を返さない方が良いと判断した。
 現時点で優位な立場にいるデニアは、余裕の笑みを浮かべてテナを見下ろす。そのまま彼女の発した"呪文"に、テナは耳を疑った。

「ドゥーネ・オーヌ・トゥローフェ」

 秒にも満たない間に、彼女の手には二本の杖が収められていた。
 テナの杖と、それを取り上げるために振った彼女の杖。
「あんたが今、どんな立場なのか知ってる?」
 デニアがこれ以上ないぐらい歪んだ笑顔で、テナを見下ろしてきた。
「まさか……」
「現実よ。杖がなければまともに魔法を使えないんでしょう? だったら理由を付けて合法的に取り上げるまでよねぇ。
 あんたをねぇ、犯罪者に仕立て上げるなんて簡単なのよ。もっと前にやらなかったのが悔やまれるわ」

 テナは、ほんの一瞬の油断を後悔した。
 相手とはそこそこの体格差もあり、魔法を使わずして取り戻せる可能性は薄い。無理矢理にでも取り返したところで、立場上、今後の障害が大きくなるばかりだ。
 やめておいた方が良い、と首を横に小さく振ると、相手はそれを諦めの意思表示だと受け取った。
「まだ賢さはあったのね。ついて来なさい」

 連れて来られたのは、現在は使われていない小さな事務室だった。
 点された灯りによって浮かび上がったのは、机と椅子、古びたソファ、空っぽの書棚。倉庫としても使われてはいないらしい。
 絵画か地図が掛けられていたと思しき壁面は、額縁のあったであろう範囲だけを残して日に焼けていた。現在は陽光の差し込む窓すらない。最後の主が去った後に改修したのだろう。

 いっそ、すべて無機質にしてくれたら良かったのに。
 上質な壁紙や、手の込んだ装飾など、誰かが使っていた頃の名残があるせいで、却って今の状況の苦しさが際立ってくる。
 ソファに腰を下ろすと同時に、埃が宙を舞った。
 ひとつずつの埃が降りきってもなお、この先どうすれば良いのかわからずにいた。

 しばらくして、ノックもなしに扉が開いた。
「可哀想になったから杖を返してあげる」
 箱を抱えた秘書は入り口で突っ立ったままなので、こちらから受け取りに行く。最低限の礼を述べるが、彼女が聞いているのかどうか定かではなかった。

 机に箱を置いて蓋を開けて一目で、相手が口に出したことを少しも思っていなかったのだとわかった。
 本当に哀れみを抱いていたのなら、杖を砕き折る真似などしないからだ。

 幼少期からずっと使い続けてきた杖が、こうもあっさりと惨めな姿になるなんて。
 信じられなかったし、信じたくもなかった。

 いくら見つめても杖が元通りになるわけないと、わかっていた。
 自身を相手が否定するのは当然だ。
 だからといって、諦めることを選ぶ気にはならなかった。
 直したとしても、果たして使えるまでになるのだろうか。どうしたら、直せるのだろうか。何もわからないが、動かずにはいられなかった。

 接着剤を探すが、この部屋にそんな物はない。机の引き出しに入っていたのは、便箋とペンだけ。
 別れを告げるなら今の内だと言いたいらしい。自身には手紙を送る相手がいないのだと、向こうも知っているだろうに。
 それに封筒すら見当たらないなんて。わざわざ他の道具は揃えておいて、どこまで惨めな思いをさせるつもりなんだ。

「そもそも手紙をこの部屋からどうやって──……」
 半ばヤケになりながら、引き出しに手を突っ込んで、剥がれ落ちた塗装の粒や塵を手で払っていく。すると、奥で横板と天板の隙間に何かが引っ掛かっている感触に当たった。取り出そうとするが上手くいかず、逆に押し込んでしまったのか、机の下に何かが落ちる音がした。
 すぐに床に手をついて覗き込むと、一枚の封筒が目に飛び込んできた。
 拾い上げた時に、青と金色の切手が薄明かりを捉えてきらりと瞬き、テナは目を見張る。

「送還魔法の補助切手……!」

 魔法通信網。ヴェイス本土や取引先、ぞれぞれの土地の中や、時空間に張り巡らされた、特殊なネットワークだ。
 はじめ、魔法通信網は杖を介しての通話に使われていた。やがて送還魔法の機能が構築されてからは、ひとびとの移動や物品のやり取りにも使われていった。
 新しかったそれらの役割も、次第に歴史が長くなる。後になって登場したのは、物品のやり取りにおける魔力や手順を節約するための、切手をはじめとした補助的な道具たちだった。

 この切手があれば、手紙を送れるかもしれない。そして、その手紙の『付属品』として、自身も共に移動できるかもしれない。
 しかし、この手法は邪道。いわば配送ラインに生身のひとが流されていくようなものだ。安全に移動できる保証など、まったくない。
 それでも今のテナには、この切手が大いなる希望に思えたし、皺くちゃの封筒に引き立てられて、なおさら輝かしく見えた。

「杖がなければまともに魔法を使えない、か」
 テナは箱の中で破片を杖の形に並べ始める。
「杖がなくたって……私達は本来、そうやって魔法を使ってきたはずでしょう?」

 できあがったのは、歪で、羽根飾りが所々毟り取られた、なんとか形を保つ程度の見窄らしい杖だった。
 それでも、千年以上も共に歩んできた杖だから。
 きっと、想いを叶えてくれるから。
 そうやって、最後まで信じていたいから。
 テナは便箋を封筒に押し込んで杖に重ねて、両手を置き、大きく息を吸った。

「パル・イ・デーウェン・ロ・ステリア」

 敢えて、本来の送還魔法に用いる呪文を唱えていく。

「ディ・ヴェイス・ロギュル・ドノーズ・イル・コロネット・オレニン」

 直後に、体中が圧迫されるような痛みを感じて、思わず目を瞑る。本来の移動魔法と全然別物だ。
 僅かに目を開くと、真っ暗な空間に飛ばされたのだとわかった。
 何もかもが別物だった。絶望と希望が心の中で何度も入れ替わり、上下も左右もなくなり、時間の感覚も薄れていく。
 やがて、封筒が離れていくのに合わせて、意識が遠のいていった。







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