時空橋編(36)


   コーレニン北部

 私達の歩く廊下には、ゆるやかな輪郭の薄い敷石が並ぶ。靴底が石畳を打つ音は囁くように反響し、折り重なる旋律となって密やかに耳へ届く。
 このあたりに待ち合わせの部屋があるという。ところどころに細い脇道があらわれるが、そのどれをも通り過ぎた。豊かなドレープのスカートをほとんど揺らさないで、迷いなくエミウルは歩いていく。半歩後ろから私はついていった。

「エミウルさん、すみません。同行していただくことになってしまって」
「オシャーンが言わなくても申し出るつもりだったわ。だから気にしないで」

 淡々と返ってくる声。すると彼女のスカートが少しだけなびいた。ここに来て脇道へと入っていく。
 その先は一本道。奥は行き止まりになっていた。
 突き当たりの壁には取っ手が浮き出ており、そこに扉があるのだとわかる。隠し扉というほどではないが、見落としやすい入口だ。
 扉を引いて、私は思わず呟いた。
「『部屋』?」
 石畳が続き、これまで歩いてきた廊下が続いているような設えだ。しかし奥が再び行き止まりになっているので『部屋』には違いないのだろう。
 それによく見ると、壁に灯る明かりの形も、廊下のそれとは異なるようだ。柱と柱が挟んだ壁は奥まっており、腰壁に座れるようになっていた。エミウルと並んで座ると、記憶にあるものとよく似た景色に胸が疼いた。
 まるで壁に張り付いて眺めたときのような景色は、まだ影の中にいた頃の視界とよく似ている。あの頃とは違うのは、隣に息遣いがあること。腕の中には杖と、タオルケットに包んだ本の重みがあること。
 そうして感触を確かめていると、不意に、
「ズィナ」
 と呼ばれた。
「必要ないかもしれないけど、先に渡しておくわね」
 手を出して、と言われてその通りにすると、エミウルの手が重なった。すぐにも離れてしまうが、手のひらに小さな魔法道具が残った。
「判子でしょうか?」
 軽くて透き通った、滑らかな造形だ。底には極めて小さな魔法陣が彫られていた。
「そう。帰還を告げる魔法陣よ。帰りがわかったら教えて頂戴」
「それは……、もし……もし帰れなくなったらどうすれば?」
 エミウルは魔法陣の中にある、ひとつの符号に指を乗せた。
「【ユーチェ】の符号があるでしょう。そこに切り欠きを入れてあげて」
「わかりました。ですが」
 それはどこまで何を伝えてくれるものなのか。尋ねようとした折、
「着いたみたい」
 と囁いて、エミウルが立ち上がった。
 後を追うように私も立つ。そのときちょうどエミウルが扉を開けた。
「来てくれたのね、カシェパース」
「頼まれたからな」
 相手の返事を待たずして、カシェがマホガニーを連れて部屋に入る。その間、視線が私に向いた。相手の溜息が、扉の閉まる音に重なった。
「やはりか。問い詰めたいところだが、エミウル。こいつに会うのは初めてだろ?」
 カシェがマホガニーの背中をとん、と叩く。
「1000代目のマホガニーだ。彼も同席させてもらう」
 ふたりが反対側の座面につくまでの間、ほんの僅かな間だったが、マホガニーは私に目配せした。加えてささやかに手を振ってみせる彼に、私は何も返せる心持ちではない。

 エミウルはというと、彼らと向かい合う位置になるや否や、深く頭を下げてしまった。
「昨日はズィナがごめんなさい。他魂系の先代に踏み込もうとするなんて出過ぎたことだったわ。本来なら図書館班のオシャーンが出向くべきなのだけど、私から謝らせてほしいの」
 私が失態を犯したせいで、エミウルに謝らせてしまった。慌てて私も頭を下げる。
「誠に申し訳ございませんでした。カシェさんの仰る通り、私が持ってくるべきはこちらでした」
 そう述べてタオルケットを剥がし、深緑色の表紙、自身の魂の本を差し出した。
 カシェは本を受け取ると、
「『いた』のか?」
 と尋ねた。
「はい。相談とは、彼に絡んだ話になります」
 ほう、と返すカシェ。彼は私の魂系の本を手にしているが、何をするでもない。同じ魂系でなければ開けられない、魔法族にとっては当たり前のことだからか。
 私は言葉を重ねる。
「今回は身の振り方を相談しに参りました。まずは私の長、シューナについてお話させてください」
 すると、眼下でスカートが揺れた。
「先に帰るわね」
 エミウルだった。カシェには意外だったらしい。
「よかったのか?」
「私だって無闇に何でも知りたい訳ではないのよ。オシャーンの魂系として知るべきでないものからは離れるようにしているの」
 そう話しながら小さな踵で、コツ、コツ、と石畳を打ち歩くエミウル。そして扉の前に立つと、私に振り返った。
「魔法陣の基本的な手順、これさえ守れば伝わるわ。あなたの定義を怠らないでね」

  ***

 コーレニン西部の工房でも、ちょうどユイユが昨晩ズィナから聞いたことを話そうとしていた。
 訪れたのは、サントとベベルだった。
「ユイユ、よかったの?」
「話していいよってズィナも言ってくれたんだ。ズィナは『祈りの魔法』を使っていない。だけど魔法が使われるところを見たって」
「あれ? だけど、あの部屋が教えてくれたのは」
「ズィナと同じ姿だった。それは間違いではないんだよ。多重人格って聞いたことある?」
 ん、と考えてから頷くベベル。
「中身があの子じゃないってこと?」
「そう、祈り主は『もうひとり』。その本人とも話したことがあるんだ。彼らは言葉選びがよく似ているけれど、違うひとだよ」

「知らなかったわ。共同指令であの子と一緒になったことがあるんだけど、どちらだったかと言われると正直わかんないかも」
「そうだよね……僕も共同指令で一緒になった。そのとき偶然、今のズィナと話せたから、指令で一緒だったのは『もうひとり』だとわかったよ」
「ユイユはもう、対話魔法がだいぶ上達したものね」
 三年前に専門が決まらなくて足掻いていたあの頃とは違う。胸を張って得意だと言える魔法を見つけて、ユイユはズィナと出会った。

 後代達の話を聞きながら、ホットミルクを飲み下すサント。それまで無言で聞いていた彼が、ようやく口を開く。
「ズィナはどうして教えてくれたんだろうね?」
「それは……僕が」
 ズィナに聞いたから。
 聞いたから、答えてくれた。
 彼も先代と話をするつもりだったと言っていた。
 どうして?

「隠し通すこともできたはずだよ。ユイユが僕らの疑問を背負っていたと知ってもね。ズィナには隠す権利がある。なのに放棄した」
 彼はそういうことを易々とできるだろうか? サントの微笑みがユイユに問いかける。
 考えなくても答えはわかる。生まれてからズィナはこれまでその事実をずっと隠し続けてきたのだから。
「でも、どうして」
 今、このときに?
 疑問に思うのはもっともだと、サントは頷く。
「もちろんいろんな理由があったと思うよ。あくまでそのひとつとして聞いてほしい。僕が思うにズィナは、知っている事をほかの何かに変えようとしているんじゃないかって」

  ***

  コーレニン北部 小部屋

 深緑のこいつが語った彼の長の話は、大部分が俺の推察と合致していた。それ故に長い溜息が漏れた。
 魂の本に長が不在なのは、ルーの魂系と共通する。しかし実情がまるで異なる。
 ルーの魂系は生まれてから生き終えるまでの千年間を、長と対面しながら過ごすようなもの。
 しかしこいつのシューナの魂系は、生きる間も生き終えてからも長と話す機会がなかった。
 俺達のような半ばの世代でも欠けたとしたなら厄介な話だが、よりによって欠けているのが長ときた。2代目が長の役割を担うとしても、ルーとシューナ、両魂系で別の意味合いを帯びてくる。

 長のシューナは何をしていた?
 あれだけ研究に没頭しておいて、過ぎゆく時にしがみついて、先回りをして時を待ち伏せて、そこで己の物語を続けようとしたんだろ?
 己が空白とした時間に対して何も思わなかったのか?

 ああ嫌だ。シューナが俺を訪ねてきたとき、あいつはまだ時にしがみつこうとしていた。そのために手段を選ばなかった。だから干渉してやった。なのに結果として追い払う形になった。
 後代のこいつを見る限り、どうやらその辺りで懲りたらしい。それはそれで腹が立つ。何の制裁もない。
 いや、望まぬ形の非情といえる制裁ならあった。1000代目のこいつが失った15年間だ。魂の輪廻という長い尺で見れば確かに制裁はあった。同じ魂に下されたのだから妥当ともいえてしまう。しかし実態は身代わりだ。

 誰が、あるいは何がそれを許している? どうしてあいつは許された?
 あいつの魔法は魂系を超えなかった。最後の秩序だけは犯さなかった。だから許されたとでもいうのか? たとえ奇跡的に道理が通っていていたとしても、この件は何かが抜け落ちているとしか考えられない。これは視点の問題なのだろう。
 理にかなうのか理不尽か。それは目の前にいるこいつの意思でおそらく覆る。

「──以上が、昨日お話できなかった事実です」
 とは言うが、果たして話せなかった原因、黄土の魂系にどこまで明かせているのやら。
「フッセさんにはとてもお話できません。ユイユさんには……シューナの実質的な関与を伏せています」
 あくまで断片的に伝えたということか。いくら本質が違わなかったとしても、わざと相手に誤解を与えているのであれば『嘘』になりかねない。それはこいつも熟知しているはずだ。
「敢えて聞こう。ひとを騙すのは後ろめたかったか?」
「はい」
「欺きに快楽を覚えたことはあるか?」
「いいえ」
「周りがお前の嘘を信じていると知ったとき、お前は?」
「……安堵して、ときには後悔しました」
 なるほど。
「こいつは適任だな。お前、身の振り方を決めかねているんだよな?」
「はい」
「最適解を教えてやろうか。図書館班を離脱しろ。こっちに来い」


















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